kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

ドラマ『運命の人』きょう最終回

今日(3月18日)最終回のTBSドラマ『運命の人』は、なんと「2時間スペシャル」らしい。結局このドラマを、第1回の冒頭数十分を除いてずっと見てしまった。平均視聴率11%ほどの不人気ドラマらしいが、40年前に時の権力(佐藤栄作政権及び検察)や『週刊新潮』などのイエロージャーナリズムによって密約*1が男女関係にすり替えられ、西山太吉・蓮見喜久子両氏、特に西山氏への悪いイメージが定着していたことを考えると、事件を新聞記者側から描いたこのドラマが視聴率を上げることは難しいだろうと最初から予想していた。

当ダイアリーがこのドラマを最初に取り上げたのは、1月28日付記事「西山事件」を拡大させ「原発推進派」の過去に頬かむりする横路孝弘 - kojitakenの日記だが、翌日放送されたドラマの第3話以降、毎週日曜日の夜9時になるとアクセス数がはね上がる現象が起きた。それは、上記の記事に引き続き、本多勝一と小沢一郎と横路孝弘、それに「西山事件」裁判で見せたナベツネの意外な活躍など - kojitakenの日記を皮切りに、ナベツネ渡邉恒雄)や澤地久枝が事件当時に書き、語ったことを紹介するシリーズ記事を公開したためもある。

サンデー毎日』に掲載された、ナベツネが「ブチ切れた」という「寄稿」だが、その後のドラマでナベツネが異様なまでに美化されていることを考えれば、やはり「寄稿」が載った当初に私が抱いた、「手の込んだ番宣なのではないか」との憶測が正しかったのではないかとますます思えてくる。

なお、ナベツネが「全くの作り話」と主張している部分に関してはナベツネの書く通りであり、それはナベツネが読売の論説委員長に就任した70年代末当時にこの男の名前を知って以来、ナベツネを敵視し続けて30年以上になる私も認めるほかない。「敵」は正しく撃たなければならない。そもそも西山太吉が軍用地復元補償費400万ドルの日本政府肩代わりを報じた1971年当時、ナベツネは読売新聞ワシントン支局長だったのであり、西山太吉と取材合戦を繰り広げた事実はない。ナベツネアメリカで「糸と縄との取引」と言われ、核持ち込み密約と同様に若泉敬が密使として絡んでいた「日米繊維交渉」を取材していた。これらの点に関するナベツネの主張はその通りだ。ナベツネは「西山事件」が起きる直前の1972年1月に帰国し、読売新聞社編集局参与になったが、魚住昭が書いた批判的評伝によると「閑職」だったという*2。魚住によると、1974年6月26日付の人事異動でナベツネが編集局次長兼政治部長になった「読売政変」以降、ナベツネがそれまでの不遇から一転して権力の頂点に昇りつめたらしい*3ナベツネが『週刊読売』で西山擁護・蓮見批判の記事を書いたのはその人事異動の前で、裁判の証言を行なったのは人事異動後のこと。つまり、読売新聞の政治部長が法廷で西山太吉被告の弁護側証人として証言台に立ったのだった。

なお、魚住著の評伝には巻末に人名索引がついているが、「西山太吉」の名前は記載されていない。ナベツネの「西山事件」との絡みについては、『渡邉恒雄回顧録』に、ほんの少しだけ出てくる。


渡邉恒雄回顧録 (中公文庫)

渡邉恒雄回顧録 (中公文庫)


中公文庫版で717頁にも及ぶこの本にも人名索引がついているが、この本には「西山太吉」への言及が161頁、220頁、301頁、351頁の4箇所出てくる。このうち161頁の言及は、同姓の毎日新聞記者に関するもので、「この西山はもちろん、西山太吉とは違う」というもの。220頁の言及は下記。

僕(引用者註:ナベツネ)はきっかけは忘れてしまったけれど、大平さんと毎日新聞西山太吉記者と三人で飯を食う会を年中やっていて、仲が良かったんだ。

御厨貴監修『渡邉恒雄回顧録』(中公文庫, 2007年=初出は読売新聞社, 2000年)220頁)


351頁の言及も上記と同じ大平正芳との三人の会食の件。「西山事件」について語っているのは、301頁の言及においてである(下記)。

−− その頃、例の外務省機密漏洩事件(毎日新聞記者・西山太吉が蓮見喜久子外務事務官と情交し、沖縄返還協定に関する日米の密約の情報を入手し、スクープした事件)が起こりましたね。

渡邉 あの事件には僕も証人として法廷で証言した。僕は西山太吉を弁護したんだ。僕は、外交機密といっても、政府権力者が世論誘導やその他の思惑で、新聞記者にリークすることもあるということを言い、西山側の弁護士の尋問に応じて、例の「大平・金合意メモ」の特ダネを報道したときも、合法的に情報を入手した、と証言した。検事はおそらく、僕が韓国政府から入手したのだろうと知っていて、「あなたの特ダネのニュースソースはどの方面のものだったか」と尋問してきた。それに対して僕はとっさに「ニュースソースを秘匿するのは新聞記者の責務ですからお答えできません」と怒鳴った。裁判長はにやにやしていた。検事は「質問を終わります」と引き下がったよ。そんなことがあったな。

御厨貴監修『渡邉恒雄回顧録』(中公文庫, 2007年=初出は読売新聞社, 2000年)301頁)


ナベツネの話はこれくらいにしておこう。

実は山崎豊子の原作には、三木昭子・元外務省事務官(モデルは蓮見喜久子氏)に関する記述はさほど多くない。弓成(西山)記者が三木(蓮見)事務官に「ひそかに情を通じた」というのは必ずしも正しくなく、たとえば三木事務官が公電の写しをわざわざ渡米中の弓成記者にエアメールで送ったりしたのは、三木事務官が弓成記者の心をつなぎ止めておくためでもあったのではないかとの事件のとらえ方については、TBSのドラマ製作陣は、山崎豊子の原作小説以上に、ナベツネも「寄稿」で絶賛している澤地久枝の著書に負うところが多かったのではないかと思われる。そこで、当ダイアリーでは5回にわたって澤地氏の著書を紹介するシリーズ記事を公開した。


上記5件の記事へのリンクは、ネット検索による当ダイアリーへのアクセス数がもっとも多かったエントリ「西山事件」そのものより、蓮見喜久子元事務官のテレビ出演が毎日新聞にトドメを刺したのではないか - kojitakenの日記からも張った。5件の記事にはいずれも澤地久枝著『密約』へのリンク(下記)を張った。


密約―外務省機密漏洩事件 (岩波現代文庫)

密約―外務省機密漏洩事件 (岩波現代文庫)


一番最初に当ダイアリーから上記書籍へのリンクを張った時、「購入」は6人か7人、「クリック」は60回程度だった。この記事を書いている3/18現在、「購入」は39人、「クリック」は1,195回となっている。このうちどのくらいが当ダイアリー経由かはわからないが、ドラマを通じてこの本に関心を持ち、購入までされた方が大勢おられることを嬉しく思う。

いや、私自身このドラマが放送されなければ、「外務省機密漏洩事件」は「佐藤栄作が手前勝手な都合で自らの政権の体面を保つためだけの『密約』を男女の下半身の問題にすり替え、国民も権力のもくろみにまんまとはまってしまった事件」という以上の認識を持たないままだったに違いない。もちろんそれが問題の本質であるには違いないが、その周辺のいろいろなことを知ることができて良かった。後半になって史実はおろか山崎豊子の原作小説からも大きく乖離するようになったドラマの作りには疑問も感じるが、それでもドラマが放送されたことには意義があったと考える。

何より、34年前に千野皓司が澤地著『密約』を映像化(テレビ朝日の単発ドラマ)した時には高評価を得ながら再放送もされず、千野監督自身も2年間仕事を干されていたほどの自民党政権の「恥部」に触れる事件が、「事実を取材し、小説的に構築したフィクション」を映像化したドラマによってとはいえ10回のシリーズで、初回と最終回には時間枠を拡大してまで放送され、岡田克也西山太吉に謝罪し、首相の「野ダメ」こと野田佳彦も遺憾の意を表する程度にはなった。これは「前進」と評価されて良いだろう。もっとも「野ダメ」はその一方で「秘密保全法案」の提出に向けて準備を進めており、他ならぬ西山太吉を含む多くの人たちに批判されている。この無能な総理大臣の反動性には困ったものである。

*1:1972年の沖縄返還をめぐってアメリカが払うとされていた軍用地復元補償費を日本が肩代わりする密約。アメリカが実利を得て、日本政府は体面を保つというもの。沖縄返還前年の1971年、毎日新聞記者(当時)・西山太吉がこの事実をつかんだが、西山が入手した公電のコピーが社会党に流され、国会の質疑を経て事件に発展した。この密約自体は日本政府による巨額の肩代わり及び「核持ち込み密約」を含む膨大な密約体系の「氷山の一角」でしかないが、密約を世に知らしめるきっかけになった。

*2:魚住昭渡邉恒雄 メディアと権力』(講談社, 2000年)255頁

*3:前掲書265頁