kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「左」側の「脱原発」批判は「被曝労働」の問題について説得力のある主張を提示できるのか

数日前から、原発に関係する記事を書く力が入らなくなってきた。概して「脱原発」側の言論は、現在やや手詰まり状態にあり、それは菅直人のパフォーマンスを利用する作戦の限界が明らかになってきたせいもあるのではないか。もう少し地に足がついた主張でなければ勝てないと思う。

一方、「左」側からの「脱原発批判」も根強い。私はこれまで、「左」側の「脱原発批判」論者が「被曝労働」や「放射性廃棄物」の問題に触れようとしないことを訝っていたのだが、「被曝労働」について、ようやく「左」側の「脱原発批判」派の言い分が見られる記事を見つけた。


光は失われるばかりなのだろうか - 非国民通信

 残念なことに福島の原発事故以降、かつて左派として振る舞っていた人の多くは労働者のことを考えるのを止めたかに見えます。それもまた流行というものなのでしょうけれど、反原発論の盛り上がりの中で、原発を罵り恐怖を煽り立てる姿勢の強弱が競われるような有様です。電力不足の煽りを受けて生活に不自由する弱者は元より(健常者には過剰に見える明るさや便利さも、障害を抱えている人にはどうでしょうか)、深夜や休日の労働に駆り立てられたり失業の危機にされされる労働者について、かつて左派として振る舞っていた人の大半は黙して語ろうとしません。経済的な苦境のために自ら死を選ぶ人が万を数えるにも関わらず、雇用=経済のことを慮るのは原発事故の被災者を軽視することであるかのごとく扱う人の声も日に日に猛々しさを増すばかりです。結局のところ一口に「左派」と言っても必ずしも労働の問題に関心が高いとは限らない、ただ左派コミュニティ内部での流行を追いかけているだけの人も多かったのでしょう。

 むしろ労働に纏わる普遍的な問題が、あたかも原発に特有の問題であるかのごとく矮小化して語られるケースも目立ちます。業務内容が求人時の説明とはかけ離れていたり、下請け孫請けと中抜きされていく過程で現場作業員の取り分が仕事に見合うものでなくなったり、あるいは職場の安全管理体制に不備が多く自分の身は自分で守るしかない状況だったり等々、こういうことは日本の労働市場全般に関わる問題のはずですが、これがどうも原発に固有の問題であるかのごとく語る人もいるわけです。原発にネガティヴなイメージを与えるには、そういうやり口が好ましいのかも知れません。ただ、原発を「犯人」にすることで原発は潰せても、働く人が搾取されたり危険にさらされる状況を変えることが出来るのかどうか、大いに首を傾げるばかりです。

 電力会社社員を犯罪者のごとく罵る人々もいます。まぁ、今までの公務員叩きと構造は一緒で橋下辺りの言う「公務員」「職員」を「電力会社社員」に置き換えただけみたいなところもあって進歩がないなと思ったりもしますけれど、公務員叩きの不合理を指摘する人に比べて電力会社社員への誹謗中傷を批判的に見る人がどれだけいるでしょうか。もしくは、犯罪加害者にも守られるべき人権はあると訴えてきた人の中で、いったいどれだけの人が電力会社社員にも労働者としての権利はあると語れるでしょうか。公務員なり犯罪加害者なりJAL社員なり「嫌われ者」に対するバッシングには異議を唱えてきた人でも、電力会社社員に関してはどうやら見捨てようとしているようです。安易に人員整理や労働条件の不利益変更、年金受給額の削減を認める前例を作ってしまうことは労働者全体にも大いなる不利益をもたらすこととなるわけですが、今や左派も労働者のことを考えるのを止めているとしたら救いはありません。


赤字ボールドの部分が、「被曝労働」問題に関する「左」側の「脱原発」批判派の言い分なのだろう。だが、果たしてこの言い分は正当だといえるだろうか?

私には、「被曝労働」などの原発現場での労働に固有の問題が、むりやり拡大され、一般化して論じられているように思える。ブログ主の言説は、原発の問題に限らず特定の問題に関して、使用者や行政の責任を追及する言説に対して、「他のところだってやっている」と反論する、「体制」(=使用者や行政)側の支持者が愛用するレトリックと何ら変わらないように思えるのである。

あくまで、個別の問題について事実を明らかにした上で、問題点を解消し、労働者が不当にこうむるリスクを軽減する方向に持っていくのが当然の姿勢なのではないか。特に「被曝労働」に関しては、ガンなどを発症し生命を縮めるリスクに直結するものなのだから、具体例に即した主張を行って電力会社を批判するのは当然あるべき態度だ。不必要な一般化は問題の解決を妨害する以外のなにものでもない。こういう言説が、たとえば線量計をつけずに作業を行った作業員を「日本人の誇り」と持ち上げた海江田万里のごときひどい暴論を許してしまうことにつながる。

最後の段落に書かれている、電力会社社員の報酬の問題については、電力会社の正社員と派遣社員、系列会社の社員などとの格差の問題を無視して語ることはできない。電力会社の正社員の報酬は、メーカーの正社員の報酬と比較しても突出して高いものである一方、被曝労働を強いられる人々の報酬は不当に低い。かつては原発の作業員の給料はそれなりに高かったそうだが、近年それは大きく下げられ、安い給料で「被曝労働」を強いられているのが実態だ。正社員の給料を下げ、その分被曝のリスクをとって(とらされて)働いている人たちに多く報いるべきなのは当然なのではないか。電力総連が経団連と同等の「原発推進勢力」であることはいまや周知の事実だが、電力総連は「被曝労働」の問題に関しては口をつぐむ。これでも「労働組合」を名乗る資格はあるのか。

また、上記ブログ記事は「放射性廃棄物」の問題には一切触れていない。

この他にも、都市に住む人々の利便のために、過疎の地に原発という危険な施設を押し付けている問題があり、迷惑料としての「電源三法交付金」(や電力会社の「寄付」)によって不要なハコモノが建設され、それが地域の民の暮らしを良くするのならともかく、「シャブ漬け」になった原発立地自治体の財政を悪化させるなどして、地域を逆に荒廃へと追い込んでいる問題もある。自民党などは再生エネルギー買取法案で電気代が値上げされるとしてこれを批判しているが、電源三法交付金の原資が「上乗せされた電気代」であることは黙して語らない。


「左」側の「脱原発」批判論者は、これらの諸点について説得力のある言説を示すことはできるのだろうか。