思うのだが、「○○○○○はアメリカの意向を受けて動く人間だが、○○○○はアメリカにものが言える人間だ」などというステロタイプな善悪二元論は捨てた方が良い。岸信介にせよ正力松太郎にせよ、CIAから資金援助を受けていたところで、根本的なところでは彼ら自身の信念に従って行動したのである。佐野眞一は、正力松太郎が "PODAM" というコードネームを持つ「CIAのエージェント」だと言われていることについて「それがどうした」と言う。正力はアメリカをも手玉にとろうという気概を持っていたというのである。その通りだと思う。岸信介にしたところで、CIAから金をもらってアメリカの意のままに動く「売国奴」だったのではなく、岸は岸なりに「国益に資する」と信じて60年安保の改定を強行したのである。このことを著書で指摘して、私の目を開かせてくれたのは、今ではおかしな方向に行ってしまった宮崎学である。
ましてや、1956年に「憲法改正の歌」を作った頃の中曽根康弘は、「アメリカ何するものぞ」の国粋主義者であり、原発の導入も「アメリカ様の意向に従った」ものでは毛頭なく、日本を強大な国家にするための政策だった。そういった「敵」の意図を正当に認めた上で、「敵」の主張や論理に批判を加えなければならないと思う。
以前にも何度も書いたと思うが、70年代後半をピークとする日本経済の絶頂期にアメリカで流行ったのは「日本脅威論」の延長線上にある「日本陰謀論」である。その論法によれば、アメリカにとって都合の悪いことは何でもかんでも「悪徳ペンタゴン」の一角を占める日本の陰謀だった。
今、「小沢信者」をはじめとする「アメリカ脅威論」の論者たちがやっていることは、上記の裏返しにほかならない。