kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

石原伸晃たち(「自公小」)こそ集団ヒステリー。永田町と世間一般では空気が違うらしい

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011061400416

原発、「集団ヒステリー」=石原自民幹事長

 自民党石原伸晃幹事長は14日の記者会見で、福島第1原発事故後の反原発の動きについて「あれだけ大きな事故があったので、集団ヒステリー状態になるのは心情としては分かる」と述べた。表現が不適切との批判も出そうだ。
 石原氏は、代替エネルギー確保や製造業への影響など原発を止めた場合の課題を挙げて「『原発推進なのか、反対なのか』という問いがあるが、簡単な話ではない」とも語った。(2011/06/14-13:12)


このニュースを聞いて、「集団ヒステリーって、そりゃ永田町の人たちのことだよなあ」と思ったのはおそらく私だけではないし、このあと放送される民放のニュースではキャスターやコメンテーターが軒並みそう言うのではないか。

思うのだが、やっぱり永田町と世間一般では空気というか「常識」が違うのだろう。東電原発事故を境に、世間一般では日に日に「脱原発」の世論が強くなっている。事故当初と比べてもそうなのだが、それは東電原発事故がいっこうに収束しないからだ。

国民は、みな東電と自民党、それに経産省の官僚などに責任があるのだと知っている。だから、統一地方選民主党が敗北した後に民主党の小鳩派が起こした倒閣運動も全然盛り上がらなかったし、先日の不信任案否決劇では、世間一般の空気と永田町の空気はいっそうかけ離れたものになった。

おそらく永田町では、石原伸晃が口を滑らしたようなことが常識なのだろう。だが、世間ではそうではない。今日も職場で聞こえてきたのは、「菅降ろし」は原発を維持したい人たちが起こしたことだという話があって、私は嘘かほんとかは知らないけれども、ありそうなことだと思う、という雑談だった。東京新聞が書いたいくつかの記事などを指すのだろうと思うが、それが世間の「常識」になりつつある。それを考えれば、石原伸晃の発言は文字通りの「KY」だ。

いや、石原伸晃だけではなく、「自公小」すべてが「KY」だ。小沢一郎にしたって、もっと強く「脱原発」をアピールできるポジションにいるのにもかかわらずそれをしていないのは、小沢に世間の空気が読めていないからだろう。

私は、これまで回復してきた自民党の支持率は今がピークで、今後は落ちていく一方だと予想している。