kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

鳩山邦夫が自民党復党願を提出。「裏切りの人生」に新たな1ページを加える

あの「裏切りの人生」の男、鳩山邦夫がまたやらかした。

自民党に復党願を提出したのである。


http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00214013.html より。

2010年、自民党を離党した鳩山邦夫総務相が21日午後、自民党に復党願を提出したことが、FNNの取材で明らかになった。
復党願は、鳩山氏の代理が自民党本部に提出したもので、提出理由について、周辺は、福岡・久留米市の地元から「年内に復党してほしいとの強い要請があった」としている。
しかし、鳩山氏の復党をめぐっては、自民党福岡県連との調整のめどが立っていないほか、2010年3月、新党構想を掲げて自民党を離党した際に「自民党は賞味期限切れだ」などと語ったことなどから、党内に反発も強く、復党は困難との見方もある。
さらに鳩山氏の復党願提出をめぐって、自民党福岡県連元会長の古賀元幹事長が21日午後、谷垣総裁と会談し、復党を認めないよう強く要請したものとみられる。

(FNNニュース 12/21 16:57)


古賀誠が怒るのも当然だろう。


鳩山邦夫 裏切りの人生 - kojitakenの日記(2009年6月12日)より。

[旧民主党結党時に武村正義村山富市両氏を排除]

鳩山由紀夫・邦夫の兄弟が「排除の論理」と称して、さきがけの武村正義氏や社民党村山富市氏の民主党への参加を拒否。この動きに特に熱心だったのが、弟の鳩山邦夫だったことはよく知られている。

[東京都知事選立候補のためと称して民主党離党、その後なんと自民党入り]

そんなわがまま三昧の鳩山邦夫だったが、1999年の東京都知事選に立候補するためと称して民主党を離党。しかし、都知事選では民主党の支援を受けて戦った。結局都知事選は、「後出しジャンケン」で参入した、鳩山邦夫以上に卑劣な石原慎太郎に敗北。しかし鳩山は、都知事選後も民主党に戻らず、あろうことか自民党入りしてしまった。

[菅直人への「刺客」として衆院選に立候補]

民主党を裏切って自民党入りした鳩山邦夫は、なんと2003年の衆院選菅直人の「刺客」として東京18区から立候補。この時鳩山邦夫は、「あのような人物を一国の総理にするわけにはいかない」とほざいた。この選挙で鳩山は、一時は菅直人を上回っているとも報道されたが、結局地力の差が出て選挙区では落選、比例で復活した。


そのほかの鳩山邦夫に関する当ダイアリーの過去ログをあげておく。


鳩山邦夫が自民党を離党。平沼一派ら極右政治家たちとも連携か? - kojitakenの日記(2010年3月15日)


やはり! 平沼一派との連携を目指す鳩山邦夫 - kojitakenの日記(2010年3月16日)


「裏切りの人生」の鳩山邦夫、ついに小沢派に接近(笑) - kojitakenの日記(2010年12月12日)