kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

槇原敬之の "Appreciation" は本当に「原発擁護ソング」なのか。「槇原叩き」に反論する

http://zara1.seesaa.net/article/218774801.html という題の記事に、多数の「はてなブックマーク*1がつき、ブコメの多くは槇原を叩くものだ*2。だが、私はそれに疑問を感じる。


リンク先の記事で歌詞を見たが、「原発擁護」であるとも必ずしもそうではないとも解釈できるものだ。
仮に、「原発擁護ソング」であるとして、そんな歌を収録したアルバムの売れ行き増につながるとは思えない。仮に槇原が「逆張り」を狙って「原発擁護」側に立ったのだとしたら(私は必ずしもそうは思わないけれども)、騒ぎ立てることは「逆張り」の狙いを成就させることになる。

何より強く疑問を感じるのは、「脱原発」派が世論調査で7〜8割を占めるこのご時世に、「『原発擁護ソング』ともとれる歌」を叩くことに一体何の意味があるのかということだ。

原発には数々の問題点があるが、その中でも特に重要な問題の一つは、多数(都市)による少数(過疎の地域)の搾取や圧殺ではなかったか。現時点において世論の多数派である「脱原発派」が、「原発擁護かもしれないけれどもそうではないかもしれない」歌やその作者を叩くことは、これまで原発推進勢力が過疎の地域の民に行ってきたのと同じことではないのか。

槇原敬之という歌手は、かつて人気を誇ったものの、薬物事件を起こして転落した前歴がある。現在では決して「強者」とはいえない人だ。その槇原をことさらに叩くことが、果たして「脱原発」の世論を現実の政治に反映させるために有効な手段ででもあるのだろうか。

前のエントリと同じ結論になってしまうけれども、「槇原叩き」など「脱原発」を実現するためには百害あって一利なしだと私は思う。

*1:http://b.hatena.ne.jp/entry/zara1.seesaa.net/article/218774801.html

*2:「槇原を叩く」というと、ついついブロハードの逆転2ランに言及したくなるが、このエントリでは止めておく。