kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

松田聖子と小沢一郎

松田聖子が3度目の結婚をしたという。

最初の結婚相手が神田正輝だったことはもちろん覚えているが、二度目の結婚相手は思い出せなかった。確か松田聖子が英語をしゃべれるようになったのはピロートークのおかげだったとか聞いたことがあるから、外国人だったっけと思ったら違っていて、

98年5月に交際2カ月で6歳年下のイケメン歯科医と再婚した。

のだそうだ*1。しかし2年半後に離婚し、今回が12年ぶりの再婚だそうだ。松田聖子といえば、郷ひろみとの破局騒動もあったからもっと何回も結婚と離婚を繰り返していたようなイメージだったが、意外におとなしいものだった。


再婚する人あれば、離婚する人あり。


http://shukan.bunshun.jp/articles/-/1442

 民主党小沢一郎元代表(70)の和子夫人(67)が、昨年11月に地元・岩手県の複数の支援者に、「離婚しました」という内容を綴った手紙を送っていたことがわかった。

 便箋11枚にも及ぶ長い手紙の中で、和子夫人は、昨年3月の東日本大震災後の小沢元代表の言動について触れ、「このような未曾有の大災害にあって本来、政治家が真っ先に立ち上がらなければならない筈ですが、実は小沢は放射能が怖くて秘書と一緒に逃げだしました。岩手で長年お世話になった方々が一番苦しい時に見捨てて逃げだした小沢を見て、岩手や日本の為になる人間ではないとわかり離婚いたしました」と書いている。

 手紙では、小沢元代表の愛人や隠し子の存在についても触れている。8年前に隠し子の存在がわかったとき、小沢元代表は和子夫人に謝るどころか、「いつでも離婚してやる」と言い放ち、和子夫人は一時は自殺まで考えたとも記している。

 そして、このように綴っている。

「それでも離婚しなかったのは、小沢が政治家としていざという時には、郷里と日本の為に役立つかもしれないのに、私が水を差すようなことをしていいのかという思いがあり、私自身が我慢すればと、ずっと耐えてきました。

 ところが3月11日、大震災の後、小沢の行動を見て岩手、国の為になるどころか害になることがはっきりわかりました」

「国民の生命を守る筈の国会議員が国民を見捨てて放射能怖さに逃げるというのです。何十年もお世話になっている地元を見捨てて逃げるというのです」

 こうした大震災後の小沢元代表の言動がきっかけとなり、和子夫人は昨年7月に家を出て別居を始めたという。その後も現在まで別居は続いているが、小沢事務所は「離婚の事実はない」としている。

 和子夫人はこうも綴っている。

「かつてない国難の中で放射能が怖いと逃げたあげく、お世話になった方々のご不幸を悼む気も、郷土の復興を手助けする気もなく自分の保身の為に国政を動かそうとするこんな男を国政に送る手伝いをしてきたことを深く恥じています」

 現在、消費税増税法案の採決をめぐって、小沢元代表は造反をちらつかせて野田政権を揺さぶっているが、和子夫人の手紙はそうした政治情勢にも大きな影響を与えそうだ。


小沢一郎東日本大震災の直後に「雲隠れ」したことについては、地下に潜って悪だくみの計略を練っていたものとばかり思っていたが、「小沢は放射能が怖くて秘書と一緒に逃げだしました」というのがもし本当だとしたら情けない限り。その真偽はもはや私にとってはどうでもよくて、あの東日本大震災小沢一郎の人望は地に落ちたという事実だけ確認できれば、細部の真相がどうであろうが知ったことではない。

今なお大スターらしいオーラを放つ50歳の松田聖子と、橋下にすり寄る老醜をさらすばかりになった70歳の「元剛腕政治家」小沢一郎とは、あまりにも対照的だ。