kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「山中教授ES細胞論文『正しい』 生データなく謝罪」(共同通信)の報道に思うこと

とうとうこんな騒ぎになってしまった。

先月、私が「小保方晴子の博士論文のコピペに粘着するネット言論」への疑念を表明する記事 小保方晴子氏への「バッシング」に持つ強い違和感(追記あり) - kojitakenの日記(2004年3月12日)を書いた時に懸念していたのはこういう事態だったのだ。

http://www.47news.jp/CN/201404/CN2014042801001882.html

山中教授ES細胞論文「正しい」 生データなく謝罪

 厳しい表情で記者会見に臨む山中伸弥京都大教授=28日午後、京都市左京区

 京都大の山中伸弥教授が海外の学術誌に2000年に発表した論文の画像や図表にインターネット上で疑義が指摘され、京大iPS細胞研究所が28日、「論文の報告内容が正しいことに疑いはない」とする調査結果を発表した。山中教授は記者会見し、関連の生データの一部が自身のノートから発見できなかったと明かし「研究者として心より反省し、おわびする」と話した。

 論文は、さまざまな組織や細胞に変化するマウスの胚性幹細胞(ES細胞)を使った解析データ。画像の類似や、図表のデータが整い過ぎており不自然との疑義が出ていた。
2014/04/28 21:21【共同通信

このニュースを知った「小保方晴子擁護派」は、「それ見たことか、『iPS細胞』の山中教授だってやってたじゃないか」と言うに違いない。しかし、これこそ私の最も恐れていた事態だったのである。

最初、小保方晴子「バッシング」を批判する記事を書いた時、大部分の読者は、小保方晴子を擁護する意図から発した記事だろうと思ったことだろう。事実、記事には「お前は科学というものをさっぱりわかっていない」等のコメントを多くいただいた。しかし事実は、小保方晴子のコピペがとんでもない代物であることくらい、私には十分過ぎるほどわかっていたのである。

というのは、私は博士課程には進まなかったが、大学の理科系の修士課程で、学会誌に掲載された論文(もちろん英語)をずいぶん読んだ経験があるから、報道で伝えられた小保方晴子の博士論文における「引用」がいかに酷いものだったかということくらいは十分に了解できたのである。正直言って、そんな程度で博士号がとれるのなら、俺にだってとれたよなあと思った。私が博士課程に進まなかった理由は大きく3つあって、最大の理由は己の能力のなさを痛感したからだが、他の理由として、修士課程における自らの研究テーマに打ち込めなかったこと、そして、実験系の研究室においては、ボスの学説が絶対であって、下々はそれに逆らえない、たとえば実験が仮説(理論)に矛盾していたら、それは仮説がおかしいのではなく実験結果がおかしかったのだと決めつける「ムラ社会」ともいうべき研究室のあり方に対する強い拒絶反応があった。だから、小保方晴子のような「研究者」は、そんな「ムラ社会」にあって、「ボスに心酔してしまった人間」が陥りがちな類型に過ぎない、と冷たく分析していた。これが私の本音である。

だが、「『コピペ批判』批判」をするのに、そんな本音を持ち出したら、立論のインパクトが著しく弱まってしまう。だから、前述のようなバックグラウンドは一切抜きにして、論点を強調する記事を書いたのである。もっとも、私は博士課程に進むことのできなかった人間だから、「お前は『科学』の何たるかをわかっていない人間だ」という批判に対しては、お説ごもっとも、としか返すことはできない。私が「科学」の本質を理解していないというのは、まったくもってその通りである(笑)。

それはともかく。

山中教授の一件については、そりゃ山中教授にだってそんなことはあり得るだろ、そんなの大した問題じゃない、という感想に尽きる。

同じように、小保方晴子のドクター論文のはちゃめちゃなコピペは、そんなものが博士論文の審査に通ってしまったこと自体はもちろん問題だが、「『STAP細胞』問題」の本質からは大きく外れており、そんなものを重大問題視しているとろくなことにはならないぞ、と私は思ったのであり、それが現実のものとなったのが、今回報じられた「山中教授の論文」の一件であると考える。

そりゃ誰にだってそういうこともあるよ。たとえば当ダイアリーの記事にしても、開設以来の8年弱でページビュー累計1千5百万件強、トータルアクセス数累計1千万件強、画面に表示しているユニークアクセス数累計770万件弱を記録しているものであり、それなりの自負を持っている。そして、他人の書いたものを引用する時には引用元を明記することなどは常々心がけている。しかし、時間のない時でも引用元を明記しないコピペで失敬したことはないかと言われれば、とてもではないがそんなことは言えない。

こんなことを書くと、またぞろ「お前が暇つぶしに書いているウェブ日記と神聖な自然科学の研究を一緒くたにすな」とばかり怒られるかもしれないが、本質的には同じ問題であると私は断言する。

以下はネットではなく漫画の例だが、読者から「Aが描いた某漫画の何ページの構図は、○○先生の某漫画の何ページの構図とそっくり同じである。だからAは○○先生から盗作したのだ」という手紙が寄せられ、それを漫画家A自身が確認したところ、なるほど驚くほどそっくりだったので苦笑したという話を、漫画家当人から聞いたことがある。これなどは、漫画家当人が過去に○○先生の漫画を読んだことがあり、その影響が無意識的に表れたものだったかもしれないが、もちろん盗作とはいえない。しかし、そんなところまでチェックするのがマニアというものである。しかも、今時はコンピュータを使ってこの手の詮索が可能なのである。

小保方晴子の「D論コピペ問題」については、私は「そんな枝葉末節*1にとらわれていたら、事の本質を見失うぞ」と言いたかっただけの話である。

*1:STAP細胞の存在の真偽」という大問題と比較すれば、小保方晴子の博士論文の、それも導入部分におけるコピペなど、些細な問題に過ぎない。