kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「原発」が争点になりそうにもない青森県知事選と、腰の定まらない民主党

朝日新聞の2面に19日告示の青森県知事選に関する記事が出ている。見出しは「原発 争点か素通りか」となっているが、記事を読んだ限り、悲観的な見通ししか持てない。

まず選挙だが、これは3選を目指す現職の三村申吾(自民・公明推薦)が楽勝するのだろう。民主・国民新党推薦の山内崇は「原発の新設凍結」を打ち出し、共産党公認の吉俣洋は「原発の建設中止、運転中の原発も段階的に廃止」を主張する。

しかし、人口7千人の東通村に1988年〜2009年の間に224億円の「電源三法交付金を受けた下北半島ばかりではなく、青森市でも「反原発」は低調とのことだ。4月の青森県知事選で原発問題を熱心に訴えた社民党現職が前回から得票を1千票以上減らして落選したと記事は書くが、そういえば東京の区議選でも、反原発派の現職候補が落選した例があった。これは原発問題というより、2009年の政権交代によって、かえって社共や革新系無所属は「少数派の論外勢力」と見なされる空気が強まったことと関連づけられるのではないか。かつては革新系を支持していたと思われる人たちの多くが、過去から現在に至るまで「脱原発」派であったことなど一度もない小沢一郎の信者になって平気で「脱原発」と「小沢信奉」を両立させるという、ネットにおける頭の痛い現象と通底している。

朝日新聞の記事の後半には、「民主、方向性バラバラ」という見出しがついている。たとえば幹事長の岡田克也は明らかな原発推進派であり、15日、大間町大間原発の推進を求めた金沢満春町長に対して、岡田は「基本的に稼働を認めないと、日本中の原発が止まって電力をまかえなくなる」と語った。一方、首相の菅直人は「脱原発」とは決して口にしないが、「脱原発」へとつながるエネルギー政策の白紙見直しや、電力会社の嫌がる発送電分離に言及する。菅と岡田の発言の食い違いは国会でも自民党などに追及されている。

そもそも、朝日新聞が書く通り、民主党自体の方向性がバラバラなのだ。以下同紙の記事から引用する。

 民主党は今は「原発推進でも脱原発でもない党」(幹部の一人)という。結党当初は、旧社会党系議員に配慮し、自民党との違いを図るため、原発を「過渡的エネルギー」と位置づけた。だが、その後、原発推進の旧民社党系などと合流し、旧自由党とも合併。政権交代が現実のものとなり始めた07年の参院選原発推進に転換した。

 しかし、福島第一原発の事故後は見直し機運が生まれつつある。17日には新エネルギー推進に向けた勉強会が立ち上がり、約50人が参加した。さらに「反原発」が持論の篠原孝農林水産副大臣と、父が青森県選出の自民衆院議員として原発を推進した田名部匡代政務官は、省内でバイオマス発電の本格普及に向けた検討を始めた。

 だが、岡田氏は「時間をかけ、しっかりした議論が必要だ」と繰り返す。原発政策の見直しは「パンドラの箱」を開きかねず、深刻な党内対立を生む危険性をはらむからだ。
(2011年5月19日付朝日新聞2面掲載記事=南彰記者署名=より)

これが民主党原発に対するスタンスだ。「原発推進でも脱原発でもない党」という表現から思い出したのは、かつて菅直人が言ったという「野党でも与党でもないゆ党」という表現だ。水でも熱湯でもないぬるま湯というべきか、それとも鵺(ぬえ)というべきか。

青森県知事選に立候補予定の山内崇は、「原発の新規凍結」を言っているだけなのに、民主党県議から「電力系労組は応援できなくなる。言い方に気をつけた方がいい」と注文をつけられる始末なのである(朝日新聞記事より)。

いい加減に民主党信者、いや小沢信者たちも、電力総連や旧民社の害毒という現実を直視すべき時だ。