消費税増税を強く推進する朝日新聞が、今朝(4/4)の社説で消費税増税に反対する小沢一郎を批判している。
http://www.asahi.com/paper/editorial20120404.html#Edit1
賛成できるところの少ない社説だが、書き出しの部分だけは、なるほどと思わせるものだった。
西郷隆盛が好きで、大久保利通を尊敬する小沢一郎・民主党元代表は、リーダーシップのあり方を論じるのも好きだ。
みずからの政治塾での講義内容をまとめた06年の著書「小沢主義」に、こう書いている。「危機や難局に直面したとき、何よりも必要とされるのはスピーディな決断だ。ぐずぐずと合議に時間をかけ、日本的な『根回し』をやっているうちに危機はさらに深刻なものになる」
その10年前の著書「語る」ではこう述べている。「自分たちで選んだ総理なら、少なくとも任期中は総理のやりたいことをやらせるように協力するのが、民主主義のルールだと思う」
一貫しているのは、国民を率いる強いリーダーシップの確立をめざす姿勢だ。選ばれたリーダーがすべての白紙委任状を得るかのような主張に、私たちは与(くみ)しないが、小沢氏なりの思いは伝わる。
小沢氏は「そもそもの理念、公約に反するような行動をすれば別」との留保もつけるが、その発言からは「リーダーをいったん選んだ以上は、その人物の考える通りに任せる」という考え方が色濃くにじむ。
(後略)
何が何でも消費税を増税させたい朝日新聞の主張に、私は与(くみ)しないが、小沢一郎と橋下徹の類似を読者に連想させずにはおかないこの指摘には感心した。もっとも朝日の社説はこれに続く部分が全くいただけない。
私は今でこそ小沢一郎を全面的に批判する立場に立つが、かつてはそこまでではなかった。私が小沢に対する評価を悪い方に改めたのは、2010年6月の民主党代表選で小沢が新自由主義者の樽床伸二を担いだことがきっかけになっている。一方の菅直人を担いだのは前原誠司、野田佳彦(「野ダメ」)ら松下政経塾組であり、こりゃ菅が勝っても樽床が勝っても新自由主義政権にしかならないなあと思ったものだった。
さらに同年9月の民主党代表選では小沢一郎自ら立候補したが、やはり菅直人との政策の違いを強く打ち出すことができず、菅に完敗した。その後、昨年3月の東日本大震災で「雲隠れ」したかと思うと、出てくるなり倒閣運動に走り、6月の自公による内閣不信任案提出を煽った悪行の印象はあまりにも悪い。
粘る菅を振り切ってようやく政権から引きずり降ろしたあとの昨年9月の民主党代表選では、今度は原発推進派の海江田万里を担いで、やはり同様に原発推進派である野田佳彦との争いになったために「原発問題」は代表選の争点から外れた。
実はこれは一昨年6月の代表選で、樽床伸二を担いだことによって経済政策を代表選の争点から外したことと軌を一にする「小沢流」だ。私の解釈では、小沢は意図的に経済政策や原発問題を代表選の「争点」から外した。さすがに海江田擁立にはさしもの「小沢ガールズ」からも猛反発を食ったようだが、小沢は「(海江田を)俺だと思って応援してくれ」と配下の者たちに言ったという。「小沢ガールズ」たちはそれに従った。
小沢は、「そもそもの理念、公約に反するような行動をすれば別」というが、一方で「国民の生活が第一。」とのスローガンを掲げながら、「減税真理教」(=日本版ティーパーティー、強者への逆再分配)を掲げる河村たかしを援護したり、「フラットタックス」(定率課税)を掲げる橋下にすり寄ったりする行動は、「そもそもの理念、公約」に反しているのではないか。
いや、実は小沢の「国民の生活が第一。」の標語の方が、小沢の「そもそもの理念、公約に反するような行動」なのかもしれない。そう解釈した方がすんなり理解できる事柄があまりに多過ぎる。