kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

言葉に「力」がなかった広島市長・松井一実の「平和宣言」

秋葉忠利氏が今も広島市長だったらなあ、と思った。

「3・11」後、初めての原爆記念日となった今日、注目されたのは福島県で起きた「東電原発事故」にどう言及するかだったが、下記のようなものだった*1

今年3月11日に東日本大震災が発生しました。その惨状は、66年前の広島の姿を彷彿させるものであり、とても心を痛めています。震災により亡くなられた多くの方々の御冥福を心からお祈りします。そして、広島は、一日も早い復興を願い、被災地の皆さんを応援しています。

また、東京電力福島第一原子力発電所の事故も起こり、今なお続いている放射線の脅威は、被災者をはじめ多くの人々を不安に陥れ、原子力発電に対する国民の信頼を根底から崩してしまいました。そして、「核と人類は共存できない」との思いから脱原発を主張する人々、あるいは、原子力管理の一層の厳格化とともに、再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいます。

日本政府は、このような現状を真摯に受け止め、国民の理解と信頼を得られるよう早急にエネルギー政策を見直し、具体的な対応策を講じていくべきです。また、被爆者の高齢化は年々進んでいます。日本政府には、「黒い雨降雨地域」を早期に拡大するとともに、国の内外を問わず、きめ細かく温かい援護策を充実するよう強く求めます。


何このひとごとみたいな言い方。脱力してしまう。

このくだりに限らず、広島市長・松井一実の言葉には「力」がなかった。

この市長を選んだのが広島市民の選択ではあったのだけれど。