kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

『日刊ゲンダイ』について

TBとコメントについて+α (2011年7月版) 8月に追記 : 日本がアブナイ! より。

Commented by mew-run7 at 2011-08-17 05:09


(前略)


コメント欄読者の(笑)kojitakenさんへ 私が日刊ゲンダイが好きなのは、何より競馬欄が充実していること。そして、あのマスコミ統制ムードだった小泉、安倍政権下でも、同紙がひたすら彼らを批判し続けていたし。当時から小沢氏の件に至るまで、検察批判も行なっていたからです。ただ、確かに最近は、表現だけがどんどん過激になり、中身は伴わない記事が増えているように思います。


おおっ、なんと私が書いた

私は『日刊ゲンダイ』ほど悪質なメディアはないと思っているが、なぜかブログ主のmewさんは『日刊ゲンダイ』を愛好しているらしい。

というフレーズ*1に反応いただいた。いささか失礼なエントリではないかと思っていただけに、これはうれしい限り。礼儀として、なぜ私が『日刊ゲンダイ』を全く評価しないかを説明します。


今でこそ四国や九州でも読める『日刊ゲンダイ』ですが、私が初めて上京した頃は関西にもこの夕刊紙は存在しませんでした。当時関西というか大阪にあったのは、東京でも出ていた『夕刊フジ』のほか、『大阪新聞』、『大阪日日新聞』、『新大阪』、『関西新聞』、『新関西』(以上は記憶に基づくもので名称は間違っているかもしれません)などなどの雑多な夕刊紙で、ヤクザの抗争と芸能と競馬(と阪神タイガース? いや阪神の記事はあまり記憶にない)がウリだったかどうか。しかもこれらは私が住んでいた神戸ではまず見かけなくて、たまに大阪に行った時に駅売りのスタンドで目にした記憶しかありませんでした。

で、東京に出て驚いたのは、一面には政府批判、最終面にはジャイアンツ批判をウリにした『日刊ゲンダイ』を電車に乗っているサラリーマン風の乗客が熱心に見入っていることでした。『夕刊フジ』は反権力を前面に出した新聞ではなかったので、さすが東京は違うなあと感心したものです。特にアンチジャイアンツの報道は、東京ではどの新聞もジャイアンツを応援しているものとばかり思っていた私を驚かせました。

しかし、ジャイアンツが強かった何年かのあと同球団が不振に陥ると、『日刊ゲンダイ』は「巨人が強くなければ野球は面白くない」と言い出して、「ジャイアンツを弱体化させたもの」への批判を始めました。私はそれを見て、「なんだ、しょせんはジャイアンツあっての『日刊ゲンダイ』か。この分じゃこの新聞の政治記事の政府批判も同じことなんだろうな」と思ったのです。初めてその印象を受けたのは、1984年から86年にかけてジャイアンツが優勝を逃し続けていた頃のことですから、もう四半世紀前から『日刊ゲンダイ』を「エセ反権力」のメディアだとみなしているというわけです。

そもそも、「反権力」って何だろうか、何のために権力に反対の声を上げるのか。私は、ブログで政治権力を批判する時でも、読売ジャイアンツを批判する時でも、絶えずそう自問自答しているつもりです。で、『日刊ゲンダイ』を見ていると、同紙の権力批判は大衆の嗜好に媚びて金儲けをするための「反権力」のポーズに過ぎないのではないかと思えるのです。

私は2001年の小泉政権発足時には中国地方、2005年の郵政総選挙の時には四国にそれぞれ住んでいて、それらの頃には電車通勤などしていませんでしたので、当時『日刊ゲンダイ』が何を書いていたか、私は知りません。しかし、郵政総選挙の時はいざ知らず、2001年に小泉政権が発足した頃、『日刊ゲンダイ』は本当に小泉政権批判などしていたのでしょうか。同紙は、その時その時の「反権力」の風を読んで、もっとも俗受けする「反権力」風のスタンスをとっているだけではないのか。ずっとそう思っています。そして現在ではそれが「民主党小沢一派」への支持だということです。それはポピュリズム大衆迎合主義)に過ぎないと私は思います。

だから、私は『日刊ゲンダイ』は全く信用ならない、もっとも悪質なメディアだと考えているのです。