kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

『巨人の星』と読売・阪神・中日

フィクションと現実(梶原一騎) - Living, Loving, Thinking, Again より。

巨人の星』の物語というのは巨人と阪神の(当時の政治世界における自民党社会党との関係にも似た)不均衡な二項対立を前提としている。
(中略)
巨人の星』のplausibility structureが弱体化したのは、高度経済成長が終わった云々ということだけでなく、寧ろ何よりもそれが前提としていた(上述の)巨人/阪神という二項対立、また「巨人」の権威というのが、その後のナベツネなどの努力にも拘わらず(というかナベツネの努力故に)崩壊してしまったからだろう。


これはいえてる。

巨人の星』でもっとも印象的なシーンの一つが、阪神タイガース花形満が「大リーグボール1号」を打ち砕く場面だが、これは阪神甲子園球場で行なわれた実際の試合を下敷きにしている。1968年9月の阪神対読売戦で、王貞治がデッドボールを当てられたあと長嶋茂雄がホームランを放って読売が阪神に圧勝したのが史実。

ところが、梶原一騎はこの試合に続きを設け、リードを奪った巨人*1が送ったリリーフ・星飛雄馬を打ち砕く逆転ホームランを花形が打ったあと、星の魔球を打ち崩すための特訓の無理がたたってグラウンドに倒れてしまい、その姿が阪神を応援する大観衆ばかりか、打たれた星飛雄馬をも感動させるという「阪神万歳物語」に作り変えてしまったのだった。

のち、梶原一騎は本当は阪神ファンだったのではないかという説が流れたほど、あの漫画では阪神が好意的に描かれている。一方、当時小学生だった中日ファンが書いたブログ記事を以前見たことがあるが、あの漫画では中日が「悪役」として描かれており、そのせいでブログ主は『巨人の星』が大嫌いだったらしい。「阪神は『良きライバル』として描かれているのにどうして中日は『悪役』なのか」というわけだ。私は関西に住んでいた子供時代の1971年に初めて名古屋に行った時、テレビで中日戦が中継されていたことに驚いた。当時は関西でも阪神戦ナイターはUHFのサンテレビが中継していただけで、VHF各局は読売戦を中継していたからだ。そんな名古屋では中日を悪役として描いた漫画は受け入れられなかったのかもしれない。

史実で読売の連覇を止めたのは中日だった。それをきっかけにプロ野球は戦国時代に入った。特に「江夏の21球」で有名な1979年の広島対近鉄日本シリーズは、それまで読売中心だったプロ野球のイメージを大きく変えた。この激変の嚆矢となった中日は、プロ野球界の「秩序の破壊者」だったといえるかもしれない。

巨人の星』でも悪役だった中日は、梶原一騎原作の漫画『侍ジャイアンツ』の連載をも打ち切った。当初から、読売の連覇が止まったら連載が打ち切られることに決まっていたらしい。そして、1974年の秋、中日の優勝が決まった。その直後、『侍ジャイアンツ』の最終回で、主人公の番場蛮はマウンド上で死んだ。この回が掲載された『少年ジャンプ』の発売日は、長嶋の引退試合の日だったらしい。この時「巨人の権威」もまた死んだのである。

死者を蘇らせることはできない。ナベツネの「努力」はしょせんムダなあがきだった。

*1:劇画の中の話なので、私が普段用いる「読売」ではなく「巨人」という呼称を用いる。