kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

田中将大の「ヤンキース入り」に大きな懸念

新年早々ウラディミール・バレンティンの逮捕という恥ずかしい事件があって、今年はもう野球のことを書くのを止めようかと思っていたが、現在話題の田中将大ニューヨーク・ヤンキース入りについて少しだけ書くことにする。

田中のヤンクス入りを知って、私は「あちゃあ」と思った。これはまた最悪の球団に入ってくれたなと。それは私にとってヤンクスがMLBでもっとも嫌いな球団であるせいもあるが、そればかりではない。

ヤンキースといえば多くの方が思い浮かべるのは松井秀喜イチローだろうが、私は違う。田中と同じピッチャーの伊良部秀輝井川慶である。伊良部は、当時の所属チーム・千葉ロッテと提携していたサンディエゴ・パドレス入りを蹴飛ばして、ゴリ押しでヤンキース入りした。それなりに活躍した時期もあったもののそれは短く、伊良部はトラブルを起こし続けたあげくヤンキースから放出され、日本に戻って2003年の阪神タイガース優勝に貢献したもののそれも長続きせず、同年の日本シリーズ福岡ダイエーホークスの強打線にサンドバッグのように滅多打ちされると翌年は開幕直後からリーグ戦でも全く通用しなくなり、あっさり阪神を退団した。そして現役引退から数年後、自殺してしまったのだった。また、やはり阪神で20勝を挙げた井川も、伊良部と同じ2003年の日本シリーズでやはり打たれ、翌年以降もロッテとの日本シリーズや中日との首位攻防戦になると決まって打ち込まれた頼りないエースで、田中将大と比較しては田中に失礼に当たるかもしれないが、ヤンキース入りして大失敗した投手である。井川は、MLBにおける日本人投手の評価を暴落させてしまった。岩隈久志MLB入りが1年遅れたのも井川のせいではないかと私は疑っている。井川は何年もマイナーリーグで過ごしたのち帰国したが、昨年パシフィックリーグ5位のオリックスバファローズでもローテーション入りも怪しい投手に成り下がった。

また打者でも松井秀喜ヤンキース入りした2003年から3年間は活躍したといえるが、2006年以降故障もあって急失速した。その後2009年のワールドシリーズで復活してMVPを獲得したもののその直後に放出された。イチローシアトル・マリナーズから移籍後、試合出場数が激減した。イチローがこのままヤンキースでプレイを続けた場合、「日米通算最多安打」の記録達成は微妙であり、私はイチローは他球団に移籍すべきだと考えている。

要するに、金権球団・ヤンキースは、見込んだ選手に大枚をはたく気前良さの当然の裏面として、少しでも結果を出せない選手には異様に厳しいのである。

田中将大は当初ロサンジェルスドジャース入りを希望していると見られていたが、大方の予想に反してヤンキース入りした。それは、両球団の補強ポイントで、ヤンキースの方が先発投手不足に悩んでいたという事情もあっただろうし、金銭的な問題もあったかもしれない。いずれにせよヤンキース入りが田中の当初の希望通りであったかといえば、おそらくそうではあるまい。

私は、田中は野茂英雄のイメージを抱いていたかもしれないと思っている。野茂は大阪出身、田中は兵庫県ではあるが、大阪府に隣接する伊丹の出身である。1995年に野茂がドジャースで初勝利を挙げた時、田中はまだ6歳だったが、野茂が二度目のドジャース時代に2年連続で地区優勝争いを牽引する活躍を見せていた2002〜03年には田中は中学生になっていた。アメリカ西海岸の気候は良く、開幕直後や秋口でもニューヨークなど東部の諸都市ほど寒くない一方、夏でも昼間は暑いが夜になると涼しく、何より関西や東京のような蒸し暑さがない。

だが、田中将大ドジャース入りはかなわなかった。多くのファンの期待に水を差すようで申し訳ないが、田中将大ヤンキース入りには期待よりも懸念が先に立つ。