kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

橋下徹が取り込む「民意」には一定のバイアスがかかっている。そのバイアスこそ橋下自身の「極右イデオロギー」だ

やはりエントリを起こすことにしよう。


橋下徹は「極右」だ - kojitakenの日記 のコメント欄より。

id:hitokotoiitai 2012/09/08 11:05
私は、橋下自身が極右なのではなくて、常に国民の人気が出るように行動している=「民意に従っている」結果として、極右的に見えているんじゃないかと思いますね。
つまり極右なのは橋下ではなくて一般国民、橋下は一般国民に合わせているだけだろうと。
自分の思想がなく、常に国民の人気=「民意」を最優先に考えているから橋下は強い。
しかも、そのやり方も「一見強そうに見えるけど、実は弱い悪い奴をやっつけろ!」という如何にも大衆が喜びそうなやり方で。
「凶悪犯罪者を弁護する弁護士」「教員」「公務員」「原子力村」「生活保護」「韓国」みんなそうだ。
テレビの世界で鍛えられてきただけのことはある。


これまでの左翼は大衆に侵略戦争の責任を自覚・反省させようとして、大衆の反発を買っていた。
橋下はその逆をやっている。橋下にとって民意は常に正義。
これまでの左翼の中でも、「日本の侵略戦争責任の追及」など、やればやるほど国民の反発を買うだけだから、もうやめたいという意見がかなりある。
最近の中国や韓国を「偏狭なナショナリズム」だと非難する左翼(元左翼というべきか)は少なくない。
そういう人たちにとっては、戦争責任の問題は「棚上げ」にして、脱原発で橋下と組むことに何ら抵抗はないだろう。

この意見に対して私はコメント欄で反論した。一部加筆して以下に示す。

橋下自身が極右なのではなくて、常に国民の人気が出るように行動している=「民意に従っている」結果として、極右的に見えているんじゃないかと思いますね。
つまり極右なのは橋下ではなくて一般国民、橋下は一般国民に合わせているだけだろう

こういう意見をよく目にするが、これに関しては昨日の『世に倦む日日』のTwitterが正鵠を射ていると思う。


https://twitter.com/yoniumuhibi/status/244081594296569857

想田和弘の間違いは、主流の政治的価値観を内面化した者をノンポリという言葉で定義していることだ。ノンポリとは政治に無関心という意味であって、主流の政治的価値観を肯定した立場のことではない。主流の価値観の中身が右翼思想であるなら、正しくそう規定しないといけないのだ。ノンポリとは違う。


この指摘に加えて、橋下がいつも「民意に従って」きたかというと、決してそんなことはない。そこを見落としてはならない。

たとえば橋下が大阪府知事選に当選した2008年1月、『週刊東洋経済』は「北欧はここまでやる」と題した北欧特集を組んだ。同年秋にはTBSが竹中平蔵を呼んだ番組には「私はそんなに悪いのか」という副題がついていた。舛添要一は「日本人には高福祉高負担が合っていると思う」と発言したし、某経済学者は「転向」を表明して新自由主義を批判した。しかし、橋下はそんな「民意」は一切取り込まず、その「真逆」の政策を実行した。

つまり橋下が取り込む「民意」には一定のバイアスがかかっている。そのバイアスこそ橋下自身の思想であり、それは「極右イデオロギー」そのものだ。

そんなわけで、

つまり極右なのは橋下ではなくて一般国民

というご意見には全く同意できない。橋下は、日の丸・君が代の強制はしていても「皇国史観」の信者ではない。自分が一番偉いと思っているというか「独裁」を実行したいからだ。だが、「皇国史観」の持ち主でなければ「極右」や「思想右翼」と呼べないとは間違ってもいえない。ファシズムだって右翼思想だろう。


橋下徹は、「経済極右」(新自由主義)への傾斜が特に極端に強いけれども、「イデオロギー右翼」色も相当に強い、危険きわまりない政治家である。