kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

経済極右の長谷川幸洋と経済極左の今田真人はともに「トンデモ」だ

あの過激な新自由主義者東京新聞論説副主幹の長谷川幸洋がまた吼えている。


今回の参院選は与党勝利の「つまらない選挙」ではない 成長をめぐる歴史的選挙だ(長谷川 幸洋) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)

参院選の投開票日が迫ってきた。ほとんどのメディアは与党勝利を予想している。こうなると有権者も選挙への関心が冷めてしまい、投票率の大幅低下が心配になるような展開だ。それを前提に、固い組織票をもつ公明党共産党が善戦するのではないか、という見方も有力になっている。

 本当に、今回の参院選は「つまらない選挙」になるのだろうか。私はそう思わない。たとえ投票率が下がったとしても、長い目で見ると、実は日本政治に深い影響を残す選挙になるのではないか、と見ている。
 大げさに言えば、時代を画すエポックメイキングな選挙になるような予感がするのだ。


今回の選挙で問われているのは経済成長

 なぜかといえば、そもそも政治の目的の一つである「経済成長」が問われているからだ。この大問題について、与党と野党第1党である民主党の考え方はまったく異なっている。その点がはっきりしたのは、安倍晋三首相と海江田万里民主党代表の日本記者クラブでの公開討論会(7月3日)だった。

 安倍は「アベノミクスの副作用を強調しているが、どうやって経済を成長させるのか」と迫った。これに対する海江田の答えはこうだった。

「デフレや円高、株安のままでいいとは思っていない。経済の成長にとって大事なのは持続可能性だ。長続きする経済成長には国内の需要、健全な消費を拡大しなければならない」

「私たちは子ども手当や高校授業料無償化を通じて(子育て世代の)手取り額を増やすことに努力してきた。手取りを増やすことによって、一番消費を必要としている人たちに消費してもらい、持続的に経済が成長することを目指している」(一部略)

 ここが核心である。

 前々回のコラムで、民主党は「雇用や所得の増加、厚い中間層」という成長の結果を成長の源泉であるかのように取り違えている、と指摘した。

党首討論で、海江田はそこから一歩踏み込んで「子ども手当や高校授業料無償化を通じて消費を増やす」という考えを披露した。しかも、それが「健全な消費」という認識である。子ども手当も高校授業料無償化も元は税金だ。消費の源泉を税金に求めて、どこが健全なのか。

 税金を子育て世代に配って消費させるという政策は、所得の再配分にほかならない。

つまり、民主党は「所得再配分が成長を促す」という考え方である。世界標準の経済政策は「まず成長を目指して、次に所得を再配分する」と考える。まったく因果関係、優先順位が逆なのだ。所得再配分が成長を促すのだとしたら、政府の役割はひたすら高所得者や儲かっている企業から税金を徴収して、若年者や低所得者に配ればいいという話になってしまう。

民主党の政策はまさに、そういう構造になっている。だからこそ、前々回コラムで指摘したように「企業」という言葉は重要文書に1回も登場しない。民主党の頭の中で企業の役割はないかのようだ。


経産相経験者の枝野は「成長は幻想」という

同じ考えは海江田だけでなく、民主党の幹部たちが選挙戦を通じて繰り返し述べている。どれくらい本気でそう思っているのかと思って、たまたま枝野幸男事務所から送られてきた「叩かれても言わねばならないこと〜『脱近代化』と『負の再分配』」という枝野の著書を読んでみた。

そこには、こう書かれている。

「経済成長期は日本が手にするパイ、つまり富はみるみる増えていった。この時代の政治の役割は『富の再分配』だった。しかし、低成長時代に入って、パイの拡大は限られたものになった。現代はコストやリスクをどうやってみんなで公平に分担するのかという『負の再分配』の時代に入っている。私たちは、成長幻想や改革幻想といった夢から覚めて、その現実に向きあわなければならない」(一部略)

民主党政権官房長官経済産業相を経験した枝野が「成長は幻想だ」という認識なのである。簡単にいえば「もう低成長だからパイは増えない。夢は捨てよ。コストやリスクの分担を考えよう」という主張だ。控えめに言っても、枝野はパイをどう増やすかに熱心でない。

 これに対して、アベノミクスはデフレ脱却を目指して金融と財政のマクロ政策を総動員し、その後、中長期の安定成長を目指して規制改革を進めるという政策である。改革の進展具合に不十分さはあるが、もちろん景気回復も成長もあきらめてはいない。

 肝心要の経済成長について、自民党は言葉だけでも「全力を尽くす」姿勢なのに対して、民主党は「まず分配政策。成長幻想から覚めよ」と言っている。両党の考え方がこれだけ違ってしまうと、いまの段階では、とてもまともな議論にならない。根本が違うからだ。

 はっきり言うが、私も公正な分配は必要だと思っている。ただし、それはあくまで成長が前提である。成長なくして公正な分配だけを目指しても、ジリ貧になるだけではないか。15年デフレ、20年にわたる大停滞を経た日本に必要なのはジリ貧脱出政策である。

 デフレ下で税金を再配分するだけで、どうして成長が持続可能になるのか。ジリ貧が進行するだけだ。

自民党民主党の成長に対する考え方がこれだけ違っていて、有権者の判断が明確に示されてしまうと、負けた側(メディア予想によれば、おそらく民主党)は大きな痛手を被る。そうなると、選挙後は野党再編のような展開になる可能性すらあるかもしれない。

たとえば、民主党は成長重視グループと分配重視グループに分裂する。分配重視グループは社民党共産党、生活の党などと連携する。成長重視グループはみんなの党日本維新の会と連携していく。そんな展開である。それは悪い話でもない。


与党の圧勝は好ましくないが、しかし

民主党敗北がきっかけになって「成長こそが肝心」という認識が広まれば、政治の重要課題は少なくとも1つが「成長をどう実現するのか、なのだ」という点がはっきりする。そうなれば、成長政策をめぐる議論が活性化する。ひいては日本の政治全体が活性化するからだ。

私は経済成長を重視する与党が圧勝して、その状態が固定化するのは、けっして望ましくないと思っている。それでは政策論議の幅が小さくなってしまうからだ。野党も成長政策で競い合い、互いに政策を磨き上げていく形のほうがはるかに好ましい。
しかし、そのためには野党がまず「成長が大事」という認識で与党と共通の土俵に乗ってもらわなくてはならない。現状は残念ながら、与党と民主党の間でまったく認識が違う。その点は選挙戦の議論ではっきりした。これから有権者がどちらを選ぶか、審判が下る。
今回の参院選はつまらなくはない。成長をめぐる歴史的な選挙である。

(文中敬称略)


成長が先か、再分配が先かという「鶏と卵の論争」において、長谷川は「成長が先だ」と断定しているのだが、日本の高度成長も、もとをたどれば敗戦によって支配層(軍や財閥)が没落したところから始まる。そこから類推すれば、再分配が先というのは自明だろうと私は思っている。

ところで、この議論から思い出したのは、「デフレが先か、賃下げが先か」という論争である。1995年に日経連が出した「新時代の日本的経営」の真の狙いは賃下げだったと私は考えている。この「提言」は時期的にデフレに先立っているから、明らかに「賃下げが先」で、賃下げこそデフレ(というより「デフレ不況」)の原因だと私は確信しているが、この説に猛烈に噛みついているのが、自称「元全国紙記者の経済ジャーナリスト」、その正体は元「赤旗」記者の今田真人である。先日、「賃下げ デフレ」でググったら、「賃下げがデフレの原因」との説を猛烈に批判する今田の下記記事に行き当たったが、一読して呆れ返ってしまった。


論評「『賃金の下落がデフレの原因』論の荒唐無稽」(2012年8月5日)


呆れたのは下記のくだりである。

 率直にいって、勤労者の購買力が失われると(国民の需要が減少するということでもありますが)、企業が、その商品価格をそのまま下げるという因果関係は、現実には、あまりありません。
 一見、そういうふうに見える商品もありますが、それは、実質的に商品の中味を少なくしているのです。
 あるいは、格安バスの料金などのサービス商品の場合、安全確保のための支出を削るなど、サービス内容の質を落としているのです。
 例えば、ある企業が、たこ焼きを100箱売りたいとしましょう。
 1箱を200円で売っていたけれども、勤労者の購買力が少なくなると、なかなか1箱200円では売れません。
 そこで、1箱を150円に値下げして売ることにしました。
 この企業は、100箱を売るという計画ですから、こういう値下げをすれば、販売量もおそらく維持できるでしょう。
 しかし、この企業は、価格を値下げする際に、いままで1箱20個のたこ焼きが入っていたのを、そっと1箱15個入りに減らしたとします。これは、箱の外からは見えません。
 つまり、表面的に価格を下げたけれども、たこ焼き1個の価格は据え置いています。
 この例で示した、たこ焼き1個の価格こそ、マルクス主義経済学でいう、商品の価値なのです。
 この商品の本当の価値は下がっていないのです。
 一般的に、勤労者・消費者の購買力が弱くなる場合、企業、とりわけ、大企業が行うのが、こうしたトリック的な「商品価格の引き下げ」です。
 マルクス主義経済学では、商品の価格は基本的に、労働者が生産時に投入した平均的な労働の量(価値)で決まると考えます。


はっきり言って今田はアホである。値下げに伴って商品の内容量を少なくするなどのことがなされた場合、消費者物価指数はその影響を加味して算定されているからである。

この今田が、なぜ「元赤旗記者」と名乗らず、「元全国紙記者」などと自称しているかについては、何らかの事情がありそうだし、実際、いくつか面白い状況証拠を見つけたのだが、それはこの記事には書かないでおく。

この記事で言いたいのは、「『経済極右』の長谷川幸洋も『経済極左』の今田真人も同じ穴の狢、ともに『トンデモ』だ」ということである。「『右』も『左』もない。オレは『トンデモ』や!」と言い換えられるかもしれない。