kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

2014年の憲法記念日の朝日新聞紙面を概観する

憲法記念日朝日新聞の紙面構成だが、1面の大見出しが「改憲に執念 首相の源流」、サブの見出しが「挫折経て再挑戦 背押す保守人脈」と題して、安倍晋三の意図を、側近の政治家やブレーンの学者のコメントを交えながら解説する「客観報道」スタイルの記事。

2面は「安倍首相 突き進む理由」として、「憲法観」「全文と9条」「改正手法」の3つの観点から、やはり「客観報道」スタイルで解説した記事。それぞれの観点について、櫻井よしこ衛藤晟一八木秀次のコメントが付されている。

3面は「解釈改憲『法の支配』危機」と題され、昨年末の「特定秘密保護法」成立の時以来の杉田敦と長谷部恭男の「対談」形式の記事。但し、2人が実際に対談したかどうかは怪しい。というのは、記事の末尾に「(構成 論説委員高橋純子)」とあるからだ。例の高橋純子記者(今年に入って朝日新聞論説委員に栄転あそばされた)が2人に取材し、その内容を対談形式にでっち上げた仕立て上げたのではないかとの疑念を抱いた。その中から、長谷部恭男(特定秘密保護法賛成派)の発言を記録しておく。

 長谷部 (憲法を=引用者註)変えるなとは誰も言っていません。集団的自衛権の行使を容認するには、憲法を改正しないといけない。改正するなら国民的な議論が必要で、私的諮問機関の議論なんかで変えられたら困ると言っているのです。少なくとも国民全体で大議論をして、その結果、「こう決断をした」というのがないといけない。

朝日新聞 2014年5月3日付3面掲載記事より)

4面にも憲法記念日関連記事。この中から民主党代表・海江田万里と生活の党代表・小沢一郎の発言を記録しておく。

 (前略)民主党海江田万里代表は談話で「時代や状況の変化に伴い、国民が納得する範囲で憲法解釈が変更される余地があることは否定しない」としつつ、「内閣が便宜的、意図的に変更するのは立憲主義法治主義に反して許されない」と批判。

 (中略)生活の党の小沢一郎代表も「閣議決定によって軽々に変更が許されるものではない」と反対姿勢を示した。(後略)

朝日新聞 2014年5月3日付4面掲載記事より)

私の解釈では、海江田万里小沢一郎の主張はほぼ同じである。小沢一郎が海江田談話にある前段部分に触れていないだけで、集団的自衛権の政府解釈変更自体には賛成なのである。ただ単に、小沢は「閣議決定によって軽々に変更」することに「反対」しているだけである。つまり、「議論が尽くされれば賛成」というわけだ。

6面は「一からわかる立憲主義」の解説。

社説と前述のオピニオン面*1は飛ばして、第二社会面はコメディアン・松元ヒロとフリーアナウンサー小林麻耶へのインタビュー。第一社会面は「『みる・きく・はなす』はいま」の特集で、籾井勝人が君臨するNHKをめぐる記事。この中で、極右政党・日本維新の怪の三宅博が、「右」からNHKを批判しているのが目を引く。以下引用。

 「勤務している外国人職員の人数をお聞きしたい」。昨年12月、衆院総務委員会で三宅博議員(日本維新の会)が質問。同局のドキュメンタリー番組などを「日本に対して大きな敵意を感じる」と批判した。

 その後の予算委で籾井会長が22人と明らかにし、「募集時には国籍は不問」と答えると、三宅氏は言った。「中国の密命を帯びた工作員も一部いるんじゃないかな、というふうに私は想像しているんですよ」

朝日新聞 2014年5月3日付社会面掲載記事より)

こんなネトウヨ同然の国会議員がいる政党と一緒になろうというのが「結いの党」であり、選挙で共闘しているのが民主党及び「生活の党」なのである。

最後に社説。もしかして高橋純論説委員が書いたのではないかと疑ってしまった。なぜかというと、社説末尾の部分がエントリの前半に引用した長谷部恭男の主張によく似ているからだ。以下引用。

憲法を取り上げるな

 「自衛隊員に出動命令を出すからには、一人でも多くの国民の理解を得たい」。政権の中からはこんな声が聞こえる。

 集団的自衛権の行使をどうしても認めたいというのならば、とるべき道はひとつしかない。そのための憲法改正案を示し、衆参両院の3分の2の賛成と国民投票での過半数の承認を得ることだ。

 北朝鮮の核開発や中国の軍備増強などで、東アジアの安全保障環境は厳しくなっている。いまの議論が、日本の安全を確実にしたいという思いからきていることはわかる。

 ならば一足飛びに憲法にふれるのでなく、個々の案件に必要な法整備は何かという点から議論を重ねるべきではないか。

 仮に政策的、軍事的合理性があったとしても、解釈変更で憲法をねじ曲げていいという理由にはならない。

 いまの政権のやり方は、首相が唱える「憲法を国民の手に取り戻す」どころか、「憲法を国民から取り上げる」ことにほかならない。

朝日新聞 2014年5月3日付社説より)

長谷部恭男や朝日の社説は、解釈改憲自体を否定しない海江田万里小沢一郎までは行かないけれども、改憲自体は「否定しない」立場に立つものであることは明らかだろう。

「否定しない」の連続が、既成事実(なし崩し)を容認するものなんだろうな、と思った。概して今年の憲法記念日の朝日紙面には、「受け身」の姿勢が目立った。