kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「原発推進」の元朝日新聞記者・大熊由紀子、未だ転向せず

ゆきおとゆきこ - kojitakenの日記 で、元朝日新聞論説委員・大熊由紀子について書いたが、その日というか昨日(1/18)の朝日新聞夕刊掲載「原発とメディア」連載第69回に、大熊由紀子の現在の見解が掲載された。連載記事を書いている上丸洋一編集委員の長時間インタビューに応じたとのこと。以下同記事から自由に引用する。

大熊は1979年に米スリーマイル島原発事故が起きた数か月後、「エネルギーが不足した時にまず第一にしわ寄せを受けるのは(社会の)下積みの人です」と語ったそうだが、その見解は今も不変とのこと。東電原発事故については、1976年の朝日新聞連載記事「核燃料」を書いた時に想定していたのは強烈な地震(の揺れ)であり、津波のことを思い浮かべなかった不明を恥じていると言う。

科学部在籍当時に書いた記事について大熊は、「原発廃絶」(今の言葉では脱原発)の主張に従わなかったのは確かで、それは反原発に傾くメディア全体への挑戦だった、「推進側に寄り過ぎ」というのは根拠の薄い、不正確なレッテル張りだと反論している。

大熊由紀子は未だ「転向」はしていない様子だ。ある意味潔いと思った。

一方で、1991年の青森県知事選で保守分裂選挙になった時に自民党幹事長として「核燃料サイクル基地建設推進派」を支援し、現地入りして対立候補陣営を締め上げ、劣勢との下馬評だった「推進派」を当選させた男、2007年に民主党の政策をそれまでの「両論併記」的な「慎重に推進」から積極的な原発推進へと転換した男が、東電原発事故が起きるや突如「転向」し、手の者を使って週刊誌に自身が「脱原発」派であるかのようなヨタ記事を書かせたり、「脱原発」に目覚めた少女アイドルに手紙を送るなどという破廉恥なパフォーマンスを繰り返している。

大熊由紀子と小沢一郎のどちらがこれまでの日本の原発政策により深刻な悪影響を与えたかというと、それは圧倒的に小沢一郎の方だろう。それを考えれば、大熊由紀子は「敵ながらあっぱれ」と思えなくもないのである。