kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

笹井芳樹氏、家族にも遺書を遺していた/週刊朝日に自殺直前の笹井氏に関する記事が掲載

笹井芳樹が自殺した8月5日は、『週刊文春』の盆休みのための合併号の編集が終わっていて、雑誌に盛り込めないタイミングであった。最初に笹井氏と小保方晴子との「失楽園」ゴシップのほか、笹井氏の理研の同僚・高橋政代氏が笹井氏を評して「研究者としての才能はあるが男としてはキモい」と言ったとか言わなかったとか書いたのが週刊文春。その週刊文春の次号が2週間先にならないと出ない時点で自殺したのは、週刊文春に対するせめてもの意趣返しだったかと思うのは、いくら何でも勘繰り過ぎだろうと自分でも思う。

この盆休みの週にも雑誌を出しているのが『週刊朝日』であって、その8月22日号に「笹井氏が小保方さんへ遺した言葉」という記事に、大阪に住む笹井氏の母親の知人の話や、笹井氏の家族に関する情報が出ている。といっても後者は、笹井氏には妻と、20歳を超えた長男・長女がいて、「STAP細胞」騒動のあと、「美人妻」が近所に詫びたという程度の話。どうやら笹井氏は単身赴任ではなかったらしく、考えてみれば京大から神戸の理研CDBと、ずっと本拠地は関西だった*1から、単身赴任する理由はなかった。

週刊朝日の記事によると、笹井氏が亡くなる3日前、母親が「芳樹がどこにいるか、居場所がわからなくなって、家族で捜し回っていた」と困惑していた。笹井氏の兄が笹井氏にメールで「無事か」と聞くと、笹井氏は「元気ではないけど、生きています」と返信したという。また笹井氏は母親に対し、週刊文春が書いた小保方晴子との仲について、「あんなことは絶対ないから信じてほしい」と言っていた。さらに、「(理研が笹井氏を)クビにするならしてくれればいいのに、アメリカで研究したいのに、なかなか切ってくれない」とも言っていたという。そして週刊朝日は、(笹井氏の処分ないし辞任の許可を)「決断できなかった野依理事長の責任は重い」という、理研改革委員長・岸輝雄氏(東大名誉教授)の談話を載せている。

もっとも、この週刊朝日の記事は、「笹井氏は最期まで、STAP細胞の存在を信じていたのだ」と書くなど問題含みではある。笹井氏が本当に「STAP細胞の存在を信じていた」のなら、自殺などするはずがなく、愛弟子の小保方晴子が「STAP細胞作製の『再現』」に成功することを確信しつつ、期待を込めて見守るだけで良かったからである。

昨日(8/12)はその他にも、小保方晴子の博士論文調査をめぐる早稲田や文科省の呆れた行状を書いた記事をネットで見かけたが、時間が経った今探してもみつからない。

そうこうしているうちに、笹井芳樹が家族にも遺書を遺していたことと、笹井氏の家族のコメントを報じるニュースが流れた。

http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201408/0007230155.shtml

「不当なバッシング疲れた」 理研・笹井氏が家族宛て遺書

 理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(神戸市中央区)の副センター長で、自殺した笹井芳樹氏の遺族の代理人を務める中村和洋弁護士(大阪弁護士会)が12日、大阪市内で記者会見し、笹井氏の妻と兄宛ての遺書に「マスコミなどからの不当なバッシング、理研やラボ(研究室)への責任から疲れ切ってしまった」との内容が書かれていたことを明らかにした。

 笹井氏は新たな万能細胞とされたSTAP細胞の論文を執筆した小保方晴子氏(30)*2の指導役。

 中村弁護士は、遺族から聞き取った状況を踏まえ「笹井氏は論文への疑惑が指摘された3月ごろから心労や重圧を感じ、6月の理研改革委員会による(再生研の)解体提言で相当強いショックを受けた」との見方を示した。

 家族宛ての遺書は笹井氏の自宅に2通あり、「今までありがとう」との感謝とともに「先立つことについて申し訳ない」などの言葉があった。STAP細胞や小保方氏、理研についての言及はなかったという。

 また、遺族はコメントを発表。「深い悲しみとショックで押しつぶされそうです」「今は絶望しか見えません」と心情をつづり、理研の職員や研究者に対して「一日も早く研究・業務に専念できる環境が戻ることを願うばかりです」と記した。

(金井恒幸、岩崎昂志)

神戸新聞 2014/8/12 22:08)

http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201408/0007230204.shtml

笹井氏遺族のコメント全文

 代理人を務める中村和洋弁護士が発表した笹井氏遺族のコメント全文は次の通り。

 このたびは、STAP論文問題および笹井芳樹の突然の死去に関しまして、皆さまには多大なるご迷惑と混乱を引き起こしましたことを深くおわび申し上げます。

 1週間たった今も、私どもは心が混乱し、あまりに突然の出来事を受け入れることができないでおります。深い悲しみとショックで押しつぶされそうです。この半年があまりに長く、私どもも疲れ切っております。今は絶望しか見えません。

 理研理化学研究所)およびCDB(発生・再生科学総合研究センター)の職員・研究者の皆さまには、このようなことになり、おわびのしようもございません。皆さまの動揺を思うと、胸がつぶれるほどつらいです。今は一日も早く、皆さまに研究・業務に専念できる環境が戻ることを切に願うばかりです。

 理研の先生方、職員の皆さまにはお一人お一人お会いしておわびの気持ちをお伝えしたいのですが、どうぞご無礼をお許しください。

 このたびのことで、私どもも大変傷つき苦しんでいます。報道機関の皆さまには、私どもの心情をどうかご理解いただき、またプライバシーにもご配慮いただき、これ以上の取材などは控えてくださいますよう、どうかお願いいたします。

神戸新聞 2014/8/12 20:08)

やはり笹井芳樹は家族に遺書を遺していた。このことや、遺族に関することが、週刊誌(前述の週刊朝日など)には載っても、新聞やテレビのニュース番組(ワイドショーではどうだか知らないが)ではほとんど取り上げられなかったのは、遺族の意向があったためらしい。

今回家族への遺書や遺族のコメントが報じられたのは、小保方晴子への「遺書」の抜粋が大々的に報じられたため、「小保方晴子に遺書を書きながら家族に書かない笹井氏は云々」などと騒がれたため、やむなくとられた措置かと思われる。

また、一部で陰謀論が流布していた笹井芳樹の「他殺説」は、ほぼ完全に否定されたといえるだろう。

*1:笹井氏のライバル・山中伸弥氏が関西アクセントの言葉を喋るのに対し、兵庫県生まれながら愛知・旭丘高校卒の笹井氏の言葉は、関西弁でも名古屋弁でもなく標準語だった。

*2:最近気になるのが、どの新聞も「小保方晴子氏(30)」と書くこと。小保方氏はもう31歳になっているのではないかと思うのだが。