kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

NHK解説委員の間で原発に関して激論が交わされ、朝日新聞の「WEB論座」も一応自社への批判言論も取り上げた

(3)日本のメディアと脱原発 - ドイツから学ぼう より。

視聴者の厳しい批判や世論の大きな変化を受けて、現在ではNHKの解説委員さえ脱原発という方向で意見が一致して来ている。
2011年7月23日の放送「双方向解説そこが知りたい!−どうする原発、エネルギー政策」では、最初嶋津解説委員が多様なエネルギー選択肢の必要性を述べ、原発も選択肢の一つとして残すことを主張した。しかし他の8人の解説委員は脱原発の方向に立ち、当面天然ガスタービンを導入によって脱原発を押し進め、将来的に再生可能エネルギーによる分散型社会へ移行させることで一致した。
そうした意見の一致するなかでは嶋津解説委員さえ従わざろう得ず、NHKの革命的変化の兆しが感じられた。
何故なら嶋津解説委員以外の解説委員一人一人が、原発を選択肢として残すことは再生可能エネルギー伸展の障害となることをよく理解し、現在の日本産業界を代弁する嶋津解説委員の主張を論破したからだ。


先週放送されたこの番組は、ブログでは取り上げ損ねたが私も音声のみ聞いていた。というより、テレビをつけっ放しにしながらブログの記事を書いていたら、この番組が始まって音声が聞こえてきたのだった。

最初、原発推進論を声高に唱える声ばかりが聞こえてきて、「誰だこりゃ、さすがはNHKの番組だな」と思った。その時点では、出演者がNHKの解説委員たちだけだったという認識は持っていない。時々画面に目を映すと、見知らぬ顔ばかりだったので、ああ、これはNHKの記者たち同士が討論してるんだなとようやく気づいた。

そのあたりから議論の様相が変わり、「脱原発」派の論者の主張が優勢になってきたのだった。注意力を集中して聞いていたわけではなかったが、確かに「御用放送局だと思っていたNHKの解説委員の間にもこんなに『脱原発』論が広がっているのか」と驚いたほどだ。当ブログにも、『朝生』なんかよりよっぽど面白かった、とのご感想のコメントをいただいた。なお、問題のNHKきっての原発推進派解説委員のフルネームは「嶋津八生」(しまづ・はちなり)というらしい。「てつなり」(飯田哲也氏)は「脱原発」、「はちなり」は「原発推進」といったところか。


エントリの後半は朝日新聞に関するもの。

これまで朝日新聞原発に関しても、日本の原発推進政策を容認するだけでなく、実質的には新自由主義の世界に原発を倍化する「原発ルネッサンス」を支持していたが(朝日新聞の「Globe」第45号で特集を組み、原子力発電所を海外に売り込めとしているーhttp://globe.asahi.com/feature/100802/index.html)、2011年7月13日の朝刊で社説特集「提言原発ゼロ社会」を掲載し(http://www.asahi.com/special/10005/)、脱原発へと大変身した。
そこではNHK解説委員の議論でなされたように、論理的に脱原発社会への転換が必要であることが述べられ、希望が感じられるものであった。
しかし終わりに掲げられた社説「推進から抑制へー原子力社説の変遷」では、朝日新聞の社説が1986年のチェルノブイリ原発事故を契機に推進から抑制へ転換したと述べている。
これはどのように好意的に見ても事実と異なるもので、ジョージオーエルの『1984年』が描いた全体主義の監視社会のなかで、歴史的事実を改ざんしようとする真理省のことが思い出された。
この原子力社説の変遷は社内にも批判があるようで、同じ朝日新聞の「WEB RONZA」では、「朝日新聞脱原発社説をどう読むか」が特集され(http://webronza.asahi.com/business/2011072000002.html)、ブログ&コラム一覧には「朝日が黒歴史をしようとしている」(http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20110713/1310515487)、「朝日が原発賛成に転じた日」(http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/24f6afcee15fb065b5233126d7479ed4)などの厳しい批判が載せられていた。
希望的に見れば、まさに大きな転換の岐路にあると言えよう。


7月13日付朝日新聞の社説特集に関する当ブログの記事が、「WEB論座」からリンクされていたとは知らなかった。


引用先のブログ記事からリンクされている、昨年の「Globe」の特集は本当にひどい。竹中平蔵と親密な仲であることで知られる前主筆船橋洋一の肝いりで始められた「Globe」を、私はほとんど読まない。

「WEB論座」の編集長は、『報ステ』に出ていたあの一色清。この男がテレビで発言するたびに、当ブログに短い叫び声の記事を掲載したものだ。それは、「ふざけるな一色清」といった類の記事だが、毎日新聞にも同様のターゲットがいた。いうまでもなく、それは主筆岸井成格である。しかしその岸井も、毎日新聞社内の声に押されて、「脱原発」派へと転向した。4月半ばのことだ。


そういえば、『きまぐれな日々』にTBいただいた、「原発推進」財界・産業界の長期計画策定メンバー 一覧 - Transnational History に、

え〜と、毎日新聞を除いた大手マスメディア4社の名前をみてとれます。3.11福島原発事故の後に脱原発へと舵をきったのは朝日だけになるのでしょうか。他の日経、読売、産経は今も社説で原発推進を掲げているところですね。

とあるが、全国紙でもっとも早く「脱原発」を打ち出したのは毎日新聞の4月15日付社説だ。同紙の社会部は「脱原発」・「反原発」的な色合いが強く、震災および東電原発事故発生2日後の3月13日付1面に、早くも強烈な東京電力批判の記事を掲載していた。その一方で、毎日新聞政治部長は頑迷固陋な保守派だけれど。

それから、準全国紙である『東京新聞』(『中日新聞』)は、朝日や毎日よりももっと先鋭的な原発批判メディアだ。だが、この新聞には高橋洋一と親しい長谷川幸洋論説副主幹の思想が論説に強く反映している難点がある。要は新自由主義テイストのある「脱原発」論であって、そのあたりに同紙の問題を感じる。いってみれば「みんなの党」的な性格が東京新聞にはある。まさか、同紙の本社が「減税日本」の本拠地・名古屋にあるせいでもあるまいが。

朝日新聞は、毎日・東京(中日)両紙と比較すると、「鵺」的性格が強い。朝日が、毎日や東京と比較しても「脱原発」という印象を世間一般に強く持たれているのは、いうまでもなく7月13日付紙面の社説特集でその方向性を強く打ち出したからだが、昨年には「Globe」の原発輸出特集に見られるような、「強硬な原発推進派」の主張を行っていた。この急激な路線転換は、まさしく菅直人と同じである。菅直人が「脱原発依存」を表明した7月13日に、朝日が「脱原発」の社説特集を紙面に載せたのは、決して偶然ではない。全国紙の中でももっとも深く菅直人に食い込んでいる朝日が官邸と連携したと見るのが自然だ。

何が言いたいかというと、朝日が論調を転換する時には、組織的に一斉に大きく動くところが不気味だということだ。これが毎日の場合だと、以前から今に至るまで、社内にいろんな言論が混在しているので、論調の転換といっても主導権を握る人たちが交代しただけであって、脱原発派は以前からいたし、原発推進派も今でもいる。朝日にも、たとえば曽我豪のような、麻生太郎のブレーンとされる記者がいたりするのだが、論調が組織的に大きく動くのである。朝日と毎日のどちらがより健全(と言えばほめ過ぎであるなら「よりマシ」)かというと、私は毎日の方だと思う。もちろん論外なのは読売で、ナベツネがすべてを取り仕切っているわけだが。

とはいえ、広く「脱原発」対「原発維持・推進」派を新聞社で色分けした場合、「朝日・毎日・東京(中日)」対「読売・産経・日経」となることはいうまでもない。原発維持勢力のうち、今後もっとも大きく論調を転換させる可能性があるのは日経で、自然エネルギーが金(企業の収益)になると判断したら、日経は「脱原発」派へと劇的に転向するだろう。かつて日経関連企業による「日経エコロミー」がネットでも記事を配信していたことを思い出すべきだ。3年前には、私は飯田哲也氏の論考の多くを「日経エコロミー」の連載コラムで読んだものである。