kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

電波芸者・勝谷誠彦の落日

昨日は勤労感謝の日だったが、昔、といっても2006年のことだが、勝谷誠彦が同年9月23日の秋分の日に、当日を勤労感謝の日と取り違えたウェブ日記を公開し、間違いを指摘されたか自分で気づいたかは知らないが慌てて書き換えたことがあった。そのせいで勤労感謝の日になると勝谷を思い出してしまうことが多いのだ。

しかし、今となっては勝谷は落ちぶれ果てた芸人に過ぎない。その勝谷をおちょくってきたあるブログが、今年5月5日に下記の記事を公開していたが、半年以上も経った今日、これを初めて知った。


http://blog.livedoor.jp/manguhsai/archives/1832025.html

2013年05月05日
ありがとうございました。


お久しぶりです。
1年以上放置してすみませんでした。


読者の中には心配してくださっているいるかたもいるようですが、体を壊したとか政治的圧力がかかったとかいうことではありません。


休止の理由は本業です。
前半は寝る間もないほど忙しくて記事はおろかコメントにレスすることもできませんでした。
ヘンな言い方ですが、長く書けないでいると、ここに寄り付くこと自体が怖くなってコメント欄に目を通すこともできなくなって行きました。
後半には、小沢裁判やら総選挙やらがあって、「絶対書かなくては」という気持ちにはなったんですが、やはり仕事等でタイミングを逸してしまいました。モチベーションは下がる一方でした。


「本業が忙しいのは結構なこと」。確かにそうなんですが、フリーのフィギュア原型師なんてたいがいワーキング・プアなんですよ。まったく割に合わないぐらい実入りが少ない。しかも不安定だし。
私の取り引き先は海洋堂だったんですが、このバカメーカーにほとほと嫌気がさして袂を分かちました。現在は孫請け仕事でなんとか食いつないでいますが、もうかなり危ない状況です。実際この仕事を続けて行けるかどうかの瀬戸際と言ってもいいと思います。


実は私、今年年男なんです。もうすぐ48歳です。勝谷氏より5つ年下ですね。それで転職っていうのもまず不可能だと思いますし、できればこの仕事でなんとかやって行きたい。それで今いろいろと努力しているところです。
私には女房も子どももいません。兄弟もいません。きっと孤独にのたれ死ぬんでしょう。それはどれぐらい先なんだろう? あとどれぐらい生きてどれぐらい作品を残せるんだろう? そう考えることも多くなった高齢原型師、できるだけ時間はモノを作るために使いたいなぁと思うようにもなりました。


まあ、そんなこんなで、最近はこのブログを続けるか終わらせるかでずっと悩んでいました。
そこに「勝谷氏『そこまで言って委員会』降板」というニュースが飛び込んできて、これで決心がつきました。


何があったかわかりませんが、降板はやしきたかじん氏の意向によるものでしょう。少なくとも同意はあった。見捨てられたわけですね。
これで関西の番組で残っているのは『あさパラ!』だけ。減ることはあっても、もう番組が増えることはないでしょう。
全国放送でもそれは同じだと思います。もう彼は大きなメディア(大マスコミw)からは消え行く人物だと確信しました。


それならこのブログの使命はほぼ終わった、もうやめてもいいだろう、そう結論づけました。


というわけで『勝谷誠彦様の華麗なる脳みそ』は今回でおしまいです。
やや点睛を欠いた感もありますが、こういうブログが書けて本当によかったと思っています。読者のみなさんのお陰です。ありがとうございました。

ブログ主の東田万偶斎さんからは、一度『きまぐれな日々』で勝谷をdisった記事にコメントをいただいたことがある。その記事は『きまぐれな日々』で最多のアクセス数があった記事だったが、数年前からアクセスログの詳細解析をやっていないから、通算でどのくらいのアクセス数があったかはもはやわからない。もちろん、最近では当該記事へのアクセスはほとんどない。

勝谷は、今年に入ってたかじんの極右番組を降ろされたあと、兵庫県知事選出馬をほのめかしたことがあったが、勝ち目がないと判断したらしくすぐに取り下げた。その後ほとんど人の噂にも上ることもなくなったが、Wikipediaを参照すると、現在勝谷が出演するテレビ番組は下記の通り。

テレビ

ラジオ

準レギュラー

勝谷はかつて森喜朗政権を批判したあと小泉純一郎政権を支持した。イラク人質事件で、勝谷は辛坊治郎以上の過激さで「自己責任論」を喚き立てたものだ。しかし小泉政権末期に小泉批判に転じ、一時安倍晋三への肩入れに傾いたが、親友・田中康夫の影響もあってか、第1次安倍内閣成立の少し前に小沢一郎へとなびき、安倍内閣支持の立場には立たなかった。このあたり、1年で潰れた第1次安倍内閣の惨状を見越した風見鶏ぶりが奏功したかに見えたが、小沢一郎の没落とともに居場所を失った格好だ。全国ネットのテレビ番組への勝谷のレギュラー出演は、日テレ『スッキリ!!』の月曜日放送分だけになった。

勝谷が安倍晋三から小沢一郎へと乗り換えたのは、安倍も小沢も似た者同士であることを示唆するものだが、もう勝谷も田中康夫も表舞台に戻ってこなくて良い。勝谷はまだ時たま東京や九州のテレビやラジオに出ているようだが、地元・神戸のサンテレビで、ほとんど誰も見ないであろう土曜日の番組を細々とやるくらいが勝谷の分相応だろう。