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古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「階級都市」東京と小林信彦

私にとっての小林信彦エッセイの肝 - 一人でお茶を で、小林信彦が言及されている。私は小林信彦の読者ではないけれども、最近読んだ下記の本に小林信彦について書かれていたので紹介したい。


階級都市―格差が街を侵食する (ちくま新書)

階級都市―格差が街を侵食する (ちくま新書)


この本は、最初の3分の1ほどに当たる2章で、マルクス主義社会学者によるやや生硬な都市論が展開されるかと思いきや、第3章でなぜか突然ぐっとくだけて東京の「下町」と「山の手」の対比を始め、第5章では「階級都市を歩く」と称して東京の散歩を始める。港区の六本木ヒルズ界隈、文京区の東大本郷キャンパス界隈、かつては同じ区だった板橋区練馬区の境界などで、富裕層が住む区画と貧困層が住む区画がすぐ近くに隣接して分布している様子を描写し、散歩の最後にそれぞれの場所にある筆者お気に入りの居酒屋を紹介するというワケワカメな内容。新書本はこんな内容でも別に構わないのかもしれない。

小林信彦への言及は、第3章「異国の風景 - 『下町』と『山の手』の言説史」に出てくる。以下要約して紹介する。

小林信彦は1932年、東京・下町の日本橋区両国(現・中央区日本橋)に生まれたが、母親は山の手の赤坂区青山南町(現・港区南青山)から嫁いできていたため、自らを「山の手の人間と下町の人間の混血児(ハーフ)」と規定しているという。下町と山の手は、人々の職業から風俗・習慣・言葉まで異なっていて、「異国」と呼んでもおかしくない別々の世界だったそうだ(『私説東京放浪記』)。

小林信彦は、下町の自宅から山の手の文京区大塚にある国立大学の附属高校に通った。あるとき、級友と口げんかになり、「てめえ、薄汚ねぇ真似しやがって」と言ったところ、相手はぷっと吹き出し、「きみ、面白い言葉を使いますねぇ」と笑う。その目つきは、まるで「パンダの曲芸を見るよう」だったという(『時代観察者の冒険』)。

小林信彦の小説『イーストサイド・ワルツ』(1994年)や『ムーン・リヴァーの向こう側』(1995年)は、隅田川をはさむ両側に住む男女の悲恋物語だ。両作品とも、男が山の手の住人、女は深川の住人という設定になっている。

遡って昭和初期の人、今和次郎(こん・わじろう)は、やはり隅田川の両側を「異国」とみなしたという。今は東京都内の各所で通行人の観察を行った結果、銀座では洋服姿の男性が多く、新宿や渋谷では和服を着た買い物客の女性が目立ち、浅草では店員姿が目立った。一方、本所・深川では通行人の大多数が職人・人夫・小僧であり、全体の3%にも満たなかったそうだ。今は、「隅田川は東京にとって皮肉な川です。本所深川は東京の中枢部および山の手の人たちにとっては違う風俗の国なのです。現在文化人風俗の国ではないのです」と書いたという(『考現学今和次郎集第一集)』)。

橋本健二『階級都市』(ちくま新書, 2011年)86-91頁より要約)


この本によると、現在では下町の代表格のように思われている本所(墨田区西部)・深川(江東区西部)は、かつては「下町」にも入らない「場末」扱いだったという。戦後の1961年(昭和36年)に朝日新聞東京版に載った記事によると、明治・大正時代にはさすがに本所と深川は下町に数え入れられていたが、向島墨田区東部)や城東(江東区東部)はまだ下町の埒外で、これらの地域が下町に入るのは昭和初期である。さらに、記事が掲載された1961年の時点でも、足立区・葛飾区・江戸川区の都県境近くの地域は下町から除外されており、葛飾区東端の柴又も下町から除外された地域に含まれる。映画『男はつらいよ』の第1作が作られた1969年には、柴又は下町に入るか入らないかの時代で、山田洋次監督によると、かつて下総国葛飾郡柴又村だった柴又の古くからの住人は、上野や銀座に行くことを「東京に行く」と言っていたそうだ*1

よそから東京に来た私のような人間にとっては、そんなもんなのかと思うばかりである。現在は、かつての下町にも高層マンションがそびえ立っているが、大通りから少し入ったところにはかつての下町の風情が残っている。下町から高校に通っていた小林信彦と級友との口げんかの話は、作り話にさえ思われるくらいで、現在では下町の高校生などの口から「べらんめえ調」の江戸っ子言葉を聞くことなどほとんどできないのではないか。また、「きみ、面白い言葉を使いますねぇ」などという気取った山の手言葉にも、同じようにあまりリアリティを感じない。方言の消滅は、何も関西(特に阪神間などの都市部)や名古屋だけではなく、東京でも見られるのだなあと思うことしきりである。

ただ、それでも格差が縮小したわけでも何でもなく、格差はますます拡大してきている。それは、本書の他の部分で図表を交えて指摘されている通りである。

*1:同書118-121頁