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古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

北海道日本ハム・梨田昌孝監督が退任を発表

プロ野球北海道日本ハムファイターズ梨田昌孝監督が今季限りで退任することが発表された。

ソフトバンクホークスを逆転して優勝する可能性のある唯一のチームの監督が、この時期に退任を発表する。これはどう考えても異常だ。日本ハムは、2007年にもヒルマン監督の退任を早々と発表し、この年日本ハムはリーグ優勝は遂げたものの、日本シリーズでは読売リーグのクライマックスシリーズを勝ち上がってきた同リーグ2位球団の中日にコテンパンにやられ、最後には物議をかもした中日の山井−岩瀬の継投による完全試合を喫してシリーズに敗退した。梨田は、そのヒルマンの後を受けて日本ハムの監督に就任したのだった。

梨田の現役時代最後の試合は、1988年のあの「10・19」だ。今年は読売リーグでヤクルトが10年ぶりに優勝する可能性が高いため、読売リーグのことばかりブログに書いている私だが、1988年と89年は、私にとって「パシフィックリーグの2年」だった。あの2年間にわたる西武と近鉄の死闘は、日本プロ野球史上最高の金字塔だったと今でも思う。あれに比べれば、60〜70年代の読売の9連覇など屁みたいなものだ。

その88年の「10・19」で引退した梨田は、NHKの解説者に就任した。1989年の日本シリーズ近鉄が読売に初戦から3連勝した時には、「公平な立場に立つ」という建前をかなぐり捨てて、近鉄への思い入れをあらわにしたコメントをしていたが、その時梨田には「嫌な予感」があったのではないかと今でも思っている。シリーズは第4戦から読売が4連勝して逆転優勝を遂げた。感情過多な梨田をテレビで見ていた私は、梨田という男は監督としては成功しないのではないかと思ったのだった。

ところがどっこい、永遠に日本一にはなれないかと思われた近鉄に最後の日本一のチャンスをもたらしたのはこの梨田昌孝だった。それは2001年のことで、近鉄球団がロサンジェルスドジャースと提携するなど積極的な球団経営を行なったこともあって、近鉄はみごと21世紀最初のパシフィックリーグペナントレースを制したのだった。ちなみにこの年読売リーグを制したのはヤクルトだった。その前年に「ONシリーズ」、しかも「N」の圧勝を見せつけられた私は、新世紀最初の年にヤクルト対近鉄などという日本シリーズの顔合わせが見られるとは想像もしなかったので大いに感激したものだ。翌年から真の悪夢が始まるとも知らずに...

このシリーズの第2戦は、序盤に大量リードを許した近鉄の大逆転勝利だった。そして、この試合が近鉄バファローズ最後の日本シリーズでの白星になったのだった。

梨田昌孝は、トレイ・ヒルマンの後を受けて日本ハムの監督に就任した。複数回優勝しているとばかり思い込んでいたのだが、優勝は2009年の一度だけだった。2008年にはクライマックスシリーズで西武に敗れた。しかし、2009年にリーグ優勝し、クライマックスシリーズ第2ステージの初戦(対楽天)で、大量リードされた試合をスレッジの逆転満塁サヨナラ本塁打で勝ち、その勢いで一気に日本シリーズ進出を決めたのだった。だが、痛かったのはエース・ダルビッシュの故障だった。読売との日本シリーズ第2戦、故障を押して先発したダルビッシュは勝ったが、シリーズには負けた。2勝2敗で迎えた敵地・東京ドームでの第5戦を必勝の展開に持ち込みながら、土壇場で読売の一発攻勢にうっちゃられた無念さは、今も記憶に新しい。あの試合に勝っていれば、日本ハムは読売を下して日本一になっただろう。だが、そんな試合に紙一重の差で負けるところが梨田昌孝らしいと思った。

今年、おそらく日本ハムソフトバンクに及ばずペナントレースを終え、クライマックスシリーズを第1ステージから戦うことになるだろう。ダルビッシュは今季絶好調だが、仮に相手があの「わしが育てた」のおっさんのチームになる場合、向こうにはマー君と岩隈がいるから予断を許さない。ダルビッシュと田中・岩隈の直接対決を避けられたら日本ハムは苦しいのではないか。また、岡田彰布が率いるチームが相手になる場合も、岡田にも同じように早々と阪神監督退任を発表した2008年のクライマックスシリーズ第1ステージで、シーズン中カモにした中日に敗れた経緯があるから、それなりに興味深い。

おそらく野球人生最後になるであろう梨田昌孝ポストシーズンは、果たしていかなるものになるのだろうか。