kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

小沢一郎の「小選挙区制による保守二大政党制」の構想自体に問題があった

『きまぐれな日々』にトラックバック頂いた記事 早乙女乱子とSPIRITのありふれた日常 大阪都構想 僕の観点 より。

最近は小選挙区中心の選挙制度にも関わらず、多党化が進んでいる。
(以前にも書いたように、中選挙区制でも多党化していたが。比較的少ない票数でも当選できたからね。)
元々中選挙区の多党制であった55年体制では、自民党が万年与党。
それでは政党の新陳代謝ができないと、定期的に与野党を交代させるようにするため、小選挙区を導入し、与野党ひっくるめて政界再編をもくろんだのが、故・金丸信であり小沢一郎氏だった。


この認識は正しくありません。90年代の「政治改革」の直接のきっかけは、金丸信が「佐川急便事件」で失脚したために、その時点で既に竹下登を見限って金丸と組んでいた小沢一郎が窮地に陥り、その打開策を「小選挙区制を軸とする二大政党制」に求めたものです。金丸信は既に失脚していたので、90年代の「政治改革」には何も関わっていません。仮に、当時「悪の権化」のように言われていた金丸信が「政治改革」に関わっていたなら、人々の支持を得ることはとうていできなかったでしょう。小沢一郎は「佐川急便事件」のようなスキャンダルを、「政治に金がかかる中選挙区」のせいにする強弁を弄して、小選挙区制を実現するべく「剛腕」をふるったのです。

さらにいえば、小選挙区制は鳩山一郎(ハトマンダー)や小沢の師匠格の田中角栄(カクマンダー)に源流があり、いずれもその狙いは憲法改正の実現でした。なお、小沢は1985年の「創政会」立ち上げに際して田中角栄を裏切っています。

小沢は1993年に自民党を離党、新生党を結成して日本新党を抱き込み、連立政権を発足させましたが、消費税増税を強行しようとして連立政権の瓦解を招き、連立政権は1年も持たずに1994年に小沢は下野しました。

日本経済新聞論説主幹の水木楊氏は、『どこへ行った、「二大政党」論』の中でこれからのシミュレートを2通り考えているようだ。

年の暮れですから、これからの日本の政治がどんな方向に進むのかをシミュレートしてみましょう。
(シナリオA)
 多党化がどんどん進み、国民に苦い良薬を飲ませることを先送りし、政界の中心は、まるで校庭のつむじ風のように、くるくるとめまぐるしく動き回る。
 気が付いてみると、経常収支も赤字に転じ、大借金国・日本の国債は投機筋の餌食となり、ギリシャ化現象が到来。「救国」を掲げる政党が圧倒的多数で当選し、かつての自民党のごとき、一大政党が生まれる。民衆を貧困から救う政党と思いきや、「君子豹変す」で、資本移動の制限、緊縮財政を実施、表現や集会の自由にも相当の制限が加えられる。不死身の官僚は、再び権力を陰で操るようになる。 

(シナリオB)
 多党化現象の中で、きちんとした総合的な政策体系を有する政党が次第に支持を広げ、また同じ政策体系を持つ政党と合同して、権力を握る。日本で初めて政党政治らしい政治が展開される。
 与党の政策体系が明白なことから、野党も違いをはっきりした政策体系を打ち出さざるを得ず、健全な二大政党制が生まれる。


水木氏の元記事を読みましたが、大新聞の元論説幹部が書いたとは信じられない粗雑な議論に驚きました。水木氏は小選挙区制下で「多党制が進んだ」と言いますが、選挙が行なわれていない間に新党ができただけであって、それも「みんなの党」を除いては成功していません。議席数が数議席の小政党を持って「多党制が進んだ」と述べるのには無理があるでしょう。むしろ二大政党の寡占率が増し、なおかつ二大政党間の勝敗が極端になって、かつての「小泉チルドレン」、今回離党の雪崩を起こしている「小沢チルドレン」のように、必要のない政治家が多数国会議員になるようになった問題点を強調すべきではないでしょうか。

spiritさんは

Aのケースは日本に限らず、世界でも起きやすい。
現に大恐慌下での日本は、二大政党(憲政党と政友会)が国民の不満を吸収できず、軍部の台頭を招いた。
同じケースは第1次大戦後のドイツも同じ。
ワイマール憲法下でも分極的多党制(政党間イデオロギー差が大きい多党制)だったけど、ベルサイユ条約の賠償金に苦しむ国民の不満を吸収できず、やがて地域政党だったナチスが進出することになった。

と書いておられます。これはその通りだと思いますが、水木氏の「シナリオA」の要約にはなっていません。というのは、水木氏は「多党化がどんどん進」むことが「シナリオA」を引き起こすのだと言っているからです。問題の原因を二大政党制に求めようとは決してしていません。それどころか、「シナリオB」の最後に、「健全な二大政党制が生まれる」などと書いています。「まず二大政党制ありき」の論者であることが看て取れますが、これはとんでもない欺瞞だといわざるを得ません。

小沢一郎が推進した「小選挙区制による保守二大政党制」の構想自体に無理があったと結論すべきなのです。