kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

東電原発事故が「収束」などしていないのは当然だが・・・

「野ダメ」(野田佳彦首相)の「原発事故収束宣言」だが、海外から疑問の声が寄せられていることをNHKや産経なども報じているとのことだ。事故が「収束」したなどと本気で信じる人は誰もいないだろう。

朝日(12/17)の一面トップはもちろんこのニュースで、横の大見出しが「原発事故収束を宣言」、縦の見出しが「首相『冷温停止状態を確認』」、「国際公約通り年内に」とある。
http://www.asahi.com/politics/update/1216/TKY201112160368.html


1面には「異常な状態 変わりなし」という見出しの竹内敬二編集委員の論評記事も出ている。この竹内記者は、東電原発事故の翌日(3月12日)、事故の深刻さをいち早く正確に指摘した。当時は「まさかそんな深刻な事故ではあるまい」という楽観論が多く、物理学者の多くもそれに加担していた。ネットで楽観的な予想を外して批判を浴びまくったのは菊池誠大阪大学教授だが、下記記事にも書いたように大槻義彦も醜態を晒した。
物理学者・大槻義彦の「老醜」 - kojitakenの日記


良い機会だから蒸し返しておくと、大槻は自身のブログにこう書いていたのだ*1

 今、3月21日午前11時の時点で言えば、これから1週間ぐらいで原発からの放射能の放散は止められ、収束に向かうでしょう。原発の問題はしばらくしてから総括しますが、ことここにいたっても私は強調します。『車は安全ではありませんが必要です。同じように原発は安全ではありませんが必要です』と。

大槻もまた、予想を盛大に外した。彼らに比べると長年原発事故や再生可能エネルギーの取材をしてきた新聞記者の方が、事故発生直後からよほど正確な認識を示していたわけだ。


で、今日の記事だが、竹内記者は「事態は楽観できない」、「通常の冷却システムが機能しない異常な状態に変わりはない」とはしながらも、下記のように書いている。

 例えれば生死にかかわる時期は脱したが入院中だ。再発リスクと不安は残る。
 ただ、事故後の混乱をここまで収めたことは評価できる。「命を削るような」(野田首相)現場作業の蓄積で得られたものだ。
(中略)
 しかし、本当の困難は今から始まる。最終的な廃炉まで30〜40年。その長い未知の作業に踏み出す。
 同時に、人と土地に対する本当の影響に向き合うことになる。故郷に戻ることができる地域、長期間戻れない地域などの線引きも避けられない。
(後略)


このあたりが冷静かつ妥当な論評だと私は思うのだ。東電原発事故発生直後には「リスク厨」と見られて批判を浴びまくった私が、いまや「リスク厨」を批判する立場に立つ。それは私が変わったのではなく、原発原発事故をめぐる空気が変わったのである。「リスク厨」から非難を浴びそうな竹内記者の記事を読んでそう思った。


「リスク厨」に拍手喝采されている群馬大教授の早川由紀夫は、昨日こんなTwitterを放った。
http://twitter.com/#!/HayakawaYukio/status/147605325992828928

福島を再生させると、この国は滅びるぜ。


早川の暴言に溜飲を下げる人たちは、長年チェルノブイリ原発事故を追い続けてきた広河隆一氏の映画『チェルノブイリ・ハート』に関する下記のコメントを読んでほしいと思う。


http://2011shinsai.info/node/1309

雑誌『DAYS JAPAN』2011年12月号編集後記より

2011年11月16日【編集後記(2011年12月号)】

原発は、あらゆる形の差別を引き起こす要因にもなる。それに取り込まれてはならない」(広河)

http://daysjapanblog.seesaa.net/article/235557323.html

チェルノブイリ・ハート」が評判だ。被曝した子どもたちの心臓欠陥多発の映画で、2003年アカデミー短編ドキュメンタリー賞を受賞した。放射能の恐ろしさを警告する映画だ。

しかし気になるところもある。障害を負った子どもたちが映し出され、「チェルノブイリ事故のせいですか」と取材者が聞き、施設の職員は「そうです」とうなずく。今から10年以上前、国内外の有力誌がいっせいに、「チェルノブイリで身体障害多発」という大見出しで、子どもたちの写真を掲載した。衝撃の報告だった。しかし私は驚いた。ちょうどその時期に、救援のため現地を何回も訪ねていたのだが、そうした話は聞いたことがなかったからだ。私は障害を負った子どもの写真を多く撮影したが、事故との関連が確信できなかったので発表しなかった。

次に現地を訪れた時、子どもたちの写真が掲載された施設を訪ねた。そこにはさまざまな障害を負った多くの子どもたちがいた。私は所長に「この子どもたちはチェルノブイリのせいで病気になったのですか」と尋ねた。所長は首を振った。「何人かはそうかもしれないが、ほとんどは関係ないでしょう。なぜならここには事故前から多くの子どもがいたからです。事故の後に1割ほど増えたかもしれないけれど」と言う。

雑誌や映画を見た人は、写っているすべての子がチェルノブイリ事故のせいで障害者となったと思ったはずだ。放射能はあらゆる病気の原因になる。遺伝子を傷つけるから出産異常も身体障害も引き起こす。だが、放射能の恐ろしさを訴えるためにこのような強調をしていいのだろうか。人は皆、健康でありたいと願う。親は子どもの健康を望む。けれども「身体異常の子どもができるから原発に反対だ」という言葉は、障害者に「自分のような人間が生まれないために原発に反対するのか。自分は生まれてはいけなかったのか」と考えさせるだろう。

原発は、あらゆる形の差別を引き起こす要因にもなる。それに取り込まれてはならない。(広河)

(参考)

広河氏編集による森住卓氏の写真集:『核に蝕まれる地球』

http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/2/0269710.html

森住卓氏のHP:新刊写真集『セミパラチンスク』(新版)の情報も

http://www.morizumi-pj.com/