kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

赤瀬川原平といえば「櫻画報・朝日ジャーナル回収事件」と「トマソン」

昨日(27日)、赤瀬川原平の訃報に接したが、赤瀬川原平といえば、1971年の「櫻画報・朝日ジャーナル回収事件」が真っ先に思い出され、次いで1982年頃からの『超芸術トマソン』が思い出される。一方、1998年の「老人力」は覚えていない。だから、新聞などに載った訃報記事にはいまいちピンとこないのものが多かった。何より「櫻画報」の件が出ていない。

だから、「櫻画報・朝日ジャーナル回収事件」について書こうと思ったのだが、時間がとられそうなので早々に止める決断を下した。その代わり「トマソン」について少し書いておく。「トマソン」に関してネット検索をかけたら、徳島県海部駅付近の「山のないトンネル」が出てきて、懐かしく思い出した。「Wikipedia 海部駅」によると、

当駅北側の牟岐線上にある町内(まちうち)トンネルは、当初は山を貫いていたが、宅地開発などによって山が切り崩された結果、構造物のみのトンネルとなり、赤瀬川原平の『超芸術トマソン』に「純粋トンネル」として紹介されたり、テレビ番組(「巨泉のこんなモノいらない!?」など)、「Rail Magazine」(ネコパブリッシング)連載の「トワイライトゾ〜ン」等でも多数取り上げられ、一躍有名になった。

とのことだ。このトンネルの写真の印象は強い。とはいえ、昔、四国在住時代に海部駅付近に行った時には「トマソン」の件は覚えてなかったため、この近くは通らなかった。しまった、見に行って写真でも撮っておけば良かったと今にして思ったのだった。

なお、トマソンとは、1981年から82年にかけて、プロ野球・読売球団に所属していたゲーリー・トマソンという選手の名前にちなむ。この選手はスポーツ紙にたびたび「トマ損」と書かれ、(読売球団にとって)役に立たない(=対戦相手の球団にとってはありがたい)選手だった。そのことから、《芸術のように実社会にまるで役に立たないのに芸術のように大事に保存されあたかも美しく展示されているかのようなたたずまいを持っている、それでありながら作品と思って造った者すらいない点で芸術よりも芸術らしい存在=「超芸術」》(Wikipedia「トマソン」より)のうち、特に不動産に関するものを「トマソン」と命名したとのこと。

余談だが、読売のトマソンと同レベルの「役立たず外国人選手」はごく普通だし、最近は日本からアメリカに行った選手として、たとえばニューヨーク・ヤンキースにおける伊良部とか、それよりずっとひどかった井川慶中村紀洋などの例もある*1トマソンが持ち出されたのは、当時は「プロ野球といえば読売」という悪しき認識が普通だったせいもあろう。たまたま赤瀬川原平が「超芸術」を思いついた時の「読売の役立たず外国人選手」がトマソンだったおかげで、トマソンという名前が長く記憶されることになった。

老人力」は、前述のように全く覚えていない。

以上の理由により、訃報記事はどれもピンとこないものばかりなのだが、いちおう読売新聞の記事を掲げておく。朝日は当事者だったせいか櫻画報事件への言及はないもののトマソンに言及しているが、ネット版では記事の途中でなんとかデジタル登録者限定にしてあってトマソンの部分が読めないし、毎日には櫻画報事件もトマソンも出てこない。読売にも櫻画報事件は出てこないが、トマソンは書いてある。さすがは「キョジングン」の親会社というべきか。

http://www.yomiuri.co.jp/culture/20141026-OYT1T50097.html

赤瀬川原平さん死去…「老人力」や「トマソン

 美術家、芥川賞作家で、「老人力」などユニークな発想で知られた赤瀬川原平(あかせがわ・げんぺい、本名・克彦=かつひこ)さんが26日午前6時33分、敗血症で死去した。77歳。

 告別式は近親者で行う。喪主は妻、尚子(なおこ)さん。兄は直木賞作家の隼(しゅん)さん。

 横浜市に生まれ、大分市などで育った。1950年代から読売アンデパンダン展に出品。63年には、高松次郎さん、中西夏之さんと芸術集団「ハイレッド・センター」を結成した。前衛的な活動の中で、千円札を題材にしたことが通貨模造にあたるとされ、裁判で「芸術か犯罪か」が問われた末に有罪となった。

 他方で社会風刺的なイラストなどを発表。尾辻克彦の筆名で小説も書き始め、81年に「父が消えた」で芥川賞。斬新な発想を悠然とつづるエッセーでも親しまれ、98年の「老人力」は物忘れ、繰り言など加齢に伴う現象を肯定的にとらえ、ベストセラーに。2000年には読売新聞に小説「ゼロ発信」を連載した。

 身近な路上に着目した活動も多く、用途不明の建物などを「トマソン」と名づけ、友人らと「路上観察学会」を設立。カメラ収集にも凝り、写真家らとの「ライカ同盟」ではスナップを撮り続けた。ほかの著書に「外骨という人がいた!」「新解さんの謎」など。

 このところ体調を崩し、療養中だった。千葉市の同市美術館から全国巡回する回顧展「赤瀬川原平の芸術原論展」の開幕を28日に控えていた。

(読売新聞 2014年10月27日 05時00分)

*1:トマソンは、活躍した時期もあったという点で、故伊良部秀輝に近いかもしれない。