kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

橋下支持層の中心は「新保守」と「リベサヨ」だ

これはちょっと違うだろうと思った。「きまぐれな日々」のエントリ「ナベツネは単なるワンマンマン、橋下徹の方が1万倍危険だ」*1 にいただいたコメント。


http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1246.html#comment14024

橋下市長が、南米の独裁者よろしく、金持ちや特権層を叩いて下層の人気を得、またバラマキをするような粗野なポピュリストかというと、実態としてはだいぶ違う気がしますし、彼のブレーンの顔ぶれを見ても、また彼自身を見ても、都市型の洗練されたスタイルをかなり取り入れてるし、むしろ都市部の無党派層向けだなあと思います。文化芸術への助成カットにしても何も「大衆のルサンチマンを刺激」なんて意図はなく(そもそも今日日古典音楽や古典芸能がそんな地位に無いと思いますが)、まさに彼の極端な市場主義イデオロギーから出ているものだと思います。もし在阪の楽団や劇団が世界に出て行って高い評価を受けたら、それこそ「これぞ芸術のあるべき姿」とかいって礼賛すると思います(やっぱり金は出さないと思いますが)。もちろんそうした市場主義自体が文化と相容れない部分が多いのは確かですが。


彼をはっきり批判しているのも、山口二郎氏のような自他ともに認める左翼論客くらいのもので、その次に距離を置いているように思えるのは、ナベツネや谷垣総裁(彼もヒトラーになぞらえたようですが)・岡田副総理、あるいは野田総理といったわりと昔ながらの保守派の系譜を継いでいそうなタイプです(そういえば、山口氏は二大政党は維新を利する解散阻止で談合せよといってましたし、岡田氏は大連立提案の席で「1年我慢すれば維新の会の化けの皮が剥がれる」といったそうですが)。逆に、自民党なんかには批判的だった中道からやや左くらいの人が、テレビなんかでも橋下批判をあまりしない、あるいは猫撫で声なのが、確かに気になるところです。


朝生ですっかり評判を落とした薬師院氏ですが(彼は別に「左派」ではなく、むしろ欧州を参照しながら日本の左派のあり方を批判してきた人です)、彼がいっていた批判は結構本質的でした。ビラの記述がすぐ撤回されたことをもって、一時が万事こんな調子だと鋭く批判したのですが…。あの朝生でも決して保守派ではない東氏が、「なんで橋下さんがこんなに批判されるのかわからない」といっていたのが象徴的でしたね。つまり、中道からやや左の都市型知識人に対しても、何かしら訴求力がある。政局的な話を抜きにしてストレートに政策を立て板に水で訴えるスタイルというのは、中央の政治家にはどういうわけかあまり見られないので、新鮮に映るのかもしれません。


2012.03.21 01:22 URL | ぽげむた@PC


だから橋下は南米の独裁者というよりヒトラーなんですよ、というのはとりあえずおいといて。


まず、橋下のブレーンで「都市型の洗練されたスタイルを取り入れた」中道やや左っぽい人というと飯田哲也をすぐ思い浮かべるけど*2、橋下自身は全然洗練なんかされてないでしょう。橋下というと真っ先に思い出すのは光市母子殺害事件における弁護団懲戒請求をテレビで煽ったことですが、「粗にして野だが卑でもある」ところが橋下の持ち味ですよ。橋下の発展形が「文化大革命」の毛沢東カンボジアポル・ポトじゃないですか。橋下のオーケストラ弾圧から私が思い出したのは文革中国のベートーヴェン批判でした。


それから、山口二郎が「自他ともに認める左翼論客」だというのは事実誤認です。私はたまたま山口の下記の新著を読んだばかりです。


政権交代とは何だったのか (岩波新書)

政権交代とは何だったのか (岩波新書)


ここで山口ははっきり自らを「中道左派」と規定していますよ。私は山口が主導した「政治改革」が日本の政治をダメにした元凶だと考えていますが、民主党に「社会民主主義政党」の夢を見た(民主党の実態は新自由主義政党以外の何物でもありませんけど)山口は、彼自身が書く通り「中道左派」と位置づけるのが妥当だと思います。なお、山口が主導した「政治改革」を評価しない私は、当然ながら上記の本にはほとんど説得されませんでしたけど、最後の第6章「民主主義へのシニシズムを超えて」の第3節「今そこにある危険−−民主主義への懐疑とローカルポピュリズム」の中で展開されている橋下徹及び河村たかしに対する批判には共感しました。山口によると橋下・河村ら「ローカルポピュリズム」の特徴は、第一は既成政党に対する不信とメディアを媒介した直接性への欲求、第二は政府機能への不信と公共負担に対する忌避、第三は見えやすい敵の設定と被害者意識をくすぐることによる大衆動員、第四は問題の単純化と議論の省略とのこと。私が繰り返し書いた「大衆のルサンチマンを刺激する」のは、山口の論点の「第三」に対応します。また、第一に関連して山口は下記のように書いています。

 人々は、議員や政党を介してではなく、リーダーに直接、思いを伝えたいという欲求を持っている。しかし、テレビ、特にワイドショーがリーダーの行動、言動を伝えることで、市民は擬似的な結合感を持つことができる。リーダーは個々の市民のことを知らなくても、市民はリーダーと親しいような感覚を持ち、それが驚異的な支持率の源泉となる。

山口二郎政権交代とは何だったのか』(岩波新書, 2012年)217-218頁)


立ち位置に関していえば、上記のように書く山口二郎を「中道左派」として、それより左に共産党がありますが、共産党は橋下を強く批判しています。「超左翼おじさん」のような、党の方針とは相容れない個人的な発言はありますが*3


さらに、ナベツネ渡邉恒雄)、谷垣禎一、「野ダメ」(野田佳彦)、岡田克也といった「保守」*4は橋下に批判的とのことですが、保守政治家の中でも、小沢一郎安倍晋三石原伸晃鳩山由紀夫原口一博といった連中は露骨に橋下にすり寄っています。「保守」は橋下に批判的で「中道左派」は橋下に親和的、というぽげむたさんの主張は実態に即していないと考えます。


無理に分類するなら、「新保守」と(濱口桂一郎氏が言うところの)「リベサヨ」が橋下を支持しているといえるでしょう。ネットでは「小沢信者」の橋下びいきが目立ちますが、たとえば下記ブログの運営者は自由党時代からの小沢一郎の支持者で、「新保守」に分類される人です。
http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-1291.html


それに、「小沢信者」の多数を占める(?)「全共闘」などの新左翼崩れの連中が加勢する。さらに、テレビを見て、具体的なことは分からないけれど橋下のキャラクターに親しみを感じる人たちがいます。後者が圧倒的多数なんでしょうけれど。で、結局「電波芸者」などのいわゆる「知識人」は大衆に迎合するんですね。


今の日本に「革新」政党の支持者なんてほとんどおらず、マジョリティは「保守」です。いくら「保守はきちんと橋下を批判してるんだ」と力説したって、結果を出せていないわけですから、説得力なんか全くありませんよ。

*1:http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1246.html

*2:飯田哲也は『世界』の常連執筆者ですし、東日本大震災・東電原発事故の前に同誌に書いた文章では新自由主義に対する批判的視座も感じられました。

*3:なお、松竹伸幸氏が現在も日本共産党の党員かどうか、私は存じ上げません。

*4:谷垣や「野ダメ」も一時橋下にすり寄ったことがありますが。