kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

90年先駆けて石原慎太郎を批判していた宮武外骨

週末に読んだ本。


震災画報 (ちくま学芸文庫)

震災画報 (ちくま学芸文庫)


「天下の奇人」宮武外骨の名は、香川県在住時代に知った。「宮武」は香川県に多い姓を挙げよと言われれば真っ先に思い浮かぶ姓だが、讃岐国阿野郡小野村(香川県綾歌郡綾川町小野)生まれの宮武外骨は14歳の時に上京して、以後は主に東京や大阪で活躍した。

本の内容の概要を出版社のサイト*1から引用する。

この本の内容

明治大正期のジャーナリスト宮武外骨による一味違った関東大震災の記録。筆禍事件で何度も投獄された外骨らしく、復興に対する政府の無能ぶりを激しく糾弾しつつも、その眼は市井の人々の生に注がれていく。尋ね人の掲示板と化した上野の西郷隆盛像、人の土地に建てたバラックを売るつわもの、皇居のお堀で沐浴する人々、「丸焼屋」の屋号で再開した飲食店、朝鮮人暴動説を流し虐殺に手を染める自警団…。そこには災害を乗り越えようとする人間の逞しさと、非常時ゆえにさらけ出されてしまう浅ましさがあった。猛火に包まれる寸前の本所被服廠の写真など貴重図版多数収録。


この本の目次

  • 論説
  • 地震学の知識概略
  • 上野公園に集った避難者
  • 尋ね人の貼紙
  • 上野山王台の西郷隆盛銅像
  • 吉原の遊女
  • 貧富平等の無差別生活
  • 東京を去った百万の避難者
  • 見聞雑記
  • 写真銅版の実景または図画〔ほか〕


朝鮮人暴動説を流し虐殺に手を染める自警団」とあるが、外骨はこれを批判しながらも自身が影響されていた記述が少なからずあり、「天下の奇人」といえども時代の制約による限界があったことがうかがわれる。

そういう瑕疵はあるけれども、これはやはり「天下の奇人」の名に恥じない仕事である。震災当月の第一冊から4ヶ月間で計6冊を発行した。そのパワーとバイタリティは、「『丸焼屋』の屋号で再開した飲食店」にひけをとらない。震災当時、9月1日の大震災当日に生まれた子どもに、男の子であれば「九一」や「震吉」、女の子であれば「ゆり子」や「しん」など、地震にちなんだ名前をつけた人たちが大勢いた*2というのは驚きである。本書には、一昨年の東日本大震災で叫ばれた「きずな」(あるいは「きづな」(笑))のような偽善的な物言いが全然出てこないところが良い。

とはいえ、東日本大震災が「水」の災害なら、関東大震災は「火」の災害。東京市においてとりわけ被害が大きかったのは神田、日本橋、京橋、浅草、本所、深川などの下町だった。中でも本所(現墨田区)の陸軍被服廠跡では3万人以上が焼死したという。本書からは離れるが、同じ地域は22年後の東京大空襲でも大きな被害を受けている。

関東大震災当時は、現在のようにインターネットの情報網が張り巡らされている時代ではなかった上、首都の機能を麻痺させた大災害であったため、要人の消息についてずいぶん大胆なデマが流布されたようだ。たとえば大震災の翌日に発足した山本権兵衛(ごんべえ)内閣の親任式があった当日(9月2日)、山本首相が暗殺された、兇漢は憲政会の壮士らしいと言う噂が流れ、茨城県水戸の新聞は大活字使用の号外を発行し、翌日の紙上にもまたその虚伝を業々しく掲出したという*3東日本大震災ではそのような派手な虚報はなかったが、私が思い出したのは、かの小沢一郎が一時消息不明で、釣りをしていて津波にさらわれたなどとする説が流れたことだった。雲隠れしていた小沢一郎は、ネットでこの風説が流れるやいなや、慌てふためいて声明を出して健在をアピールしたものの、震災直後の時期に、地元である東北の民を打ち棄てて雲隠れしていたことが、地元における小沢の信用を大きく失墜させたことは記憶に新しい。

しかし、本書において、もっとも強く東日本大震災に関する事柄を想起させたのは、本記事のタイトルにも掲げた下記の件である。

はてなダイアリー」で既にこの件を取り上げた記事があるので、本書への引用を借用する。

●天変地異を道徳的に解するは野蛮思想なり


自然に生じた吉凶禍福、これを道徳的に解釈するのは、原始民族の恐怖から起った宗教心の遺伝で、要するに野蛮思想の発露である。

 造化の大脅威たりし今回の大震災について「僥倖と虚栄とで腐爛せんとした日本を天帝が首府東京を代表せしめて大懲罰を加えたのである」とか「この天譴を肝に銘じて大東京の再造に着手せよ」とか「神様の懲らしめを忘れてはならぬ」とか云った人もあるが、我輩はそれを冷笑に附している。

 (中略)

 生存者ことごとくが善人ではなく、罹災者ことごとくが悪人ではない。しかるに、それを一律に天罰なり天佑なりとするのは、自然の不公平を無視する善悪混合の大錯誤で、自然科学を解しない野蛮思想の有害論である。

 虚業渋沢栄一が天譴説を唱えたに対し、文士菊池寛が「天譴ならば栄一その人が生存するはずはない」と喝破したのは近来の痛快事であった。


90年後に、軽々しく同様の発言を行う文士出身の都知事が現れるとは、さすがの外骨も予想できまい。嘆かわしいことであった。


その「文士」出身とやらの都知事を、その妄言を発した舌の根も乾かぬうちに都民が都知事選で圧勝させようとは、さらに外骨の想像を絶する出来事だったに違いない。人間とは全く進歩しない生き物であることがよくわかる。否、90年前の江戸っ子が持っていた反骨精神を失っている分だけ、さらにたちが悪いかもしれない。

*1:https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480095671/

*2:本書130頁, 232頁

*3:本書71頁

*4:但し引用文中の表記を一部修正した。本書では86頁に掲載。