原発再稼働に関する朝日新聞のスタンスは、「すべての原発を動かさないのも、多くの原発をなし崩しで再稼働するのも現実的ではない」と書いた、14日朝刊1面掲載の竹内敬二編集委員(元論説委員で、原発推進に傾斜していた大熊由紀子元論説委員らが敷いた社論の路線を「慎重論」に転換した記者)の記事に端的に表れていると思われる。
「朝日新聞デジタル」ではこの記事をもったいぶって有料にしていて、冒頭の数行しか読めない。
国民の不安、置き去り
■竹内敬二(編集委員)
原発事故で失ったものの大きさに比べ、再稼働への議論が軽すぎないか。
ほんの1年前、日本は「どこまで放射能が広がるのか」という緊張と恐怖の中にいた。今も16万人が故郷を追われ…
記事を全文引用すると朝日新聞社から文句を言われそうだから要点だけ紹介すると、
- 事故の検証と総括がないまま再稼働すれば、再び大事故が起きるのではないかとの不安が消えない。拙速といわざるを得ない。事故の分析をふまえた根本的な安全対策や基準はまだできていない。
- 政府が夏までに打ち出すとしている新しいエネルギー政策の方針が示されないまま、原発の再稼働が旧来のやり方で議論されている。
- 電力不足について、政府や電力会社は突き詰めた電力需給のデータを示していない。
- 現在稼働中の原発が1基しかない背景には「原発を減らしたい」という社会の意思があるが、すべての原発を動かさないのも、多くの原発をなし崩しで再稼働するのも現実的ではない。
- 政府はまず新しい規制機関を早く立ち上げ、情報の公開を徹底せよ。
- このまま政府が再稼働を押し切れば、国民との信頼関係は再び崩れ、炉心溶融を起こした東電原発事故に続いて、失敗を繰り返すことになる。
江川紹子や池田香代子の立場も、基本的には上記竹内記者と同じ「段階的な脱原発」と思われるが、関西電力の「電力不足」宣伝を鵜呑みにしてしまったり(江川紹子*1)、5月5日に稼働する原発がゼロになるかならないかの分岐点の影響を過小に評価してしまったり(池田香代子*2)と、結局彼女ら「小沢信者」あるいは「元小沢信者」の言説は政府や電力会社を助けるだけのものになってしまっている。
だが、曲がりなりにも「脱原発」の立場を鮮明にしている江川紹子や池田香代子はまだ「教祖」小沢一郎と比較すればはるかにまともだ。テレビ番組で「原発即時全停止は暴論だ」と発言した小沢一郎が、竹内記者が指摘したようなことをテレビでしゃべることができれば、あるいは視聴者に「小沢一郎=『脱原発』」という印象を与えることができたかもしれないが、小沢はぶっきらぼうに「原発即時全停止は暴論だ」としか言わないから、「小沢一郎=原発再稼働容認+原発維持ないし推進」だろうと多くの人に思われるのだ。もちろん私もそう思っている。思えば1年前の今頃は、「小沢一郎は隠れ『脱原発』派だ」という、「小沢信者」の宣伝が喧しかった。しかし今では、原発再稼働を容認しながら橋下徹にすり寄る小沢一郎にしびれを切らして、「我々は一大決心をしないといけない時がくる」*3との声が、ほかならぬ「小沢信者」の間からも上がるようになってきている。