kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

北杜夫死去

北杜夫といえば70年代半ば頃には5歳年上の遠藤周作と対比されながらともに人気を博していた。2人とも東京生まれだが、遠藤周作は小学生時代を満州で過ごしたあと帰国後神戸(のち西宮)に住んでいたので、関西では、いや阪神間だけのことだったのかもしれないが、「地元出身の作家」として認識されていた。遠藤は旧制灘中学から三浪して慶応大学文学部予科に進んだが、慶応大学医学部予科の入試を受けると偽って文学部予科を受験したため父に勘当されたという。一方、北は旧制麻布中学から旧制松本高校へと進んだが、やはり父から医学部進学を厳命され、東北大学医学部に進学した。

面白いのは関西にゆかりのなかった北杜夫が熱烈な阪神タイガースファンとして知られていたことで、一方の遠藤周作プロ野球でどこのファンだなどと書いたことは、70年代までにはなかったと思う。遠藤周作晩年の1992年に、しばらく下位に沈んでいた阪神が優勝争いをした時にいくつかのエッセイで「阪神、頑張れ」と書いていたのを見てあれっと思ったが、北のような熱烈なものではなく、少年時代を過ごした阪神間の球団だから気になる、という程度のものだった。

私は遠藤周作と同じ阪神間の育ちなので、エッセイで中学時代のことにしきりに触れていた遠藤周作に親近感を持つようになり、中学時代の読書もまず遠藤周作から入ったし、その後も遠藤作品を硬軟取り混ぜてかなり読んだが、北杜夫の純文学作品をまともに読んだことはなかった。当時、北杜夫の名前を「遠藤周作の友人」としてまず認識したのだった。数か月前に北杜夫の代表作『楡家の人びと』が新潮文庫で改版されていたのを見かけて、そういえばこの作品はまだ読んでなかったな、一度読んでみようかと思っていたところだった。字が大きくなったぶん分厚くなり、従来上下巻だったのが3分冊になっていた。その時に買っておけば、北杜夫の生前に読むことができたかもしれない。私が遠藤周作を再発見したのは、遠藤の死の4年前、1992年のことだったが、北杜夫の方は彼の死に間に合わなかった。


楡家の人びと 第一部 (新潮文庫)

楡家の人びと 第一部 (新潮文庫)


中学1年生の時に最初に買った北杜夫の文庫本は、『船乗りクプクプの冒険』だった。


船乗りクプクプの冒険 (新潮文庫)

船乗りクプクプの冒険 (新潮文庫)


残念ながら亡くなってしまったが、今からでも北杜夫を読んでみたいと思う。