kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「『維新は堺で終わるのか』…衝撃、開票0%の『敗北』」(産経)

堺市長選での大阪維新の怪惨敗は痛快だった。以下産経の記事を引用する。


http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130929/waf13092921470021-n1.htm

「維新は堺で終わるのか」…衝撃、開票0%の「敗北」


 開票0%でメディアが速報した「敗北」に、大阪維新の会が揺れた。無所属現職の竹山修身(おさみ)氏(63)と維新新人の西林克敏氏(43)の一騎打ちとなり、29日に投開票された堺市長選。報道各社は投票締め切りからほどなく竹山氏の「当選確実」を伝えた。大阪の選挙で負け知らずだった維新代表の橋下徹大阪市長にとって屈辱の瞬間。橋下氏頼みの維新の退潮が鮮明になり、大阪府大阪市で進める大阪都構想への影響も避けられない。「堺で終わるのか」。維新関係者はうめいた。

橋下氏「負けは認められない」

 午後8時、堺市堺区の西林氏の選挙事務所。テレビのテロップが流れた瞬間、スタッフは唇をかみ、重苦しい空気に。「全ては私の力不足。申し訳ありませんでした」。西林氏は会見で深々と頭を下げた。

 その後、橋下氏と維新幹事長の松井一郎大阪府知事が並んで会見。橋下氏は「竹山市政が評価されたのが第一。僕に対しての批判、反発が第二」と敗因を分析する一方、「(相手方が主張した)堺がなくなるというのは全く事実と違う」「いさぎよく負けは認められない」と悔しさをにじませた。

 橋下氏は敗戦の責任としての代表辞任の意思を問われると、「そんな辞めるなんて。また勝たないといけない」と語気を強めた。松井氏も「血みどろになってでも前に進んでいくのが、僕らに与えられた使命だ」と決意を語った。

 維新と国政政党の日本維新の会にとって、反維新・反都構想勢力と対峙(たいじ)する堺市長選は、絶対に落とせない戦いだった。党の顔である橋下氏が連日のように応援に入り、陣営内には楽観ムードもあった。だが、投票1週間前に「維新劣勢」の世論調査結果が相次いで出され、状況は一変。かつてない重圧の中で橋下氏と松井氏は声をからし、西林氏の体重は5キロ落ちた。

 維新府議らは29日も、西林氏の地元・南区の住宅街で「投票へ行こう」と書かれたのぼりを手に、「午後8時まで投票できます」と声を張り上げた。「投票率が上がれば奇跡は起きる」と自らに言い聞かせた。

 願いが届いたかのように投票率は前回を6・76ポイント上回る50・69%まで伸びた。しかし、堺市民の民意は維新に振り向かなかった。

『堺は一つ』“橋下都”葬り去る

 「維新に勝った!」。堺区の竹山氏の選挙事務所では、当確の一方とともに歓喜の声がわき上がった。事務所には、自民や民主、共産の国会議員や地方議員らが“呉越同舟”で詰めかけ、熱気に包まれた。

 「堺市民と維新との戦いだった。市民の勝利だ」。あいさつに立った竹山氏は興奮気味に絶叫し、「思想信条を越えて『堺は一つ』という大義のもとに集まれたのが勝因だ」と語った。

 竹山氏の勝利で、支援した反都構想勢力は勢いづく。自民の大阪市議は「(橋下維新は)堺市だけでなく、大阪の民意ですら離れている。(都構想の制度設計を行う)法定協議会で都構想の矛盾点をより鮮明に打ち出し、最後は葬り去る」と息巻く。

 維新と一定の協調路線をとってきた公明の関係者からも、風向きの変化を感じ取る声が上がる。「維新はやっぱり『ふわっとした民意』をつかんでいるだけだった。これからのことを考えたら自公でやらないと」

 橋下維新にとって、堺市長選は“原点”ともいえた。橋下氏は4年前の前回、大阪府幹部を辞めて出馬した竹山氏を知事として応援し、自民、民主、公明が事実上相乗りした当時の現職をねじ伏せた。その後、維新を立ち上げ、国政にも踏み出していった。

 原点で喫した敗北。「堺で始まり、堺で終わるのか」。維新の地方議員は、涙目で語った。

MSN産経ニュース 2013.9.29 21:45)

記事の結び、大阪維新の怪の地方議員が涙目になっていたという文章を読んで、改めて「ざまあ」と思ったことは言うまでもない。


ついでに4年前を思い起こしておこう。下記は、上原善広が『新潮45』2011年11月号に発表した「『もっとも危険な政治家』橋下徹研究 孤独なポピュリストの原点」からの引用。

 裏切りでは、二〇〇八年一一月堺市内のホテルで開かれた「木原敬介堺市長を励ます会」で、橋下はこう話している。
「木原市長は自治体トップの理想モデル、自治体トップの神様だと僕は思っています。木原市長が堺の市長である限りは、皆さんは日本一幸せな市民であると思っています。逆になくなれば、皆さんは不幸になるんではないかと思います。」(一部抜粋)

 その一〇ヶ月後、橋下は堺市長選において、府庁で自身の腹心である竹山修身・元政策企画部長を対立候補にし、自らも積極的に堺市に乗り込んで選挙応援を行った。そのとき橋下は「堺市は楽した馬、太った馬です。もっとムチを入れろッ」と、木原を揶揄した悪意ある演説を行う。結果は竹山が新しい堺市長となるのだが、裏切られた形の木原は、「橋下は生まれつきの詐欺師、生まれつきのポピュリストだ」と今も憤りを隠さない。(前掲記事39〜40頁)


こんな橋下が、今回は竹山修身を「裏切り者」呼ばわりして、前回の堺市長選に続いて現職を追い落とそうとしたが、同じ手は二度は通用しなかった。今回の堺市長選を機に、維新の怪と橋下が坂道を急転落してくれればと願う。