kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

『楡家の人びと』と大日本帝国の「没落」

2011年に亡くなった北杜夫の代表作『楡家の人びと』を読んだ。北氏の訃報に接した時、『楡家の人びと』を読んでなかった、いつかは読まなければいけないと思った。それから2年以上経ってしまったが、やっと読めた。先週末から約1週間かけて読んだ。面白かった。


楡家の人びと 第一部 (新潮文庫)

楡家の人びと 第一部 (新潮文庫)


楡家の人びと 第二部 (新潮文庫)

楡家の人びと 第二部 (新潮文庫)


楡家の人びと 第三部 (新潮文庫)

楡家の人びと 第三部 (新潮文庫)


作家・北杜夫(1927-2011)が生まれ育った一家をモデルにした「楡家」の栄光から没落までを描いた物語。作家34歳から36歳にかけての作。描かれているのは第一次世界大戦終結の年である1918年(大正7年)から、第二次世界大戦終結の翌年、1946年(昭和21年)まで。つまり、楡家の没落と「大日本帝国」の没落はみごとに重なる。

坂野潤治は、幕末の1850年から敗戦までの日本の近代史を、改革・革命・建設・運用・再編・危機・崩壊の7つの時代に区分したが*1、これに当てはめると、1918年は「再編の時代」(1894-1924)の終わり近くに当たり、そこから「危機の時代」(1925-1937)、「崩壊の時代」(1938-1945)までが描かれていることになる。

楡一族の隆盛を築き上げたのは、一代にして「楡病院」を築き上げ、政友会所属の衆議院議員にもなった楡基一郎である。この人物は、作者の祖父・斎藤紀一をモデルとする。楡基一郎が衆議院議員になったのは、物語の幕が上がる前年の1917年であるが、次の1920年の選挙に基一郎は落選した。この時代は1925年の「普通選挙法」制定以前の「制限選挙」だったが、基一郎はその時代にあっても金をばら撒く「金権選挙」をやりながら、2期目の当選はできなかったのだった。この頃から早くも楡家の「没落」が兆す。

この楡基一郎というのはたいへんな「俗物」であるのだが、それでいて実に魅力的な人物だ。だからこの人物の晩年を描く第一部は、没落の過程にありながらなお「華」がある。だが、関東大震災の被災をなんとか最小限の被害で持ちこたえた楡病院が、翌年末の失火で全焼してしまう。史実も同じである。以下、Wikipedia「青山脳病院」から引用する。

1924年大正13年)12月29日、青山脳病院は全焼し、20名の患者が焼死した。院長で経営者の斎藤紀一が前年の衆議院選挙で資金の多くを失っていたこと、また、火災保険が失効していたことなどから、病院の再建は資金的に困難なものとなった。

さらに、開業時には野原であった病院の周辺もこの頃までには市街地として繁華になっており、精神病院を再建すること自体に近隣住民の反対が強まった。また、青山脳病院の土地はもともと借地であったが、地主からも土地の返還要求がなされた。さらに、当時の衛生行政を担当していたのは警察であったが、警視庁も精神病院の建設は郊外でなくては不許可とするという方針であり、青山脳病院の再建は青山からの移転を免れないこととなった。

1925年(大正14年)5月頃、移転先として松澤村松原(現在の世田谷区松原)を決定、もとの青山の地には小規模な脳外科の診療所を再建することとなった。この後、松原の精神病院は「青山脳病院 本院(松澤本院)」、青山の診療所は「青山脳病院 分院(青山分院)」と呼ばれた。


史実では斎藤紀一は1928年(昭和3年)まで生きたが、小説では1926年(大正15年)に死んだことにしている。物語では一族の次女が親の反対を押し切った結婚をして勘当されたのち夭折し、三女は親に望まない結婚を強制されて不幸になっていく。楡家の家族構成と実在の斎藤家との異同は詳しくは知らない。

第二部は昭和の初めから太平洋戦争開戦の日までを描く。楡家の二代目当主は基一郎の娘婿・徹吉であり、歌人にして精神科医として有名な斎藤茂吉をモデルとするが、茂吉の歌人としての側面は剥ぎ取られている。そして、なんと実在の斎藤茂吉が作中に登場するという凝った趣向を見せる。それは1940年(昭和15年)元旦の「朝日新聞」に掲載された「皇紀二千六百年」をほめたたえる歌の引用であった。以下小説より引用する。

 この年、日本は聖戦四年目を迎え、かつ皇紀二千六百年の祝典を迎えようとしていた。ゆゆしき二千六百という数字にかこつけて、あらゆる報道機関は純一無垢のわが国体を讃え、万世一系天皇をいやがうえにも神聖なものにし、一九四○年というずっと数の少ない西暦などはどこか遥か遠方へとおしやってしまった。
 たとえば朝日新聞社は毎年元旦の紙上にその年の計画を発表するのを常としたが、「紀元二千六百年本社の新事業」というのは次のようなものであった。修練橿原道場を奉献、全国官国幣社に国運隆昌祈願、奉納武道大会、日本体操大会、日本文化史展覧会……。長らく人気の的であった横山隆一の『フクチャン』は『ススメ、フクチャン』と改題され、アララギ派歌人斎藤茂吉は次のような歌を寄せた。「あめの下ひとつなるこころ大きかも二千年(ふたちとせ)足り六百(むつもも)の年」「もろごゑに呼ばはむとするもの何ぞ東亜細亜(ひむがしアジア)のこのあかつきに」
 中学校の入学試験にしても、この年から新考査法がとられ、学科試験はなく、内申書と口頭試問と体力検査だけになった。

北杜夫『楡家の人びと』第二部(新潮文庫,2011年改版)342-343頁)


北杜夫の父・斎藤茂吉もまた戦争に積極的に協力して戦意昂揚の和歌を多く作り、戦後に戦争責任を追及された人間の一人だった。

1940年は坂野潤治のいう「崩壊の時代」に既に入っている。対米戦争に入った第三部では徹吉の長女藍子の恋人である軍医・城木達紀の戦死が描かれるが、城木の日記が延々と記される。作者は実在の人物である海軍軍医・宮尾直哉の日記をずいぶん引用したものらしい。宮尾の日記は1992年に出版されたことがあるようだが、これに言及したネットの記事を見出すことはできなかった。


空母瑞鶴から新興丸まで―海軍軍医日記抄

空母瑞鶴から新興丸まで―海軍軍医日記抄


ネットで得られる情報が少ないといえば、第二部と第三部で活躍する藍子自身もそうだ。北杜夫(本名・斎藤宗吉)の兄・斎藤茂太(1916-2006)は有名な人だが、北杜夫に姉がいたこと自体私は知らなかった。Wikipedia「楡家の人びと」を参照しても、楡藍子のモデルは明記されていない。だから藍子は完全な架空の人物かと思っていた。ところがさらに調べてみると、北杜夫には姉がいた。さらには小説には出てこない妹もいるのだった。北杜夫晩年の「茂吉四部作」に書かれているとのこと。岩波現代文庫に入っているらしい。また新たな宿題ができてしまった。

『楡家の人びと』は、物語が進むにつれて、楡家も日本も坂道を転げ落ちるように没落していくので、重苦しさを増していくのだが、それを救っているのが北杜夫の文体である。叙述は思い入れにのめり込むことなく、時にユーモラスに時にシニカルに、淡々と物語を進めていく。時代考証には当時の新聞、特に朝日新聞と都新聞(東京新聞の前身)を使ったとのことで、あの安倍晋三の親戚・松岡洋右の言葉を見出しにした「連盟よさらば」も出てくる。また1923年、斎藤茂吉ミュンヘンに滞在していた時にヒトラーが起こした叛乱(「ミュンヘン一揆」)なども作中に取り入れられている。こうしたことの興味深さもあって、作品が陰鬱さに押しつぶされることは全くない。明治以降の日本文学史においても屈指の傑作であるとの世評を得ているだけのことはある。

北杜夫がこの小説を書いた1961〜63年は、日本の高度成長時代の前半期に当たる。その時代に、作家は自らが生まれ育ったかつての名家の没落をモデルにした畢生の大作を書いた。

坂野潤治は、戦後日本は既に「崩壊の時代」に入ったという。以下、毎日新聞に昨年掲載された坂野氏のインタビュー記事より。

 「危機の時代は小泉純一郎政権から野田佳彦政権まで。第2次安倍晋三内閣で崩壊の時代に入りました。みなさん、今はアベノミクスに満足しています。昨日もタクシーに乗ったら、運転手さんが『いい時代になりました』と言っていました。安倍内閣の支持率が70%近くという世論調査の結果は正しく反映していると思う。しかしその先に何があるのかなんて誰も想像できません。未来がなくて、今の状態だけに満足している」

 今が戦前の第1次近衛文麿(このえふみまろ)内閣が発足した崩壊の時代の始まりと重なって見えるというのだ。近衛内閣はあらゆる政治勢力を包摂して発足し、異議を唱える者が絶え果てた時代という。確かに今も巨大与党に対抗する勢力の衰退が止まらない。「あの時は戦争に負けて焼け野原になったように崩壊の形が目に見えた。しかし今回はこの国の体制がどういう形で崩壊するのか、その姿すら浮かびません」

毎日新聞 2013年4月22日付夕刊「特集ワイド:豊かさとは 歴史学者坂野潤治さん」より)


今の「崩壊の時代」の独裁者が国際会議の場で「現在の日中関係第一次大戦前の英独関係と似ている」との妄言を放って国際社会から批判と失笑を浴びるかたわら、かつての「崩壊の時代」の愚昧な指導者の孫が、日本を「ぶっ壊し」たトンデモ元宰相と組んで首都の首長選に立候補したものの、日本を代表すると思われていた名士たちを含む東京の「リベラル」たちの応援を得ながら敗色濃厚という、どこからどう見ても狂いに狂ったこの時代にも、没落する「名家」があり、そこからいつしか第二の『楡家の人びと』が生まれることがあるだろうかとの問いが脳裏をよぎったが、どう考えてもそんな文学作品が出てくるだけのものが今の日本に残っているとは想像できないのだった。

*1:坂野潤治『日本近代史』(ちくま新書,2012)