kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「原発推進」から「脱原発」へと転換した毎日新聞の社説を読んで思う

5年前の小沢一郎代表時代に「原発慎重派」から「積極推進派」へと転換した政策をいまだ見直そうともしない与党・民主党より一足早く、毎日新聞が社論を大転換した。


http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20110415k0000m070174000c.html


この社説でなんといっても目を引くのは、

 地震国日本は原発と共存できるのか。真摯(しんし)に検証した上で、早急に打つべき手を打ちながら、原発政策の大転換を図るしかない。

というくだりだ。


その後の部分には、

 当面の課題は、全国の原発で電源確保を確実にすることだ。津波対策や耐震強化の見直しも急がねばならない。


 国の規制や監視体制も改革を迫られている。監督官庁である原子力安全・保安院原発推進の立場にある経済産業省に属する矛盾はこれまでも指摘してきた。今回の対応にもその矛盾を感じる。原子力安全委の存在意義も問われている。完全に独立した規制機関を再構築すべきだ。

と書かれているので、これまでの「積極的推進派」から「消極的推進派」への転換かと思いきや、そうでもなさそうだ。


以後に続く部分を引用する。

 ただし、こうした「手当て」を施して良しとするわけにはいかない。


 事故発生後、原子力安全委の班目春樹委員長は「割り切らなければ原発は設計できないが、割り切り方が正しくなかった」と述べた。安全委員長の発言として納得できないが、それに加えて疑問が浮かぶ。


 割り切り方を間違えなければ大事故は起きないのか。安全規制を厳しくし、設備や緊急時の対応策を整えれば、事足りるのかという点だ。


 これまで、電力会社も政府も、原発は安全装置を何重にも重ねた「多重防護」に守られ、安全だと強調してきた。しかし、今回の事故で多重防護のもろさがわかった。どこまで安全装置を重ねても絶対の安全はなく、過酷事故対策も事故を収拾できなかったというのが現実だ。


 ◇依存度下げる決意を


 リスクがあるのは飛行機や列車も同じだという議論もあるだろう。しかし、原発は大事故の影響があまりに大きく、長期に及ぶ。地震国であるという日本の特性も無視できない。予測不能地震原発の掛け算のようなリスクを、このまま許容できるとは思えない。


 大震災の影響を考えれば、女川原発など被災した原発の再開も非常に慎重に考えざるをえない。今後の原発の新設は事実上不可能だろう。


 こうした現実を踏まえ、大災害を転機に、長期的な視点で原発からの脱却を進めたい。既存の原発を一度に廃止することは現実的ではないが、危険度に応じて閉鎖の優先順位をつけ、依存度を減らしていきたい。


 第一に考えるべきは浜岡原発だ。近い将来、必ず起きると考えられる東海地震震源域の真上に建っている。今回、複数の震源が連動して巨大地震を起こした。東海・東南海・南海が連動して巨大地震・大津波を起こす恐れは見過ごせない。


 老朽化した原発も危険度は高い。原発の安全性の知識も地震の知識も進展している。古い原発にはその知識を反映しにくい。


 日本は電力の3割を原発に依存してきた。安定した電源として擁護論は強い。原発なくして日本の経済が成り立たないのではないかという懸念もある。


 しかし、経済と安全をてんびんにかけた結果としての原発震災を直視したい。最終的には国民の判断ではあるが、原子力による電源に頼らなくても、豊かに暮らすための知恵を絞りたい。


 そのためには、温暖化対策で注目された再生可能エネルギーの促進や低エネルギー社会の実現がひとつの鍵となるはずだ。地震国日本に適した電源と、それに基づく暮らし方を、今こそ探っていく時だ。


何ともまあ、驚くばかりの大胆な社論の転換だ。地震2日後のTBSテレビ『サンデーモーニング』で、毎日新聞主筆岸井成格が、「(チェルノブイリ原発事故から時間が経ち、地球温暖化問題が叫ばれるようになって)原発が世界的に見直されてきたところだったのに」と残念そうに語っていたことを思い出すと、その毎日新聞がこんな社説を掲載するとは信じられない。朝日新聞原発事故を受けて論調が以前と変わったが、ここまで大胆な社論の転換はしていない。

穿った見方をすれば、事故によって経営難になる東電が、まず全国紙の中でも部数が少ない毎日新聞への広告掲載を減らすだろうという読みや、何より毎日新聞の経営が本格的に苦しくなって、読売を代表格とする原発推進派の新聞との論調の違いに活路を見出さざるを得ない台所事情もあるのではないかと思える。

そういえば、直近のプロ野球開幕問題で、もっとも熾烈な巨人批判をしていたのは毎日の系列スポーツ紙「スポーツニッポン」だった。スポーツ紙といえば、朝日や毎日が巨人を批判しても系列のスポーツ紙にはその論調の影響は及ばず、巨人に尻尾を振るのが常態だったことをよく覚えている私は大いに驚いたものだ。そして、読売のゴリ押しは通らず、政府も読売に対して強気で臨み、巨人は地方球場での開幕を余儀なくされた*1

政治でも娯楽(プロ野球)でも読売のゴリ押しが通らなくなった。「(日本における)原子力の父」と呼ばれるのは読売新聞の正力松太郎だ。戦前には朝日と並ぶ二大全国紙で、朝日と比較すると「やや右寄り」の論調で知られていた毎日を食ってのし上がっていったのが読売だった。毎日は、プロ野球パシフィックリーグを創設してセントラルリーグ(読売リーグ)に対抗しようとした歴史を持つが、パシフィックリーグは「毎日リーグ」とはならなかった。

その毎日が、原子力政策でも読売に反旗を翻す形となった。今後原発事故の推移がどうなるかは予断を許さないし、日本政府の政策転換がどうなるか、読売新聞や毎日新聞の消長がどうなるかはわからない。自民党を中心とした政権に戻り、原発推進政策は続き、毎日新聞は破綻して新聞を出せなくなる可能性だってある。

だが、一つだけ確かなことは、これ以上原発を日本に増設するのは不可能だということだ。40年を超える原発の継続運転も、おそらくできないだろう。

そうなると、どの政党が政権を担おうが、読売新聞が何を書こうが、否応なしに政府はある時点でエネルギー政策を転換せざるを得ない。自民党が中心とした政権に戻っても、単に政策転換の時期が少し遅れるだけである。

中曽根康弘は92歳、ナベツネももう85歳だ。与謝野馨も72歳で、現役閣僚としての政治生命はあとほんのわずかだろう。

そう遠くない将来、読売新聞もエネルギー政策に関する社論を転換する時が必ず来る。中曽根やナベツネや与謝野の時代は、間もなく終わりを迎える。

4月15日付の毎日新聞の社説は、新たな時代の始まりを告げているように私には思える。今後、原発推進勢力は必死に巻き返し、それが一時的に奏功(彼らにとって)するかに見えることもあるだろう。

だが、ほっといても原発依存度は下がらざるを得ないという現実の前には、どんなに貪欲で巨大な権力を持った人間といえども太刀打ちできないのである。

*1:震災前から、もともと4月12日には宇部での巨人主催戦が組み込まれていて、それが予定通り行われただけの話ではある。