産経新聞が謎の記事を発信した。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110318/plc11031800190002-n1.htm
決算委は急遽中断され、首相は直ちに首相官邸に戻り、危機管理センターの巨大モニターから流れるメディア映像を食い入るように見た。目にとまったのが、第1原発だった。
大津波をかぶって自動冷却装置が破損し、炉内の冷却が思うようにいかない、との報告が上がってきた。官邸内に緊張が走ったが、首相には野党の追及から逃れた安堵感とはまた別種の「意外な自信」(政府関係者)がみなぎっていた。
「まず、安全措置として10キロ圏内の住民らを避難させる。真水では足りないだろうから海水を使ってでも炉内を冷却させることだ」
首相の意向は東電に伝えられた。「これが政治主導だ」。首相はそうほくそ笑んだのではないか。
だが、東電側の反応は首相の思惑と異なっていた。
10キロの避難指示という首相の想定に対しては「そこまでの心配は要らない」。海水の注入には「炉が使い物にならなくなる」と激しく抵抗したのだ。
首相も一転、事態の推移を見守ることにした。東電の“安全宣言”をひとまず信じ、当初は3キロ圏内の避難指示から始めるなど自らの「勘」は封印した。
この記事が本当なら、菅直人首相の「勘」は正しく、東電の判断は間違っていたことになる。震災発生当初から菅首相が「勘」に基づく判断を押し通していれば、事態はここまでひどくならなかった可能性さえあるではないか。
そしてこの菅直人の「勘」は、私の1週間前の「勘」とも共通する。あの時、福島原発でとんでもない事態が起きたと私は直感し、早い段階から東電非難のボルテージを上げた。それこそ、東電の経営陣は廃炉を嫌がって判断が遅れたのだと決めつけたのだが、この主張への賛同者は少なく、批判ばかり浴びた。ところが、何とも信じがたいことに産経の記事が私の主張の正しさを裏付けてくれている。狐につままれたような気分だ。
私には、「企業の経営者なんてこんなもの」という先入観がある。つまり、企業の経営陣という人種を全く信用していないのだが、今回、東京電力の経営陣は、みごとなまでに私のイメージ通りに動いてくれた。それで日本をとんでもない瀬戸際まで追い詰めているのだから、事態が一段落した時点で、彼らを激しく糾弾しなければならない。
気をつけなければならないのは、東電の経営陣と東電の技術者や作業員を分けて考えなければならないことだ。特に、今回の事故の対応に当たっている東電の人たちには、感謝や畏敬の念を抱きこそすれ、決して非難してはならない。
非難すべきは悪逆非道の東電経営陣どもである。この先しばらくしてから、国民、特に東日本、その中でも東北の人たちから、彼らは厳しく指弾され、日陰者として残りの人生を送らなければならなくなるだろう。
だが、それでも彼らのなしてきた悪行の罪深さを償うには不十分だ。