kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

民主党が「勝ちすぎた」元凶はほかならぬ小沢一郎だ

小沢が民主崩壊を予言~衆院選で勝ちすぎた、に同感+山口県知事選に見る自民体質 : 日本がアブナイ! 経由で知ったのだが。


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120729/stt12072918000000-n1.htm

小沢氏が民主崩壊を予言?「衆院選、勝ちすぎだ」


 民主党が歴史的大勝で政権交代を果たした平成21年8月30日の衆院選の直後、小沢一郎代表代行(当時)はひそかに民主党の崩壊を“予言”していた。

 投開票の翌朝、小沢氏は側近議員の携帯電話を鳴らし、「2週間は地元であいさつ回りをするようみんなに言ってくれ」と指令を出した。そして、側近議員に「圧勝してよかったですね」と持ち上げられると、うなるように語った。

 「いや。これは勝ちすぎだ。あとになれば分かるだろう…」

 その小沢氏が今月、集団離党騒動を引き起こした。小沢氏は「オレは排除されて追い込まれた」と反論したいだろうが、自ら巨大与党を壊した。「民主党が大勝で慢心したんだ。含蓄ある言葉だったな…」。側近議員は今、3年前の小沢氏の警鐘を振り返る。

 47歳で自民党幹事長ポストに上り詰めた小沢氏は、「数の力」を知り尽くした政治家とされる。野党時代の民主党の代表に就くと、鳩山由紀夫菅直人元代表との「トロイカ」を中枢に据えながら参院民主党を執行部に取り込み、権力集中を図った。

 そんな小沢氏は、民主党を「烏合(うごう)の衆」とみていたに違いない。19年に自民党との大連立政権を模索した際、民主党を「さまざまな面で力量不足」と評した。「党内には『小沢嫌い』がいっぱいいる。どうせみんな離れていく」と語っていたことも、後に自民党森喜朗元首相に暴露されている。

 小沢氏の見立ては政権交代後、的中する。反小沢系議員は22年5月、勉強会名目で100人以上の民主党議員を集め、「小沢外し」を画策し始めた。この党内抗争は4カ月後の党代表選で、菅氏が小沢氏に競り勝ったことで雌雄を決した。



 「民主党衆院選で308議席も取ったんだぞ。勝ちすぎたんだよ。小沢が党を出ていったところでビクともしない」

 反小沢系議員の1人は当時、「小沢外し」の貫徹を宣言した。308議席は、反小沢系には「盤石の数字」と映った。小沢氏にとっては、せっかく築いた権力構造のタガを破壊しかねない「危うい数字」だった。数は同じでも、両者が見ている風景は違った。

 民主党は今や衆院で250人。単独過半数割れまで11人に迫り、政権を維持できるか微妙な数となった。消費税増税だけでなく、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉参加や原発再稼働でも党内の亀裂は深い。「野田佳彦首相は遠心分離機」。そんな社民党福島瑞穂党首の言葉は、もう冗談に聞こえない。

 さて、永田町の関心事は次の衆院選である。数の話を続ける。

 衆院選を経ても、政界再編が起きなければ、参院の各党の勢力図は来年夏の参院選まで変わらない。極言すれば、仮に「大阪維新の会」が衆院過半数をとっても、参院議席はゼロ。もう少し現実的に眺めると、自民党衆院選で政権復帰を伺う数を得ても、参院で多数を占めない限りあらゆる法案の成立が見通せず、「与党のうまみ」を十分に甘受できない。

 参院過半数を確保するには122が必要だが、現状では民主党自民党も90人に届かず、公明党は19人。参院の数から逆算すると、衆院選後の民自公連立政権は現実味を帯びる。その場合、民主党は与党第2党となる公算が大きい。「第2自民党」に成り下がった民主党に国民が再び歓呼することはなかろう。

 小沢氏は「政権交代可能な2大政党制ができなければ死んでも死にきれない」と公言してきた。だが、「2大政党制を死なせた政治家」として後世に伝えられるかもしれない。いずれにせよ、どこかの政治家が「勝ちすぎた」とうなる局面はしばらくなさそうだ。(斉藤太郎)


MSN産経ニュース 2012.7.29 18:00)


ブログ主は小沢一郎の発言に「同感」なのだそうだが、私は猛烈に腹が立った。「お前が言うな」と思った。その理由を、目立たないところにあるこのブログのコメント欄で、SPIRIT(スピリット)さん(「はてな」ではid:spirit55555さん)が代弁してくれている。

Commented by SPIRIT(スピリット) at 2012-07-30 18:23
勝ちすぎ、といっても、小選挙区はオセロと言われてますから、そうならざるを得ないでしょう。それの良し悪しは別として、小選挙区制を政治改革の名目のもと、勧めてきたのが小沢氏であることも留意すべきと思います。


その通りだ。民主党、そして2005年の小泉自民党の「勝ちすぎ」を招いたのは、小沢一郎自身が推進した、小選挙区制導入を軸とした「政治改革」である。小沢一郎は自分の責任を棚に上げていったい何を言っているのだ。私は怒りがおさまらなかった。