kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

安部公房『第四間氷期』を読む

昨日(9/20)夕方から今朝(9/21)にかけて読んだ本。


第四間氷期 (新潮文庫)

第四間氷期 (新潮文庫)


この本のタイトルだけは40年くらい前から知っていた。また安部公房は学生時代だったかの昔、『砂の女』や『他人の顔』を読み、それなりに面白いとは思ったが、はまるには至らなかった。この本を読もうと思った理由は、昨年女優の山口果林安部公房との関係を告白した本を出した(『安部公房とわたし』=未読)ことと、図書館に置いてあった文庫本が改版されて文字が大きくなっていたことだ。奥付には「平成二十四年五月二十五日 第四十二版改版」とある。

未だに奥付の発行年月日を元号表記しているあたりが右寄りの出版社たる新潮社らしいが、作者の安部公房は明らかな左翼だった。たとえば右翼の巣窟・2ちゃんねるを覗くと、こんな寸評がされている*1

108 名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2012/11/07 10:01:35  id:Go6R+JaZ0(2)
  大江を左翼というが
  左翼というなら安部公房だって左翼
  ただ安部公房は幾重にも屈折してるから面白い
  大江は屈折がなくて戦後民主主義を盲信してるからつまらないし
  だからこそ時代遅れになったわけだ


その「戦後民主主義を盲信してる」はずの大江健三郎が「『右』も『左』もない」病に冒されつつあることが昨今明らかになったと私は考えているが、それはともかく、安部公房の『第四間氷期』は、ちょっとばかりジョージ・オーウェルの『一九八四年』を思い出させるSF作品である。冷戦期には「反共」作家呼ばわりされてきたオーウェルがバリバリの左翼であったことは、今では誰もが認めるところだろう。

ところで、『一九八四年』と『第四間氷期』を対比したブログ記事はやはりあって、下記の記事を見つけた。以下、思いっ切りネタバレを含むので、これらの小説を未読で、かつ読んでみたいと思っておられる方は、ここで読むのを止めた方が良い。

2006年11月: 安部公房解読工房blog(2006年11月29日)

[読む]『第四間氷期』と『1984年』を結ぶ糸

 最近、『第四間氷期』のことを考えるとジョージ=オーウェルの『1984年』が想起され、『1984年』のことを考えると『第四間氷期』のことが想起されるという困った状態に陥っている。もちろん、『第四間氷期』にBBに相当する人物は描かれないし、『1984年』に予言機械に相当する機械は登場しない。しかし、両作品に何かしらの共通性があるのではないかと思えて仕方ないのだ。それは、以下のような物語の糸が見えるからなのかもしれない。
 まず、縦糸は異端審問だ。物語の中盤で、勝見博士もウィストン=スミス*2も囚われの身になり、異端審問を受けることになる。その執拗さは特筆に価するものがある。主人公の思想を、ゆっくり丁寧に、しかし容赦なく否定していく。海底開発協会やイングソック党内部の持つ思想を絶対視して、その思想に疑念を抱く主人公を対話の中で徹底的にうちのめしていく。「何のためにこんなことをする」という主人公の叫びや疑念には、切迫したものを感じる。
 そして、横糸は歴史に対する情報操作だ。二次予言値を使って勝見を否定するが、あれはトリックで海底開発協会に都合のいい二次予言値を使ったに過ぎない。勝見が真実を世間に公表する未来は、世界がパニックに陥るという理由で、二次予言値として見なされない。そして、勝見に関する三次予言値もしくは最大値予言には全く触れられないまま、暗殺者によって殺される予定であるらしい。一方、オセアニアでは、正しい歴史をつくるために常に文書は改ざんされていく。ウィストン=スミスの担当していた仕事がまさしくそれであり、変更指示に忠実に従い、捏造の証拠を残さず、タイムズを書き換えていく。正しい未来と正しい過去と対比していいのかも知れない。しかし、それぞれ、「海底開発協会にとって都合のいい」、「オセアニア政府にとって都合のいい」という修飾語がつくはずだ。
 異端審問と情報操作以外にも、まだ両者をつなぎ合わせる糸屑は残っている。頼木の裏切りとオブライエンの裏切りには似たようなものはないだろうか?風の音楽にあこがれを抱く水棲人と一パイントのビールに興味を持つウィストン=スミスは、どこか似ていないだろうか?それでも、両者の結び付けを否定する方は、モスクワ2号の予言をもう一度思い出して欲しい。それが以下のようなものであったことを・・・・・・。

「モスクワ2号の予言、お聞きになりましたか?なんでも三十二年以内に、最初の共産主義社会が実現し、一九八四年頃に最後の資本主義社会が没落するだろうっていうんですが、先生、いかがでしょう・・・・・・?」


引用文中最後の部分は、『第四間氷期』からの引用であり、文字が大きくなった新潮文庫の改訂版では18頁に出てくる。つまり、安部公房自身が「一九八四年」という年数を書いているわけだ。余談だが、『第四間氷期』が岩波書店の月刊誌『世界』に連載されたのは1958〜59年であって、1959年の32年後といえば1991年、すなわちソ連が崩壊した年であった。

そのソ連に対して徹底的に批判的な目を向けていたのがオーウェルだった。『一九八四年』にせよ『動物農場』にせよ、ソ連批判の文脈を抜きに作品を語ることはできないだろう。オーウェルと比較すれば安部公房はまだまだ甘かった。以下、別のブログ記事から引用する。

第四間氷期 安部公房著 | お父さん(松)の知っていること(2011年9月25日)

第四間氷期 安部公房

部屋の壁紙の張替えで、荷物を搬出していたら出てきた文庫本を久しぶりに読み返してみようかと、安部公房『第四巻氷期*3

最近ではwikiなどで何でもかんでも調べられるのですが、当時(学生時代今から20年前!)、教科書に載っていたエッセーで『死に急ぐクジラたち』を読んで、買ってみたものだ。

wikipediaによると、安部公房は右側三島由紀夫、左側安部公房などと評されていたぐらいなので、あぁなるほどと、今頃気づく。

この小説はもう40年以上前に書かれているので、予言機が未来は共産主義社会!と予言したり、ルイセンコ(獲得形質の遺伝!)といったものが出てきても、ああ、当時は。。。東側なら。。。という部分。
だが、内容は素直に面白い。
今で言うならスーパーコンピューター!“予言機”の映し出す未来に振り回される現代!
予言機そのものの製作者自身が予言機によって破滅に追い込まれる。。。
そして断絶された“水棲人”、と現代人。。。
われわれ現代人は、海から離れたが海を内側に閉じ込め、母なる海からは断絶していない。
しかし、海に戻った“水棲人”は空気から断絶させられてしまった。。。という不幸。(一部の水棲人にとってですが)
これぞ現代(もう過去ですが)のカフカ安部公房!という内容です。
私の最近のお気に入りは吉田修一ですが、やはりスティーヴン=キングの方が怖いし!更に安部公房!の方が怖さ爆発!だと。
文庫本は約20年前に出た物で、今の製本技術と比べて、非常に悪い。。。新潮文庫が悪いというわけではないと思う。そして、文字が小さい。。。1行44文字。。。そろそろ老眼が入りかけているのかという眼球には優しくない本です。

こういうものこそ(自炊するか)、電子書籍化するなりしてほしいなぁ。
以上


そう、『第四間氷期』は、今では「トンデモ」として否定的な評価がほぼ固まっている「ルイセンコ理論」に基づいて物語が展開されるのだ。新潮文庫の巻末にある磯田光一氏の解説がまたぶっ飛んでいる。以下引用する。

 この小説の後半部において大きな意味を持つ新しい生物の創出、とくに水棲人間の創出は、おそらくルイセンコの遺伝学に近い思考に依拠するものと思われる。ソヴィエト生物学の基盤を形づくったルイセンコは、周知のように、“遺伝”が“環境”によって変えられることを実証した。このような性格の世界像は、生活環境という後天的な要素が人間を変えうるだけでなく、先天的と思われているものもじつは可変であるという世界像である。(338-339頁)


磯田光一氏は1987年に56歳で亡くなっているが、特段左翼の人ではない文芸評論家・イギリス文学者だったようだ。上記に引用した解説文は1970年8月に書かれているが、その時点ではルイセンコ理論は一般的に受け入れられるか、または少なくともまともな学説の候補として議論される対象だったということだろう。だから、東大医学部卒の安部公房が小説にルイセンコ理論を取り入れたからといって、現代の目から「トンデモ理論を信奉するサヨク」と批判するのはアンフェアであるとはいえる。とはいえ、今も新しさを失わないオーウェルの『一九八四年』や『動物農場』と比較すると、やや古色蒼然との読後感は否めない。

本には、磯田光一氏の解説の前に、作者・安部公房自身が1959年6月に書いた「あとがき」が付されている。これもなかなか興味深いが、その一部を以下に引用する。

 この小説は、一つの日常的連続感の、死でおわる。だがそれはなんらの納得も、またなんらの解決をも、もたらしはしない。あなたは、むらがる疑問に、おしつつまれてしまうことだろう。ぼく自身、いまだに分からないことが沢山ある。たとえば助手の頼木の立場は、正確にいって、どういうことなのか? 単なる資本家の代理人にすぎないのか……それとも、予言機械を通して出される水棲人社会からの指令で動いている革命家なのか……あるいはその中間に立って、悪をなさんと欲して善をなす資本家を、あやつっているつもりの改良主義者なのか……書いているあいだじゅう、疑いつづけ、いまだに晴れない疑いの一つなのである。(332頁)


小説におけるキャラクタの性格は作者自身の思想を離れた(あるいは超えた)ものであることの一例だろう。

さて、以下はこの小説の最大の疑問点である。それはタイトルの「第四間氷期」と関係する。現代の地球の気候を「後氷期」と呼ぶことを知ったのは小学生高学年の頃だった。それを教えてくれた本には太古からの地球の気候変動のグラフが載っていて、比較的最近の地球には第1〜第4の4回の氷期があり、それぞれの間に3回の間氷期があって、現在は「ウルム氷期」とも呼ばれる第4氷期が約1万年前に終わったあとの「後氷期」であると書かれていた。でもそれは「後氷期」ではなくて「第4間氷期」なのではないかとは、小学生にも思い浮かぶ疑問であって、そんな疑問を持ちつつ中学生に上がった頃に、「第四間氷期」と題された小説があることを知った。また当時は、例の「ノストラダムスの大予言」で大儲けしたであろう偽予言者・五島勉とつるんだ西丸震哉(1923-2012)が共著『実説大予言 - 地球は冷え、乾き、人々は飢える』を出していた。つまり、70年代には「地球寒冷化説」が流行していた。

だから、安部公房の『第四間氷期』とは、「第5氷期」が到来する話なのだとつい昨日まで勝手に思い込んでいたのだった。ところが読んでみると、この小説で描かれているのは、地球温暖化による海水面の上昇であった。作中にこんなセリフがある。

(前略)とくにこの、北半球における夏期の異常高温ですな……これについちゃ、もうかなり前から、太陽黒点のせいであるとか、人間のエネルギー消費による炭酸ガスの増加であるとか、いろいろに言われてきましたが、(後略)(282頁)


それで、海水面の上昇による地表の沈没に対応すべく、水棲人間を創り出したというわけだ。70年代に地球寒冷化論が流行する以前の50年代には、現在と同様に、地球温暖化論が活発に論じられていたようである。実際、ネット検索をかけて下記記事を見つけた。日下実男(1926-1979)という、元朝日新聞記者で、のち退社して科学ライターになった人の著書を引用したものらしい。私もこの人の名前には見覚えがある。この人が書いた子ども向けの科学読み物を読んだことがあったに違いない。

1-01-27

安部氏と氷河期 日下実男

 安部公房氏との最初の出会いは、『第四間氷期』のせいである。早いもので、考えてみると、もう十三年くらいも前のことになる。私はその頃、朝日新聞社の科学部に籍をおいていた。当然、いろいろな人との交渉があったが、そのなかに、文学好きの好資年*4が一人いた。

 私たちは顔が会うと、数寄屋橋の近くの鰻屋の小座敷などに上がりこみ、一杯やっては気焔をあげたものだ。もっともキエンをあげるのは、たいてい私の方で、大学を出たばかりの彼は、たまに奇想天外な小説の粗筋を語るくらいのものだった。

 そんなある日、「安部さんに会ってくれませんか」と、突然、彼がいいだしたのである。聞いてみると、安部氏は海とか氷期などの問題について取材したいそうで、たぶん鰻屋での私の怪キエンの中身が、海底火山だとか、深海だとか、あるいは地球と人類の未来といったようなことが多かったために、彼が仲介役をつとめる気になったのだと思う。

 当時、仏はフランスのバチスカーフFNRS3号に乗って、宮城県金華山沖の深さ一千メートルをこえる深海に潜水した直後であった。またその数年前には、海底火山明神礁の大爆発や、神秘な火山島が生まれ、そしてまた崩れ去ってゆく姿などを、目撃していた。

 だから、人に会って酒でも入れば、自然にそんな話がよく出たのだた思う。とにかく別な日、安部氏は一人で、朝日の玄関の受付にやってきた。むろん、初対面である。

 新聞社には、粗末な丸テーブルを五つ、六つ置いただけの、薄汚ない面会部屋しかなかったので、人が来れば、ほとんど外へ出ることになる。私は安部氏を、行付の銀座のおでん屋の二階に誘った。そして酒を飲みながら話をすることにしたのだが、氏はすでに、この作品の構想を頭のなかで、かなりはっきりとまとめていたように思われる。

 なぜなら氏の質問は、氷期とか海とかについての一般的なものでなく、海面の上昇とか、氷期の終末などについて、自分はこういうことを考えているが、どうか−−というような、いわばダメ押しの問いかけが多かったように記憶するからだ。

 その頃は、実際に海面が上昇しつつあった。たとえば、一九三○年以来、アメリカ合衆国の全海岸にそって、海岸陸地測量部の検潮儀には、海面の上昇が感知されてきた。マサチューセッツ州からフロリダ州に至る延長一千マイルの大西洋岸や、メキシコ湾の沿岸で、一八年間に、およそ三分の一フィートも、海面が高くなったことが観測されたのである。

 太平洋岸でも、海面はゆっくりと盛り上る傾向を示していた。しかもこのような検潮儀の記録は、暴風などによる一時的な昇降が原因ではなく、海水が絶えず一様に、陸地に向って浸攻しつつあることを物語っているように思われた。

 過去百万年の間に、氷期は四度地球を襲い、そのたびに海は沖合い遠く退いていった。そして私たちはいま、最後のウルム氷期が、約一万年前から八千年前の間に、突然、終りを告げた後の気候の温和な第四間氷期に生きているわけである。

 氷期がなぜ、地球の年齢から見たら、ごく短い期間に四度も襲来したかについては、今日でも定説がない。イギリスのホイルのような天文学者は、原因を彗星の分裂に求めているが、地質学者の多くは、造山運動のような、地球内部の原因によるとしている。

 造山運動は、地向斜と呼ばれる堆積物をためこんだ海の底が、むくむくと頭をもたげて、新らしく高い山脈などを形成するものだ。地向斜は、堆積物の層が一万メートルに達しても、まだ埋まらないという底なしの海である。深さ一万メートルのところでは、三千気圧もの圧力がかかっている。

 このような海底の堆積物の層が、凄まじいエネルギーで上昇するときにに、火山の活動などに伴って、大量の地熱が失われる。新らしく陸地ができた結果、地球か失う輻射熟の最も多くなる。

 こういうことがからみあって氷期になったというのが、いわゆる内因説である。が、こういう造山運動だけでは、第四紀の氷期は、一回しか説明できないとする人も多い。

 そういうわけで、氷期の原因はいまも謎めいているのだが、私が安部氏に会った頃は、地球はまだ温暖化の傾向にあり、海面の上昇も、氷河が溶けているせいだろうと見られていた。

 もっとも検潮儀による広汎な観測は、アメリカでも、わずか散十年前から始ったばかりだし、世界的に見れば、記録のとれない地域の方がはるかに多かった。だから海面の上昇が全地球的に起こっていたかは、知る由もなかった。しかし一方では、地球の上層に、人間の文明の排出した炭酸ガスが厚くたまりだし、そのため温室効果によって、気温はますます上昇し、やがて極地方のすぺての氷河はとけて、世界の海岸都市はことごとく水没するであろう−−という人もあった。

 とにかく、あのころは地球の温暖化ということが、問題になっていたのである。ところが一九六三年頃から、北半球では寒冷化が目立つようになった。最近の大西洋域における極氷の広がりは、今世紀に入って最大といわれるのである。

 このような傾向は、氷期の始まりとよく似ている。原因は公害のせいではないかという人もあるが、よくわからない。はっきりしていることは、氷期間氷期は、地球の長いリズムの一つであるが、その間に、自然的、人為的な短かいリズムが繰り返し起こりうるということであろう。


『第四間氷期』の連載開始が月刊誌『世界』の1958年7月号だから、この文章は1971年に書かれたと推測される。文章を読むと、日下氏が安部公房より年上だったかのようにしか読めないが、実際には日下氏は安部氏より2歳年下だったようだ。それはともかく、60年代から70年代前半にかけてはいったん「地球寒冷化論」が流行したが、その後再び「地球温暖化」が論じられるようになった。日本では1978年以降、猛暑と暖冬の年が増えたという印象を持っている。

私が言いたいのは、「地球温暖化」を題材にするなら、いかにもそのあとに「第五氷期」が訪れそうな『第四間氷期』というタイトルとはミスマッチではないかという、たったそれだけのことである。だが、同様の疑問を記したネットの記事はなかなかみつからない。

さて、延々と作品にいちゃもんをつけ続けたような記事になったが、それにもかかわらず、この小説は面白かったというのが結論なのである。但し、オーウェルの『一九八四年』や『動物農場』と同列には論じられないが、という留保がつき、その留保について延々と書いてきたわけだが、読んで損はないし、いろいろな読み方を許容しているところにこの作品の面白さがある。それに、この作品は、安部公房の他の作品と比較して断然読みやすい。

*1:http://desktop2ch.tv/mnewsplus/1352229581/

*2:ママ。通常は「ウィンストン・スミス」と表記される。以下同様=引用者註

*3:ママ。

*4:ママ。「好青年」の誤記か=引用者註