kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

2007年、慰安婦問題に関する竹村健一の主張を一変させたもの

6年前の2008年、78歳の誕生日を目前にしてテレビ出演を引退した竹村健一の話。

朝日・従軍慰安婦報道問題の「日本の常識は世界の非常識」 - きまぐれな日々(2014年8月25日)のコメント欄より*1

(前略)kojitaken氏が記録なさっているように、かつて竹村健一慰安婦問題について、(第1次)安倍政権がこんな不誠実な態度を取り続けるようでは拉致問題をいくら訴えても世界の誰も同情も協力もしてくれなくなる、これは人権問題なんだぞ、という趣旨の批判をしていたんですね。もちろん竹村健一は、朝鮮半島の人よりまず日本人の対外信用を心配してたんでしょう。完全に同意せざるを得ません。全く、日本の常識がますます世界の非常識になりました。いや、世界の非常識が日本の常識になったのでしょうか?

2014.08.30 00:57 ヴォロージャ

ヴォロージャさんご指摘の記事を書いたのは2007年3月11日。この日は日曜日で、フジテレビの『報道2001』を見ながら書いたものだ。

竹村健一までもが安倍らに苦言を呈する従軍慰安婦問題 - kojitakenの日記(2007年3月11日)より

 例によって「報道2001」(フジテレビ)、「サンデーモーニング」(TBSテレビ)などを話題によってチャンネルを切り替えながら見ているが、従軍慰安婦に関する安倍晋三の発言が、中韓のみならずアメリカのメディアから叩かれている件について、昔からのゴリゴリの右派で有名な竹村健一は、ニューヨーク・タイムズロサンジェルス・タイムズなどが「左といったらなんだけど、そういう新聞だ」と留保をつけながらも、「この問題をそのままにしておくと、日本人は自分たちが拉致されたら大騒ぎするけど、韓国人が拉致みたいなことをされて人権を蹂躙されたことに対しては鈍感な民族だと思われてしまう。そうではなく、どの民族の人についても人権を守る民族だということをわかってもらう努力をしないと、とんでもないことになる」と警告していた(記憶に基づいて書いているので、竹村氏の発言に忠実ではありませんが、意味はこの通りだと思います)。(後略)

ところで当時の竹村健一だが、当初は右翼に迎合する発言をしていたのが、ジェラルド・カーティスと議論するなどしたあと意見を変え、今で言うネトウヨが目を剥くような「リベラル」な立場に一転したことを記録しているブログ記事があった。

上記リンク先の記事によると、竹村健一は、安倍晋三(当時も第1次内閣時代の首相)の従軍慰安婦に関する発言が米議会で取り上げられた当初の2007年3月1日には、

断じて旧日本軍が強制連行して性的奴隷として従事させたと認め、謝罪したわけではない

本家のアメリカでは事実を述べ合うのではなく、いかに周りを自分の主張に賛同させるかが問題になる。この点、日本政府ももっと腰を据えて世界に親日派とまではいわない、知日派を増やす努力をすべきだ。

などと、普通に右寄りの主張をしていた。

ところが、同年3月15日には、

これはコロンビア大学ジェラルド・カーティス教授とも話したことなのだが

と断ったあと、

外国の人間にとっては北朝鮮による日本人拉致問題も、第二次大戦時の慰安婦問題も、同じウエイトを持つ人権問題なのだが、日本人にとっては大変な差がある。

そうした事実を示す記録がないから責任がないのではなく、私たちは日本人拉致問題を人権問題だとして世界に対して訴えていくのならば、慰安婦問題についても同じ人権問題であることを強く自覚しなければならない。日本人は日本人の生命が係わる問題についてだけ敏感なのではなく、地球上全ての人の生命に対して敏感なのだとイメージを持ってもらうためにも、全ての問題に心を動かしてもらいたいと願う。

などと主張を一転させた。私を驚かせたのもこの頃の竹村の主張であった。安倍晋三が訪米した同年4月には、さらに主張のトーンを強めた。

このことから推測されるのは、アメリカは日本政府の要人が日本の政府・軍・兵士などの戦争犯罪や戦争責任を否定したり矮小化したりすることを「戦後レジームへの挑戦」とみなして、それを絶対に容認しないという態度を取っており、それを悟らされた竹村健一が、安倍晋三の暴走にブレーキをかける論調に転換したのではないかということだ。

それは現在も変わらない。だから菅義偉は頑なに「河野談話の継承」を語り、新官房長官談話の発表を否定するのだ。

そのことが、頭の悪い高市早苗にはわからない。だから「新官房長官談話」なんかを求めて、間の抜けたドヤ顔を晒すのである。