kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

宮本常一、網野善彦、差別そして民族

宮本常一の『忘れられた日本人』を読んだのは、2009年以降つけている読書記録を参照すると、2013年9月8日から9月14日にかけてだった。当ダイアリーには記録していなかった。


忘れられた日本人 (岩波文庫)

忘れられた日本人 (岩波文庫)


宮本常一を認識するようになったのは、佐野眞一が何度か言及していたからだったが、佐野の『旅する巨人』は未読。

『忘れられた日本人』を読む前に、網野善彦(1928-2004)の著書を3冊読んでいたが、その網野が『忘れられた日本人』の岩波文庫版(1984)の解説を書いていた。そして先日、下記の本を読み終えた。



左翼の網野善彦が保守的とされる宮本常一の文庫本の解説を書き、同じ本について語った本も出しているわけだ。

私は網野善彦の名前は90年代から知っていたが、その著書を読むようになったのは最近のことだ。没後10年を経ても網野の人気は高く、網野の本の文庫化は現在も活発だ。私が最初に読んだのは『日本の歴史をよみなおす(全)』で、これは上下本で出ていたのを、2005年にちくま学芸文庫が合本にして出し直したものだ。


日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)

日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)


私がこの本を読んだのは一昨年(2012年)だが、非常に興味深く読んだ。そんなタイミングで、同じ2012年に『歴史を考えるヒント』(2001)が文庫化されたから、これも読んだ。


歴史を考えるヒント (新潮文庫)

歴史を考えるヒント (新潮文庫)


昨年には、網野の代表作の一つとされる『無縁・苦界・楽』を読んだ。これは一般向けの本ではなく専門書であり、難解だったが、せっかく読み始めたのだからと、膨大な注釈を含めて全部読んだ。どの程度理解したかは全く心許ないが。


無縁・公界・楽 増補 (平凡社ライブラリー)

無縁・公界・楽 増補 (平凡社ライブラリー)


そして、『宮本常一『忘れられた日本人』を読む』を読む直前には、最近ちくま学芸文庫に収録された『列島の歴史を語る』を読んだ。これは、1982年から1996年にかけて神奈川・藤沢で行われた5回の講演会を収録したものだ。


列島の歴史を語る (ちくま学芸文庫)

列島の歴史を語る (ちくま学芸文庫)


私は中学や高校の頃から日本史は苦手学科であって、それは私の記憶力に問題があるためであり、要するに暗記科目全般が苦手だったのだが、おかげで歴史学の変遷については全くの無知だった。

網野善彦は、戦後間もなく石母田正や松本新八郎といった「史的唯物論」の立場に立つ学者の強い影響を受けて研究生活に入ったが、1953年にそれまでの自らの仕事の空虚さを痛感する出来事(具体的な内容は不明*1)があり、その同時期に、石母田らと同じくマルクス主義に依拠する歴史学者・安良城盛昭が放った、石母田らに対する痛烈な批判にも強い衝撃を受け、その後独自の道を追求するようになった。そして「網野史観」と呼ばれる独自の史観に立ち至ったとのことだ。網野善彦自身も終生マルクス主義者であったと思うが、歴史学の世界においては、「網野史観」が「史的唯物論」に支配されていた学界の主流の歴史観を覆したとの評価がなされているようだ。「網野史観」を「脱構築」だなんだとか言って批判する左翼がいる一方で、「網野史観」をも「古典左翼的イメージに固執している」として批判するのが、これまた左翼の渡辺京二であるあたりがまたややこしい。ネット検索で見つけた記事*2から引用する。

今まで、表だって網野善彦さんを批判した文章に触れたことはなかったのですが、今度、偶然に渡辺京二氏の「日本近世の起源」(弓立社)を読んで、その批判に接することが出来ました。

この著書の眼目は「中世自由論」を批判することにあると思うのですが、中世史の代表的な学者(それも進歩的)の一人である網野氏にかなりきつい批判が寄せられていました。

網野善彦の言説はその典型である(注=古典左翼的な)。周知のように彼は中世における「無縁」の原理に注目し、領主制の束縛を逃れようとする民衆の自由を保障する場として様々なアジールの存在を立証することによって、中世を家父長制的奴隷社会とみなした戦後左翼史学の壁に鮮やかな穴を空けてみせた。しかしその場合、彼の主張の主たる含意は、そのような中世民衆の自由が武士階級による全国支配の完成を通して圧殺されたという点にあった。彼が徳川体制について、武士領主階級による民衆の徹底的な抑圧という全く古典左翼的イメージに固執しているのは、世界に類をみない専制などという形容からしても明らかである。(同書P.20)

網野は才能ゆたかで多産な歴史家である。笠松宏至は言う。「網野善彦という人は、研究者としておよそウィークポイントの見つけ難い人である。知識、理論、創造力……、その上くずし字の解読にかけても一流以上の力をもっている」。ほかならぬこの人の言うことだから、私はそのまま信じる。ただ網野が繰りひろげる「理論」についてはそういうわけにはいかぬ。それは私の検討能力の範囲内にある。この人の理論化の能力が相当なものであることについても、私は笠松に同意する。ただその「理論」がおよそ私が同意しにくいというだけでなく、戦後左翼思想の頑固な枠組の衣替えとしか思えない以上、私は言うべきことを言っておかねばならぬ。(同書P.122)


記事に引用されている本ではないが、渡辺京二の『逝きし世の面影』も、昨年の年末から今年の年始にかけて読んだのだった。


逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)


網野善彦に話を戻すと、戦後間もない頃、網野が心酔していた石母田正や松本新八郎といった人たちが、アメリカ占領下の1950年頃にテーマとしていたのは「『アメリカ帝国主義』の支配に対して『日本民族の独立』を達成すること」*3だった。当時、歴史学研究会の中にも、国際主義を強調する「国際派」と、それでは植民地化されている日本の現状を考えることはできないとする「民族派」との対立があって*4、網野は「民族派」に属していたことになる。ところが、1953年に網野はそれまでの自分の考え方に大きな疑問を抱くようになり、「いままで私(網野善彦)が最高の価値を置いていたものがまるで無価値なものになり、いままでまったく目にも留めていなかったものに、非常に大きな、すばらしい価値があることに気がついた」*5という。

網野は「民族主義」に対しては、日本と大陸との人の交流が、古くから活発であったことを論証して、日本「島国」論を徹底的に批判する。そして、日本「単一民族国家」論に対しては、東日本と西日本では文化が大きく異なり、東は父系、西は母系だという*6。確かに、長州がルーツの安倍晋三は、父方の祖父・安倍寛や父・安倍晋太郎を蔑ろにして、母方の祖父・岸信介に心酔している(笑)。さらに、東日本と西日本とでは、民族が違うのではないかと思われるほど言葉の違いが大きいという。網野は、東西の言葉の違いに着目する大野晋の考え方を取り入れ、柳田国男の方言周圏論には否定的である。私は、北方からと西からの人の流れがあった一方、京都に文化の中心があったことから、両方の効果が重ね合っているのが実態だと考えている。

しかし、1970年に亡くなった阪大名誉教授・小浜甚次(こはま・もとじ)の論文を引いて、差別・被差別の問題を民族と絡めた下記の論考は、軽率との誹りを免れないだろう。

(前略)小浜さんは形質人類学の立場から日本列島の、東と西に住む人びとの差異をいろいろな角度から指摘されておられます。その中で私(網野善彦)がもっともショックを受けたのは、朝鮮半島人と、近畿、瀬戸内海沿岸の人びととがきわめてよく似ており、形質上は同じであると指摘されている点です。そしてそれに対して、山陰・北陸と東北の人びとと近畿人との差異は、朝鮮半島人と近畿人との違いに比べて、はるかに大きく、東北、北陸の人びとはむしろアイヌに近いと小浜さんは強調しておられます。これは頭部の特性、短頭、中頭、長頭をはじめ、身体的な特質から導き出された結論ですが、さらに衝撃的だったのは小浜さんの、被差別部落に踏み込んだ発言でした。小浜さんは大阪大学の方ですから、ここまで立ち入っておられるのですが、この論文の書かれた時期には、被差別部落民は朝鮮半島から渡ってきた人たちだというとらえ方をする人たちが、関西では少なからずあったと思います。これに対して、小浜さんはとんでもない誤りで、むしろ部落を差別している人びとの方が朝鮮半島人にそっくりで、差別されている被差別部落の人びとは、東日本人、東北北陸型の人びととむしろ形質上はよく似ているとされています。小浜さんは被差別部落の人びとが朝鮮半島からきたなどということはまったくの誤りだと強調されているのです。

 この時点で、小浜さんがこのようなはっきりした発言をされたことはたいへん画期的なことだと思います。もちろん小浜さんが、畿内人の中にあって被差別部落民は東北北陸型と似ていると指摘されていることを、どのように考えたらよいかという問題はのこります。小浜さん自身、データは小地域にすぎないという限定をしておられますので、今後さらに研究を深める必要があると思います。しかし、この指摘には私はたいへん驚くとともに、こうした視点は東日本と西日本の差異を考える場合にどうしても必要だと思いました。

網野善彦宮本常一『忘れられた日本人』を読む』(岩波現代文庫,2013)137-138頁)

「どのように考えたらよいかという問題はのこります」どころか、小浜甚次という人も網野善彦もともに(この件に関しては)大いに問題含みだと思う。

差別・被差別の問題に関して、ごく一部の事例や個人的な経験などを一般論に拡大して論じることは非常にリスクが大きく、避けるべきだと思う。この問題は千差万別だから、論じる場合には、それが「一つの例」に過ぎないことをどんなに強調しても強調しすぎることはない。たとえば、「畿内人」であった私の実例を話すと、すぐ近所に「朝鮮人部落」があり、1キロほど離れたところには「被差別部落」があったが、両者は截然と区別されていた。一方、このどちらかのみが近所にあるところに住んでいた人なら、両者を混同していた可能性があってもおかしくない。いずれにせよ、「小浜さん自身、データは小地域にすぎないという限定をしておられます」としながら、それを一般に当てはまるかのような印象を与えているのは、不用意に過ぎると思う。

このあと、話は東日本と西日本の同和教育の話に進み、東日本の人は全然同和教育を受けていないという話になる。しかし、西日本にあっても、地域が違えば、あるいは地域が同じでも学校によって、あるいは学年によって、受けた同和教育の「濃さ」は全く違うことに注意が必要だ。私は、学区変更によって同一市内の2つの小学校に通ったが、最初の小学校で「同和教育」を受けた記憶は全くない。しかし、小学校高学年時代に通ったあとの小学校では、「行き過ぎた同和教育」と批判されても仕方ない(実際、共産党が激しく批判していた)「同和教育」を受けた。それこそ、「石川青年を返せ」の類のビデオを見せられ、感想を言わされもした。もし、私がもう2学年上であったなら、「私も子ども時代は兵庫県だったけど、『行きすぎた同和教育』なんか全然受けなかったよ」と言っていたに違いない*7。つまり話は、同じ家庭の家族一人一人の間にさえ、「同和教育」経験には大きな違いがあるといえるくらい、本当に千差万別なのである。ただ、一般的に西日本の方が東日本よりも同和教育が盛んに行われてきており、その中には「行き過ぎ」があったということは確実に言えると思う。

もっとも、共産党が「行きすぎた同和教育」を行っていたとする「部落解放同盟解同)」に対する批判にもまた、明らかな行き過ぎがあった。たとえば、今世紀になってから「別冊宝島」で出版された「同和利権の真相」シリーズは、共産党系のライターによって編集されたものだが、まともな記事もあったけれども、狭山事件石川一雄氏を揶揄する醜悪な文章が掲載されていたりもした。狭山事件をめぐる共産党の姿勢は、鎌田慧の名著『狭山事件の真実』*8にも言及されているが、これが鎌田慧をして共産党を激しく批判させる理由の一つになったと思われる。しかし、その鎌田慧が先の東京都知事選で細川護煕の応援団に加わったことには、私は全く感心しない。

脱線したが、差別・被差別に関して大きな問題になっているのは、それが「不可視化」されていることである。その情報は、よそからやってきた人間にも明かされない。だから、京都出身で西宮を経て芦屋に住み、そこから市境を越えて神戸の高校に通っていた村上春樹が、同級の女子生徒が住む被差別部落の通称を黒板に書いてしまい、その事実を当該の同級生の友達たちから教えてもらうなどということが起きたのである。私の一家もまた、村上春樹一家と同様に、「よそ者」だったから、移り住んでいた土地の被差別部落については、本当に詳しくは知らない。村上春樹中上健次に「お前のいたあたり(阪神間)にも被差別部落がたくさんあっただろう」と聞かれて、知らないと答えたら怒られたそうだが、そんなものである。村上春樹の例にも見られるように、隠された「差別」がひょんなきっかけから顔を出す時、被差別者がこうむるダメージは大きい。「差別をなくすためには、差別の可視化から行わなければならない」との持論を主張し続けるゆえんである。

しかし、山梨出身の網野善彦にしても、『宮本常一『忘れられた日本人』を読む』でもしばしば言及される、ノンフィクション『旅する巨人』の著者である東京・下町出身の佐野眞一にしても、そもそも部落差別問題を意識に上らせる機会を子どもの頃に持たなかったようだ。佐野眞一橋下徹の評伝の連載を始めた時(それは結局初回しか掲載されなかったが)、そんなものを連載しようとするくらいなら、佐野眞一には十分な覚悟と下調べができているものとばかり思っていた私は、全くそうではなかったことを知って大いに失望したのであった。しかし、あの件への橋下の対応は、「寝た子を起こすな」と言われるものの典型であり、全く間違った態度であったと今でも私は考えている。そういう事態に対する準備ができていなかった佐野眞一もまた責められて然るべきではあるが。

網野善彦に話を戻し、再び『宮本常一『忘れられた日本人』を読む』から引用する。

(前略)国名を(「倭」から「日本」に)変更するとともに、それまで「大王」「王」といわれていた首長の地位の呼称を「天皇」と定めるわけで、その時点からはじめて「日本」「日本人」が列島上に現れるのです。中世の「倭寇」も同様で、列島西部の海辺、対馬壱岐朝鮮半島の南の海辺、済州島まで含む地域の人びとの動きだと考えられます。最近の田中健夫・村井章介・高橋公明諸氏の研究がそのことを証明しています。韓国へ行きますと、「倭寇」「壬申倭乱」「日帝三十六年」が日本人による侵略として、叱られるのですが、「日帝三十六年」と、「壬申倭乱」−秀吉の朝鮮侵略については、私も一も二もなく認めて頭を下げるけれども、倭寇は違うので、「倭寇」は朝鮮半島の人びとと列島側の人びとが海を舞台に一緒に動いているし、「倭寇」に対して当時の日本国の政府、室町幕府は弾圧こそすれ、決して援助などしていないことは明らかなので、これを日本人の侵略というのは誤りだと思います。これは「倭人」と「日本人」とを頭から同じと考えることからおこる間違いなのだと反論したことがあります。もちろん韓国の研究者の中には「倭寇」に朝鮮半島済州島の人びとの含まれていたことを否定される方も多いので、簡単には結論はでないでしょうが、これは決して通らない話ではないと思います。
 このように、双方のナショナリズムをこえ、海を視野に入れて、これから歴史を考えなくてはなりません。(後略)

網野善彦宮本常一『忘れられた日本人』を読む』(岩波現代文庫,2013)144-145頁)

このあたりの主張には説得力を感じた。竹島(韓国名・独島)をめぐる日韓の領有権争いなど、馬鹿げた話であろう。

そのあと、網野善彦は、宮本常一が周防(山口県)の光市で、猿回しの復活に尽力したことに触れる*9。この件は、やはり少し前に読んだ下記の本で知っていた。



猿回しの件は、この本の100〜104頁に出てくる。余談だが、この本の猿回しの話のすぐ前には、アイヌの民具の本を出版しようとしていた萱野茂を支援していた本多勝一に、宮本常一が協力し、朝日新聞の「声」欄に投稿した話が出てくる。本多勝一はもちろん元朝日新聞の記者で現在は『週刊金曜日』の編集者だが、本多は「民族主義的左翼」と位置づけられるだろう。

それはともかく、宮本常一の本には書かれていないのだが、猿回し(猿曳)が被差別民として扱われていたことを網野善彦は指摘し、「各地を遍歴する人びとと獣を扱う集団だったことが差別の原因ではないかと思います」*10と書いている。そしてその差別には、北海道を沖縄を除いて日本列島の至るところにあるが、東日本と西日本ではフォッサマグナを境としてその密度が大きく違い、東日本には越後、信州、上州あるいは武蔵の西部にやや被差別部落の濃いところがあるものの、全体としては西日本よりはるかに稀薄だと書いている。これはおそらくその通りだろう。ちなみに狭山事件が起きた狭山は「西武蔵」に、松本清張推理小説『眼の壁』で被差別部落民の職業を犯人及び犯罪のトリックと結びつけた舞台は「信州」に、それぞれあたる。しかし、これらはあくまでも「例外」ということなのだろう。そして、韓国の研究者による下記の発言を紹介している。

(前略)縄文文化の影響の強い社会には、こうした差別をつくり出す基盤がないのに対し、弥生文化をもたらした社会が穢れに関わる差別を生み出す土壌と言えるのかもしれません。こうした話を(中略)アメリカのカリフォルニア大学バークレー校で話しましたところ、女性の韓国の研究者が、話の終わったあとわざわざ私のところに来られて、「私の国の韓国の状況は先生が話された日本の状況と非常によく似ています。白丁(ペクチョン)という牛馬の屠畜にかかわる人に対する差別は全くそっくりです。現在ではこうした差別はないことになっているけれども、実は社会の中では決してなくなってはいません。先生が西日本のあり方として話されたことと、私はそっくりだと思います」と言われたのです。

網野善彦宮本常一『忘れられた日本人』を読む』(岩波現代文庫,2013)144-145頁)

この言説への評価を下すことは、私にはできない。

ただ、韓国や中国の人たちに対する、最近の日本人に顕著に見られる差別意識について、これを「レイシズム」と呼ぶのは誤りではないかとよく知人に指摘されるのだが、それは実際その通りだろうとは思う。最近の近隣国民に対する多くの日本人の反応は、日本の国力が落ち、自分たちの暮らし向きが悪くなってきていることの鬱憤のはけ口を求めるものであることは明らかで、日本の没落に伴ってそういう現象が起きることを前世紀末に指摘していたのが経済学者の故森嶋通夫であったことは、当ダイアリーで何度も触れてきた。森嶋はマルクスの理論を数理化しようとした「数理マルクス経済学」の先駆者とされるとのことだ。

それはともかく、現在のような状況下にあって、「民族主義的左翼」の思想は、右翼と一緒になって破局を導く恐れがあると思う。例えば、私が激しく嫌う「小沢信者」の一部にも、そうした「民族主義的左翼」色がきわめて濃厚な者がいる。「『右』も『左』もない」などと言いたがり、右翼民族主義者と接近したがる人たちである。また、「小沢信者」に含めて良いかどうかは微妙だが、かつて本多勝一は『週刊金曜日』の企画で行われた小沢一郎との対談で、大いに意気投合していたのだった。そして本多勝一は、全千島返還を求める日本共産党の主張に、一貫して賛意を表明し続けている。

共産党は、千島列島同様、尖閣諸島に関しても、自民党以上に強硬に日本の領有を主張している。そうした姿勢と、アメリカによる占領当時の石母田正や松本新八郎といった人たちが有していた「民族主義的」な体質との間に連続性があるのかどうか、不勉強にして私は知らないが、日本の国力が衰退するとともに近隣諸国に対する敵意を強めており、時の総理大臣が先頭に立ってそれを煽っているような現状にあっては、同党の領土問題における強硬姿勢は再考を要するのではないか。つい最近『週刊金曜日』に掲載された佐高信辺見庸の対談で、日中戦争が起きたら、共産党社民党も日本の戦争を支持する側に回り、本当の「翼賛体制」になってしまうのではないかとの危惧が語られていたが、それはあながち杞憂とばかりもいえないと思える。現在及び今後予想される日中両国の国力の推移を考えると、軍事衝突を仕掛ける動機は、中国よりも日本の方が強いと考えるほかはないが*11、いざ衝突が起きてしまえば、どちらが起こしたかはわからないからである。そして、それが「中国が攻めてきた」とされるなら、社共両党にしたところで、日本の戦争に反対するかどうかはわからない。繰り返すが、竹島にしても尖閣にしても、人の住むような場所ではないのだから、これらの島の領有権争いは、日本、韓国、中国いずれの国にとっても不毛な話だと思うが、どの国の権力者も国民の多くもそうは考えていないのが残念な現実だ。

最後に、今から31年前の1983年5月7日に、藤沢における講演会で網野善彦が語ったことを引用する。

(前略)現在直面している課題を、どこに求めるかということになりますと、かつて「民族の問題」に関わりを持っていたということが、何らかの形でいまも私のなかに生きているからかと思いますが、その当時とは違った意味で、民族の問題は現代の大きな課題だと思います。実際、現在の世界のなかで、諸民族の間の軋轢、摩擦が、時には戦争という形をとることは言うまでもありません。しかし、私が若いときに非常に強く心を惹かれた社会主義も、民族の問題を確実に超えきっていない。これは、昔からいわれているマルクス主義の弱点の一つで、五〇年代にもずいぶん議論されていましたが、依然として解決されていない問題だと思います。

(中略)

 それだけに、各々の民族のあり方を十分に理解した上で、現代における民族の対立を捉え直すことができるならば、さまざまな民族間の軋轢を克服していく道が開けてきはしないかと思うわけであります。

 それを、われわれ自身の問題として問い返してみると、何よりも日本人の体質−−天皇制を永続させてきたことを含めて−−これを徹底的に明らかにする、自覚的に、自分自身にあるものを相対化することが可能になるぐらいこの問題を掘り下げることが、大きな課題の一つだと思っております。

網野善彦(藤沢・網野さんを囲む会編)『列島の歴史を語る』(ちくま学芸文庫,2014)112-113頁)

「(中略)」と書いた部分で網野善彦が言及していたのは、中ソ対立*12であり、中越対立*13だった。しかし、民族主義が他人事でなくなってきた今、全面的には賛同できないところはあるとはいえ、網野善彦が残した著作は、やはり気になるのである。

*1:この記事についた「はてなブックマーク」によると、1953年に行われた日本共産党第6回全国協議会(通称「六全協」)を指すとのこと。

*2:http://blogs.yahoo.co.jp/pferd1042000/30695134.html

*3:網野善彦宮本常一『忘れられた日本人』を読む』(岩波現代文庫,2013)7頁

*4:網野善彦(藤沢・網野さんを囲む会編)『列島の歴史を語る』(ちくま学芸文庫,2014)101頁

*5:網野善彦(藤沢・網野さんを囲む会編)『列島の歴史を語る』(ちくま学芸文庫,2014)103頁

*6:網野善彦宮本常一『忘れられた日本人』を読む』(岩波現代文庫,2013)116頁

*7:私は、左翼に属すると思われるあるブロガーにそのように書かれ、暗に「差別主義者」呼ばわりされたものである。

*8:私はこの本を読んで初めて「狭山事件」についての理解が得られたと思った。

*9:網野善彦宮本常一『忘れられた日本人』を読む』(岩波現代文庫,2013)146頁

*10:網野善彦宮本常一『忘れられた日本人』を読む』(岩波現代文庫,2013)148頁

*11:中国が強大化して手がつけられなくなる前に、中国を叩いてしまえという論法である。私は、安倍晋三自身は本気で中国と事を起こすつもりは持っていないのではないかと思うが、政権ブレーンの中には、中国に先制攻撃をかけることを想定している者がいる可能性が高いと推測している。

*12:当時のソ連はブレジネフが死んでアンドロポフに代わったばかりの頃だった。

*13:講演会4年前の1979年に中越戦争が起きた。