kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「慰安婦問題・池上彰・朝日新聞」騒動に思うこと(超長文)

慰安婦問題をめぐる池上彰朝日新聞の一件だが、多くの朝日新聞記者が自社を批判するTwitterを発信したことが話題になっている。

上記にまとめに出てくる朝日新聞記者の名前は下記(敬称略)。

神田大介、武田肇、斎藤佑介、井上翔太、冨永格、吉野太一郎、柴田真宏、谷津憲郎、広部憲太郎、丹治吉順、今井邦彦、杉本崇、伊勢剛、中井大助、岡林佐和、鯨岡仁、北野隆一、松川敦志、伊丹和弘、今村優莉、古田大輔、林亜希、真鍋博樹、神崎ちひろ、小林恵士、田村建二、山本奈朱香、神庭亮介、斎藤健一郎、小滝ちひろ、吉岡桂子、古田真梨子、岡田健、沢村亙、尾形聡彦、鵜飼啓、魚住ゆかり、安井孝之、根岸敦生、安藤嘉浩、藤えりか、原田朱美、武井宏之、中川文如、石合力、松下秀雄、野上英文

私は、これら朝日新聞記者たちは「飯の食い上げ」を恐れたのではないかと憶測している。というのは、池上彰というのは、基本的に「『右』(で)も『左』(で)もない」人ではあるが、時流を読んで、その時々のマジョリティに自らの言葉を合わせる傾向が強いからだ。それが長年にわたってテレビで活躍することができる秘訣であると思われる。つまり、典型的な「電波芸者」といえるのだ。その池上彰から見捨てられることは、自分たちがマジョリティから外れることにほかならないと朝日新聞記者たちは危惧したのではないか。

右翼たちもしばしば池上彰を目の敵にする。検索語「池上彰 売国」や「池上彰 反日」などでググってみると、ネトウヨたちが噴き上がっている様子を観察することができる。一例として、民主党(菅)政権時代に書かれたブログ記事を1つ紹介しておく。

反日キャスターを許すな!

たまたま食事のときにテレビをつけたら「池上彰の学べるニュース」という番組をやっていました。

最近、本屋にいくと、この池上彰なる人物の著作が並んでいるので、どんなことをいうのかと番組をみていたら、たまたまそれが8月15日の終戦記念日特集だったのですが、見ていて途中で腹が立って腹が立って、飯がまずくなった。

しらっとした顔で、事実を巧妙に捻じ曲げ、「日本は枢軸国だった」「日中戦争」をやめさせようとしてABCD包囲網ができた」「終戦玉音放送は何を言っているかわからなかった」「世界を相手に日本は無謀な戦争を開始した」などなど、巧妙に事実を捻じ曲げ、視聴者を洗脳する。

悪いけれど、君にも親や祖父がいるだろう。立派に戦った父祖に対して、君はあの世でなんと言い訳するつもりだ!と、怒りにまかせて言いたくなりました。

さっそく、テレビ朝日に抗議の電話をしたけれど、ああいう一見ソフトムードの反日主義者が、大手を振ってまかり通る世の中というものに、たとえようのない理不尽さを感じます。

ちにみに、番組で池上彰が、大々的に取り上げたのが、韓国内での8月15日の呼び方で、韓国ではこの日を「光復節」と呼ぶと、これだけはデカデカとフリップを使って説明していました。

韓国が日本の支配を逃れて、国家に光が回復した日だから「光復節」なのだそうです。

ふざけるなといいたい。

国家に光が回復したどころか、日本がいなくなって韓国に起こったことは朝鮮半島が北と南に別れて、同国民同士で殺戮の限りを尽くした朝鮮戦争ではなかったか。

いったいどの辺が「光復節」なのか、君は日ごろ人命重視とか言っていながら、同国民同士で殺し合う事態をむかえたことが、光が戻った日と言えるのか!

唾棄すべき男というのは、こういう池上彰のような俗物を言うのだろう。
日本を売り、立派だった先人たちの名誉を汚すことで、テレビ番組に出演して生活の糧を得る。

歴史をみれば、こういう見下げ果てた馬鹿者が登場することで、善と悪の戦いがいきつくとこまでいきつき、人殺しが始まり、戦争が起きている。

こういう池上彰のような俗物が、結果として国民を不幸のどん底に叩き落とす。
最低です。

個人でどういう思考をしようが勝手といえば勝手だけれども、そもそもこの手の俗物の馬鹿者を番組に起用するテレビ局がなってない。

そもそもジャーナリズムというものは、自由な立場で善なるものはこれをおおいに宣揚し、悪なるものはこれを糾弾することで、国家国民に寄与することが本来の使命です。

マスコミが、悪なるものを宣揚し、善なるものをしりぞけるのでは、これは国民に対する造反であり、反逆です。
そもそもマスコミとしての基本姿勢自体がなってない。

池上彰なる人物の言説は、性風俗を売り物にする有害図書の千倍悪辣な言説であると言いたいと思うのですが、みなさんはいかがでしょうか。

(以下略)

過去に池上彰は、「派遣切りがきっかけとなって、マルクスが再評価されている」としきりに言っていた。

2009年には『資本論』の入門書も書いている。


高校生からわかる「資本論」 (池上彰の講義の時間)

高校生からわかる「資本論」 (池上彰の講義の時間)


この池上彰講釈版『資本論』は専門家から見てもよく書けているものらしく、数理マルクス経済学者の松尾匡が下記の本の巻末で、池上本を入門書として推薦図書のうちの1冊に挙げていた。


マルクス経済学 (図解雑学シリーズ)

マルクス経済学 (図解雑学シリーズ)


余談だが、一般的に持たれているイメージとは異なり、マルクスは政府や地方公共団体による「富の再分配」は主張していない。それは上記の松尾匡に加えてノビーこと池田信夫(笑)も指摘する通りであって、私はマルクスは『資本論』第1巻と『ルイ・ボナパルトブリュメール18日』しか読んだことがないのだが、そのどちらにも「富の再分配」の思想は含まれていないと認識している。マルクスは「結果の平等」というよりは「機会の平等」を求めていたのではないか(それ以前に、そもそも「結果の平等」と「機会の平等」を区別すること自体がおかしいと思うが)。新自由主義者がよく言う「自由主義者は『機会の平等』を追求し、社会主義者は『結果の平等』を追求する」という俗説は完全な誤り(というより虚偽の宣伝)であり、それどころか新自由主義とは格差(階級)の固定(つまり「機会と結果の不平等」)を追求するイデオロギーだろうと私は常々考えている。

それでは「マルクス・レーニン主義」を掲げていたソ連の指導者は再分配についてどう考えていたかについて、やはり松尾匡の下記の文章*1から引用する。

ソ連型システムが「平等」を目指した社会のように思っている人も多いと思いますが、ソ連型システムは、建前のスローガンとしても「平等」を掲げたことはなかった(*5)し、実態としても、競争のある大変な格差社会だった(*6)と言えます。

(*5)「スターリンが『小ブルジョアの平等主義』を公然と非難して、より大きな所得格差を求めて、1931年に個人的に介入したことはよく知られている。…補助作業者…と上級カテゴリーの者の間のギャップは、1対12かそれ以上に上昇した。」アレック・ノーヴ『ソ連の経済システム』(大野、家本、吉井訳、晃洋書房、1986年)。「賃金格差は『同一労働に同一賃金』の社会主義的分配原則およびレーニンの『平等屋』に対する警告によって正当化された。」P・グレゴリー、R・スチュアート『ソ連経済』(吉田靖彦訳、第3版、教育社、1987年)、243ページ。同書356ページも参照のこと。

(*6)グレゴリー、スチュアート前掲書第8章「経営役員と報酬」「ソ連における賃金格差」。また同書356-357ページでは、スターリン時代の労働者階層間賃金格差はアメリカより大きかったが、その後縮小したことを示し、スウェーデンや英国ほど平等ではないが、アメリカ等よりは平等になったとする。ただし、エリート層との格差は勘案していない。

ソ連社会(特にスターリン時代のそれ)とは、ある意味現代の新自由主義と相通じる、厳しい格差社会だったようだ。上記の諸事実に加えて、さらに「粛清」まであったのだから、(資本主義国の)新自由主義よりさらにたちが悪かったことは確実だろう。

さらに余談だが、主流派経済学においても、そもそも「再分配」を経済学の対象にするかどうか自体に議論があると、これは飯田泰之が書いていた。つまり、「富の再分配」の定式化は、現在及び今後(未来)の人びとにとっての課題ということだろうと私は考えている。

さてようやく池上彰の話題に戻る。この池上彰という男が、何にでも首を突っ込みたがる人間だなあと思ったもう1つの事例は、昨年出た宇沢弘文の著書に池上彰が「『人間のための経済学』を追究する学者・宇沢弘文−−新装版に寄せて」と題する序文を書いたことだ。



上記は紙の本へのリンクだが、下記Kindle版へのリンクのアイコン画像からわかる通り、本の帯には池上彰の顔写真入りで、「格差を、原発を、豊かさを、宇沢先生ならどう考えるだろうか?」というキャッチコピーがある。



これには、池上彰人気に便乗して宇沢弘文の旧著の改訂版を売ろうという東洋経済新聞社の商売根性が表れている。そう、「新装版」という文字列からもわかる通り、この本は宇沢弘文の正真正銘の新著ではない。2003年に同じ東洋経済新聞社から出ていた『経済学と人間の心』に、2009年と2010年の講演を文字起こしした2編を追加したものである。宇沢弘文は2011年に脳栓塞で倒れたため、新たな文章を書くのはもはや困難なのである。このことは、昨年12月8日付の朝日新聞読書欄「著者に会いたい」に出ていた。取材して記事を書いたのは、最近「右派に迎合する朝日新聞記者」として一部から批判を受けた(その批判は正しいと私も思う)朝日新聞特別編集委員・山中季広である。下記リンク先で記事を確認できる。

この本の序文を読む限り、池上彰は基本的に「『右』(で)も『左』(で)もない」人であるとはいえ、過去に右翼をずいぶん怒らせていたことからもわかるように、「比較的『リベラル』寄りの中立」であるかのような印象を読者(視聴者)に与えてきたといえるのであって(私はその時々の多数意見におもねた当たり障りのないことを言う人としか思っていないが)、そんな池上彰の原稿の掲載を朝日が拒否して「以後朝日には寄稿しない」云々の騒ぎになったことで、これは下手したら朝日新聞が主流から外れた異端とされる評価が定着して、テレビや本での池上彰の解説に感心している人たちが朝日新聞の購読を止めるなどして社運が大きく傾き、その結果自分たちが現在食んでいる高給も維持できなくなるかもしれない、そう考えた朝日新聞の記者たちが慌てふためいたのではないかとの邪推を私はしているのである。

しかし、私はこれは非常に「アブナイ」流れであると考えている。私が強く共感したのは、東京都知事選前に宇都宮健児氏を批判して話題になった澤藤統一郎氏のブログ記事である。

澤藤統一郎の憲法日記 » この機会に、日本軍慰安婦問題を徹底して学び直そう(2014年9月4日)

この機会に、日本軍慰安婦問題を徹底して学び直そう

8月5日、朝日新聞慰安婦問題での吉田清治証言を誤りと認め過去の16本の掲載記事を取り消すとして以来の朝日批判が喧しい。これに、池上彰への記事掲載拒否問題が油を注いだ。

朝日への口を揃えてのバッシング。総批判、総非難の大合唱である。あたかも、一羽のムクドリが飛び立つと、あとのムクドリの大群が一斉に同じ方向に飛び立つという、あの図を思い起こさせる。もちろん、朝日批判に十分な理由はある。これに加わるのは楽だ。

しかし私は、何であれメディアの付和雷同現象を不愉快に思う。ジャーナリストとは、所詮はへそ曲がりの集団ではないか。他人と同じ発想で、同じように口を揃えることを恥とすべきだろう。

とりわけ、吉田清治証言撤回を、日本軍慰安婦問題全体が虚構であったような悪乗り論調を恥とすべきだ。吉田証言の信憑性の欠如は、20年前には公知の事実となっていた。たとえば、吉見義明の「従軍慰安婦」(岩波新書)は1995年4月の発行。巻末に、9ページにわたって参照文献のリストが掲載されているが、吉田の著作や証言はない。もちろん、本文での引用もない。

吉田証言が歴史家の検証に耐え得るものでなかったことについては、貴重な教訓としなければならない。しかし、他の多くの資料と証言とが積み重ねられて、日本軍慰安婦問題についての共通認識が形成されてきた。いまの時点で、吉田証言に信憑性がなかったことを言い募っても、歴史の真実が揺らぐわけではない。

この機会に、日本軍が一体何をしてきたのか、その歴史を見直そう。日本軍の慰安所は、いつからどのようにして設置され、どのように運営されていったのか、どのようにして慰安婦は徴集されたのか、どこの国の軍隊にもあったものなのか、そのような立場におかれた女性がどのような行為を強いられたか、戦時どのような運命を忍受したか、そして戦後どのような人生を送ったのか。さらに、今、世界はこの問題をどう見ているのか。国際法的にどのようにもんだとされているのか。

以下が、国連自由権規約委員会における対日審査最終所見(本年7月25日)の「慰安婦」関連部分の日本語訳(wamホームページから)。

〔14〕委員会は、締約国(日本政府)が、慰安所のこれらの女性たちの「募集、移送及び管理」は、軍又は軍のために行動した者たちにより、脅迫や強圧によって総じて本人たちの意に反して行われた事例が数多くあったとしているにもかかわらず、「慰安婦」は戦時中日本軍によって「強制的に連行」されたのではなかったとする締約国の矛盾する立場を懸念する。委員会は、被害者の意思に反して行われたそうした行為はいかなるものであれ、締約国の直接的な法的責任をともなう人権侵害とみなすに十分であると考える。委員会は、公人によるものおよび締約国の曖昧な態度によって助長されたものを含め、元「慰安婦」の社会的評価に対する攻撃によって、彼女たちが再度被害を受けることについても懸念する。委員会はさらに、被害者によって日本の裁判所に提起されたすべての損害賠償請求が棄却され、また、加害者に対する刑事捜査及び訴追を求めるすべての告訴告発が時効を理由に拒絶されたとの情報を考慮に入れる。委員会は、この状況は被害者の人権が今も引き続き侵害されていることを反映するとともに、過去の人権侵害の被害者としての彼女たちに入手可能な効果的な救済が欠如していることを反映していると考える。


締約国(日本政府)は、以下を確保するため、即時かつ効果的な立法的及び行政的な措置をとるべきである。
(i) 戦時中、「慰安婦」に対して日本軍が犯した性奴隷あるいはその他の人権侵害に対するすべての訴えは、効果的かつ独立、公正に捜査され、加害者は訴追され、そして有罪判決がでれば処罰すること。
(ii) 被害者とその家族の司法へのアクセスおよび完全な被害回復。
(iii) 入手可能なすべての証拠の開示。
(iv) 教科書への十分な記述を含む、この問題に関する生徒・学生と一般市民の教育。
(v) 公での謝罪を表明することおよび締約国の責任の公的認知。
(vi) 被害者を侮辱あるいは事件を否定するすべての試みへの非難。

以上の文脈で語られる「強制」に関して、ことさらに狭く定義しておいて「強制性を否定する」論法に惑わされてはならない。軍の管理のもとにおかれた女性たちが、戦地で「自由」であったはずはない。吉田証言の類の「慰安婦狩り」の事実があろうとなかろうと「強制」は自明であろう。

とりわけ自ら慰安婦として軍に強制されたと名乗り出た人々の証言は重い。それが法廷でのことであればなおさらのことである。本年3月に高文研から出版された、「法廷で裁かれる日本の戦争責任」は、その集大成として貴重な資料となっている。

同書は、「従軍慰安婦」、強制連行、空襲、原爆、沖縄戦などの日本の戦争責任を巡る50件の訴訟について、各担当弁護士が解説したものである。

第II章 「従軍慰安婦」は、以下の8本の解説記事。

※韓国人従軍「慰安婦」訴訟を振り返って
※関釜朝鮮人従軍慰安婦」・女子挺身隊公式謝罪訴訟
※フィリピン日本軍「性奴隷」裁判
※オランダ及びイギリス等連合国の捕虜・民間拘留者(「慰安婦」を含む)損害賠償訴訟
※台湾人元「従軍慰安婦」訴訟
※中国人元「慰安婦」訴訟と山西省性暴力被害者訴訟
※中国人「慰安婦」第二次訴訟 最高裁判決と今後の闘い
※中国人「慰安婦」訴訟・海南島事件

多くの外国人女性が、日本軍にどのように人格も人権も蹂躙されたかが具体的に描かれている。
膨大な証言が積み上がっての「日本の戦争責任」なのだ。吉田証言があろうとなかろうと。
(2014年9月4日)

澤藤統一郎氏は子どもの頃に『毎日小学生新聞』を読んで以来の長年の毎日新聞の読者で、過去のブログ記事に毎日新聞をひいきする記事を書いていたと記憶するが、それでも今回の朝日バッシングに不快の意を表明しておられる。特に引用文中赤字ボールドにした部分には強く共感するところである。今回の件は、引用文中青地ボールドにした部分で澤藤弁護士も指摘する通り、確かに「朝日批判に十分な理由はある。これに加わるのは楽」なのだが*2、だからといって、「吉田証言の嘘」を針小棒大に評価することによって、今後の日本が道を誤る大きなリスクを抱えていることをスルーする、池上彰や(自社批判のみにとどまっている)朝日新聞記者たちのあり方には、強い疑問を感じずにはいられないのである。

さて、とんでもない長文記事になってしまったが、上記の日本を誤った道に導こうとする言説、すなわち「河野談話」に次の狙いを絞った妄論を、櫻井よしこ自民党政調会長稲田朋美が早くも発している。これに警鐘を発するべく、彼らの言説を最後に紹介しておきたい。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140901/plc14090103190005-n1.htm

潰すべきは「河野談話

 米国サンフランシスコの中華街に新たな慰安婦像を設立する準備が進行中だ。中国系団体「世界抗日戦争史実維護連合会」による初の像設立は米国での対日歴史戦で中国が前面に躍り出たことを意味する。8月29日、国連人種差別撤廃委員会が最終見解を発表、元慰安婦と家族に謝罪と十分な補償、日本の責任者の法的責任追及を求めた。これからも私たちは中韓のいやな動きに直面するだろう。

 「朝日新聞」の慰安婦強制連行という世紀の大嘘が判明しても、国際社会の対日認識はすでに異次元に飛び、不気味な進化を続ける。その元凶は、一にも二にも河野談話にある。河野談話の取り消しなくしてぬれぎぬは晴らせない。潰すべき本丸は河野談話なのである。

 談話取り消しに躊躇(ちゅうちょ)する人々は以下のような実態に耐えられるのか。1996(平成8)年、国連人権委員会のクマラスワミ報告は河野談話を引用し慰安婦問題を「日本軍の性奴隷制度」と断じ、吉田清治証言も引用して国際社会を対日憤怒に駆り立てた。

 同報告書にはこんな記述がある。「連行された村の少女たちは非常に若く、大半が14歳から18歳だった」「1日60人から70人の相手をさせた」、朝鮮人の少女が抗議すると「中隊長ヤマモト」が命令し「彼女を裸にし手足を縛り、釘(くぎ)の突き出た板の上で、釘が彼女の血や肉片で覆われるまで転がし、最後に彼女の首を切り落とした」。これは元慰安婦チョン・オクスン氏の証言だが、彼女はもう一人の「ヤマモト」もこう言ったと主張する。

 「お前ら全員を殺すのは、犬を殺すより簡単だ」「朝鮮人女が泣いているのは食べていないからだ。この人間の肉を煮て食わせてやれ」

 性病の拡散防止のため「殺菌消毒」として「少女の局部に熱した鉄の棒を突っ込んだ」「少女の半数以上が殺害された」とも語っている。

 こんな証言は日本人は誰も信じない。古来、日本人はどんな罪人にもこれほど野蛮な責め苦を与えたことはない。しかし、これは同報告の一部にすぎず、同報告は英語で展開される世界の対日非難の序章にすぎない。

 同報告から2年後、国連人権委員会マクドゥーガル氏の「現代的形態の奴隷制」最終報告書が出された。A4で18ページの報告は慰安所を「レイプ・センター」と定義、「奴隷にされた女性たちの多くは11歳から20歳」「多くは子供だった」「毎日強制的にレイプ」「厳しい肉体的虐待」「生き延びた女性はわずか25%」と明記し、「日本軍の行為」を「人道に対する罪」だと断じている。

 同報告は日本の責任者を訴追すべきで国連人権高等弁務官が乗り出し、他国も協力し、訴追の立法化を進めよと勧告しているのである。

 マクドゥーガル報告書も河野談話を重視する。談話で日本政府は慰安所設立に深く関与したと認めているにもかかわらず、日本政府は責任を否定し続けていると、告発しているのだ。朝日が強力に支えた河野談話を確固たるよりどころとして、国際社会の認識が極限まで悪化しているのである。

 だからこそ中国も韓国も、決して日本の河野談話否定を許さない。両国はアメリカを舞台にした対日歴史戦で手を組み陰謀を深化、かつ加速させた。彼らは成功し、2007(平成19)年には米下院が河野談話を引用して対日非難決議を採択した。オランダ、カナダ、EUなども続いた。中韓両国の高笑いが聞こえるではないか。その高笑いに対して日本は闘わないのか。

 今年8月中旬にも、ワシントンで保守系シンクタンク主催の2つのシンポジウムが開かれ、韓国の元政府要人や現役の駐米大使が基調演説で激しく日本を批判した。

 一方、日本政府を代表する人物は駐米日本大使を含めて誰ひとり出席しなかった。恐るべき日本外交の怠慢の中で、日本政府の河野談話検証が日韓関係の阻害要因だとして非難されたのだ。主催者の保守的シンクタンクヘリテージ財団の上級研究員でさえ、「日本軍による女性の強制連行は事実」と主張し、韓国の主張に足並みをそろえるありさまだ。

 河野談話という日本政府の正式談話を取り消さない限り、「日本政府が認めている」として、逆に日本は永久に責められ続けるのがオチである。それでも我慢せよと言うのか。

 今、私たちは、日本の不名誉を晴らすための情報発信に幾周回もの遅れを承知で本腰を入れなければならない。10年20年単位の時間をかけ、国家の重大責務として歴史の事実を広め、究極的に河野談話を粉々に打ち砕くのだ。

 その大仕事を、長年結果を出すどころか最悪の事態を招いた外務省に任せるわけにはいかない。短期決戦では決して達成できない仕事だからこそ、有為の人材を集め、外務省とは別個に恒久的な情報発信組織を打ち立てることが重要だ。その組織の喫緊の課題は事実を世界に拡散徹底することで、歴史戦争に正統的勝利をおさめることとし、中韓両国の汚い捏造(ねつぞう)に、熱い心と王道で闘うのだ。

 日本を不必要に飾る必要はない。国際社会が事実関係を通して公正な目で日本を見ることを可能にする情報発信に努めるのだ。朝日批判で満足することなく、河野談話取り消しを目指してまた、一歩踏み出す時なのである。

 日本の示す事実に国際社会は激情にかられた反発をするかもしれない。けれど、事実程強いものはない。冷静に着実に、事実を広げていくことに徹したい。

MSN産経ニュース 2014.9.1 03:19)

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140903/stt14090322340020-n1.htm

稲田政調会長河野談話見直しの必要性指摘

 自民党稲田朋美政調会長は3日のBSフジ番組で、慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の河野洋平官房長官談話について、「虚偽で国の名誉が世界中で失墜している状況は嘆かわしい。名誉回復のために全力で政府も与党も頑張る必要がある」と述べ、談話見直しも含めた対応の必要性を指摘した。

MSN産経ニュース 2014.9.3 22:34)

つい1年4か月前には、稲田朋美産経新聞橋下徹の「慰安婦は必要だった」発言を批判していたものだが。彼らの頭からは「記憶力」というものが欠落しているようだ。

http://www.asahi.com/politics/update/0514/TKY201305140102.html

閣僚ら橋下氏発言を批判 維新幹部は参院選へ影響懸念

 戦時中の旧日本軍慰安婦について「必要」などと述べた日本維新の会橋下徹共同代表の一連の発言に対し、閣僚や与野党幹部から14日、批判が相次いだ。

 菅義偉官房長官は午前の記者会見で、慰安婦問題について「政府の立場は、筆舌に尽くしがたいつらい思いをした方々の思いに心が痛むというものだ。安倍内閣も歴代内閣と同様の認識だ」と述べたうえで、沖縄の米軍司令官に「風俗業の活用」を進言したという橋下氏の発言に「私はくみすることはしない」と不快感を示した。稲田朋美行革相は「慰安婦制度は女性の人権に対する侵害だ」と指摘し谷垣禎一法相は「今の時点で(慰安婦の)必要性を強調する必要があるのか」と疑問を投げかけた。

 また、下村博文文部科学相は「党の代表としての発言とはいかなるものか認識する必要がある」と、党首としての資質を問題視。自民党石破茂幹事長も「党のトップは発言によく配慮していかないと国益を損なう」と苦言を呈した。

朝日新聞デジタル 2013年5月14日13時26分)

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130515/stt13051503370002-n1.htm

橋下市長発言 女性の尊厳損ね許されぬ

 日本維新の会橋下徹共同代表(大阪市長)が「慰安婦制度は当時は必要だった」などと語った。米軍幹部に「海兵隊員に風俗業を活用してほしい」と述べたことも自ら明らかにした。

 今の時代に政治家がこうしたことを公言するのは女性の尊厳を損なうものと言わざるを得ない。許されない発言である。

 慰安婦問題をめぐっては、宮沢喜一内閣当時に根拠もないまま強制連行を認める河野洋平官房長官談話が発表され、公権力による強制があったとの偽りが国内外で独り歩きする原因となった。

 安倍晋三首相は有識者ヒアリングを通じて談話を再検討する考えを示してきた。橋下氏が「必要な制度」などと唱えるのは事実に基づく再検討とは無関係だ。国際社会にも誤解を与えかねない。

 橋下氏は「慰安婦制度は世界各国の軍が活用したのに、なぜ日本だけ取り上げられるのか」「軍の規律を維持するためには必要だった」などと、当時の慰安婦の必要性を肯定した。

 これに対し、稲田朋美行政改革担当相は「慰安婦制度は女性の人権に対する大変な侵害だ」と批判し、下村博文文部科学相も「あえて発言する意味があるのか」と指摘した。稲田、下村両氏は自民党内の保守派として河野談話の問題点を厳しく指摘したこともあるが、橋下氏の考えとは相いれないことを示すものといえる。

 安倍首相も「筆舌に尽くしがたいつらい思いをされた方々のことを思い、非常に心が痛む」との認識を表明している。

 河野談話の発表にあたっては、二百数十点に及ぶ公式文書には旧日本軍や官憲が慰安婦を強制連行したことを裏付ける資料は一点もなかった。だが、発表直前に韓国のソウルで行った韓国人元慰安婦からの聞き取り調査だけで、強制連行があったと決めつけた。

 裏付けなく発表された談話が、韓国などの反日宣伝を許す要因となっている状況を安倍政権は見直そうとしている。いわれなき批判を払拭すべきだという点は妥当としても、橋下氏の発言が見直しの努力を否定しかねない。

 橋下氏が米軍幹部に述べた「風俗業活用」発言など、もってのほかだ。人権を含む普遍的価値を拡大する「価値観外交」を進める日本で、およそ有力政治家が口にする言葉ではなかろう。

MSN産経ニュース 2013.5.15 03:36)

上記は他社の「社説」に当たる産経新聞社の公式見解を示す記事だが、橋下の発言を批判するのか河野談話を批判するのか全くわけがわからない。なるほど「カオス」(混沌)そのものだ。この文章を書いた産経の論説委員も頭の中が真っ白だったのではないか(笑)

ま、とりあえずアメリカをはじめとする世界各国が頭から湯気を立てて怒っているから橋下を咎めるふりをして逃げようというところだろうが、本音では産経も安倍晋三稲田朋美下村博文もみな「橋下と同じ」であることは言うまでもない。

*1:http://synodos.jp/economy/6279/3

*2:一例を挙げると、普段安倍晋三(や小保方晴子)を信奉しているはずのid:surohninが、自社を批判した朝日の幹部記者のTwitterを論拠にして、つまり朝日新聞の「権威」をバックにして、当ダイアリーに居丈高なコメント(http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20140903/1409703414#c1409779741)を寄越してきたのだった。私はこのような行為に走った"surohnin"なる人間の卑しい心根を軽蔑するとともに、こんな男のコメントを掲載してもブログ運営の足しにならないと判断して、この男をコメント禁止処分に処したのである。