kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

野口英世の肖像画を千円札に使う「寛容な国」日本

STAP細胞」研究不正事件に関する、共同通信の記事に呆れ返ってしまった。

http://www.47news.jp/47topics/e/260651.php

【STAP問題】厳しい目、寛容さを失う社会を象徴か  騒動の背後に

 「夢の細胞」をめぐる一連の騒動は一体、何だったのか―。26日、理化学研究所の調査委員会は小保方晴子(おぼかた・はるこ)氏(31)による捏造(ねつぞう)をあらためて認定し、STAP細胞がなかったことはほぼ確実とした。前代未聞の不正に社会は揺れ続け厳しい目が向けられたが、寛容さが失われた今の時代の断面が表出したとみる識者もいる。

 「『研究犯罪』とでも言うべき許されない行為。 多くの国民を振り回し、科学への不信感を抱かせた」。教育評論家の尾木直樹(おぎ・なおき)法政大教授は手厳しい。研究成果の発表当初は、再生医療の新たな展望が開けると大きな期待が寄せられていたことも重大視。「患者にいったん望みを持たせておいて、それを破壊した。こんな残酷なことはない」と批判する。

 理研調査委の報告書については、全容解明には至らなかったが、「一つの着地点になったと思う」と評価。一方で、STAP論文共著者の一流の研究者が不正を見抜けなかったことも判明し、「科学の倫理はこんなにいいかげんなものなのか」と疑念を示した。

 作家の雨宮処凛(あまみや・かりん)さんは「ふんわり系で、モテる女子を体現したような存在。科学の世界に希望の星として降臨した」と分析。問題がここまで世間の耳目を集めたのは、小保方氏本人の個性も作用していたとみる。

 壁がピンク色に塗り替えられた実験室、 ムーミンのグッズや白衣代わりのかっぽう着は繰り返しニュースに。理系好きの女子を意味する「リケジョ」の言葉もちまたにあふれた。

 だが、論文の疑惑発覚後、小保方氏に向かった強いバッシングには違和感を拭えないという。

 「若い女性で成功した。報われない人が多い今の日本の社会で、一番たたきがいがある存在」。組織としての理研にも責任はあるはずなのに、「全ての責任を1人の人間に丸投げしている。楽な方法なのだろうが、あまりにもえげつない」。

 文芸評論家の山崎行太郎(やまざき・こうたろう)さんは「まだ誰もやっていない成果を追い求めるのが科学者。断罪するようなことは絶対に良くない」と小保方氏を擁護。一連の騒動が、寛容さを失っていく社会の風潮を象徴しているように見えてならないと振り返った。

 「正解しか許されない場所から、果たして世紀の大発見が生まれるだろうか」。今後多くの研究者が萎縮し、科学研究の現場に悪影響をもたらすかもしれないと危ぶんだ。

共同通信 2014/12/27 11:00)


記事に登場した3人のコメンテーターのしんがりは、なんと「小保方信者」の山崎行太郎。しかも、共同通信の記事の見出し「寛容さを失う社会を象徴か」は、山崎の言葉からとられている。

これはひどい。そういえば「STAP細胞」の報道で目立ったのは、毎日・日経の両紙とNHKであり、この件に関する共同通信の報道は何も思い出せない。

山崎の言う「寛容さ」だが、研究不正に対する寛容さっていったい何だよ、と思いつつ、でもまあ、未だに、というより今世紀に入ってから野口英世肖像画を千円札に使う国だからなあと思った。

野口英世の研究と業績 - Jinkawiki より

捏造説

 医学にかけるその情熱とは裏腹に、データ捏造や、実験段階での類推を断定的に書いている可能性が高いなど疑われているものも多く、医学的業績を評価しない専門家も多い。


(1)大正2年(1913)、梅毒スピロヘータの脳内発見 現在これは英世の業績のうち、最高の賞賛を得ている。それまで別の原因によると思いこまれていた肉体の疾患と精神の障害が、実は同じ原因にもとづくことを明らかにした点で、精神病理学界からとくに高く評価されている。  病原体を本格的に調べるには、他生物からそれだけを分離して飼育する純粋培養という方法が不可欠だ。しかし梅毒スピロヘータの純粋培養は至難でだれにもできなかった。英世は苦心の末これに成功したと発表し、当時はこのほうが大変な注目をあびた。ところが、今ではこれを疑問視する声も多い。


(2)黄熱病患者の研究  英世の研究のうち一般にもっとも知られている。この熱帯に多い死亡率の高い感染症については、すでにいく人もの研究者が取り組み、当時の顕微鏡で見えない極小の病原体(のちにウイルスとよばれるもの)であることが有力視され、事実これが真相だった。英世がエクアドルで発見した黄熱病の病原菌だと思っていたものは、現在では黄熱病と似たような症状をおこすワイル氏病(出血性黄疸)の病原菌だと言われている。 また英世が、黄熱病研究のためアフリカ・ガーナに渡った1927年には、黄熱病の病原体は細菌ではなく、もっと微少なウィルスであるという説もすでにあり、ウィルス説のもと病原菌を確定させた研究もあった。しかし英世がガーナに渡った時には、黄熱病=ウィルス説の研究者、また英世のように黄熱病=細菌説の研究者、がまだ両者いるような状態であった。 黄熱病の研究は英世の死後すすみ、1930年代に黄熱病のワクチンが完成する。その正体が人の目で確認されたのは、電子顕微鏡の開発が進んだ1950年代のことであった。


http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/bookreview/16/index5.html(2007年1月11日)より

黄禹錫による論文捏造事件の部分を省略)

野口英世との類似点と相違点

 だが、黄禹錫教授による論文捏造事件を「韓国社会の特殊性が引き起こした事件」としてかたづけてしまってはいけない。

 まず、我々の日本社会もかつてこれに似た現象を体験していることを思い出そう。言わずと知れた野口英世のケースだ。

 渡米して研究を続けていた野口は1911年に梅毒の原因となる梅毒スピロヘータの純粋培養に成功したと発表し、一躍有名になった。1915年には一時帰国し、国内で野口ブームがわき起こった。

 野口英世も黄教授同様、日本人好みの物語を背負っていた。幼いころの火傷、その治療から医学を志す過程、息子を支えた母。

 そしてまた、野口の経歴を追うと、彼が盛大に間違いを発表していたことに気が付く。彼を有名にした梅毒スピロヘータの純粋培養は、追試が成功しなかったことから後に否定されている。小児麻痺の病原体特定、狂犬病の病原体特定、黄熱病の病原体特定とワクチン開発といった業績もまた、後年否定された。現在、野口の業績として評価されているのは、進行性麻痺が梅毒のせいであることを証明したことなど、ごくわずかである。

 野口英世と黄教授を分けるものは、誠実さだ。野口は自分の研究結果を検証可能な形の論文で発表した。一方、捏造を始めてからの黄教授は研究を「ライバルに成果を持って行かれる。それは国家にとって損失だ」として論文ではなく、一般マスコミ向けに発表した。結果として「サイエンス」誌などに発表した数少ない論文が、捏造の証拠となった。

 この差をどうみるべきか。「野口英世を黄教授と一緒にするな」という意見はあるだろう。が、もしも野口が、誠心誠意の論文ではなく、一般向けの派手な発表を行っていたら――今、我々は千円札の肖像画となった偉人ではなく、医学史上の民族的汚点を抱えていただろう。

 そこまでではなくとも、1915年の野口ブームの直後に、彼の業績が追試によって覆されていたならば、2005年に韓国国民が感じたような居心地の悪さを、我々は90年先んじて味わっていたかもしれないのである。


今も捏造は続く

 今現在、日本では論文捏造があちこちで発覚している。東京大学では多比良和誠教授と川崎広明助手が論文捏造の疑いで調査の対象となり、「大学の名誉と信頼を著しく傷つけた」という理由で懲戒解雇となった。大阪大学でも杉野明雄教授の論文捏造が発覚し、杉野教授が懲戒解雇された。

 論文捏造は韓国特有の問題ではない。我が国でも現在進行形の問題なのだ。

 黄禹錫教授の事件には三つの要素が重なっている。論文捏造、大衆受けするキャラクター、メディアと政府を巻き込んだ社会全体の熱狂だ。

 日本でも論文捏造は起きている。

 テレビを見れば分かるように、大衆受けするキャラクターの研究者は常に存在する。

 野口英世のケースに見るように、日本社会でもかつて社会全体の熱狂が起きたことがあった。

 今後ともこの三つが重なることがないと言い切ることはできない。

 キャラクターはその人の特有のありようで抑圧すべきものではない。社会の熱狂は、そもそもどのようなきっかけで熱狂が起こるか分からない以上、避けようがない。

 だから、黄教授のような事件を防止するために、もっとも確実な手段は論文捏造を防ぐことだ。そして論文捏造が現に起きている以上、黄教授の事件は、海の向こうの隣国の火事では済まない問題を、我々に突きつけてくる。

 研究者、特に研究の第一線から離れて管理業務が多くなりつつある、40代から上の研究者には是非とも読んでもらいたい一冊である。


上記の記事を2007年1月に書いた松浦晋也氏の慧眼はたいしたものだ。

1915年の野口ブームの直後に、彼の業績が追試によって覆されていたならば、2005年に韓国国民が感じたような居心地の悪さを、我々は9年遅れて味わったのだ。「論文捏造、大衆受けするキャラクター、メディアと政府を巻き込んだ社会全体の熱狂」の三つの要素は、2014年の日本でももののみごとに重なった。メディアの熱狂は言うに及ばず、安倍晋三小保方晴子を官邸で行われる総合科学技術会議に呼ぼうとしたものの都合が合わず実現しなかった。安倍は悪運の強さには舌打ちさせられたが、その後もトンデモ文科相下村博文が小保方をひいきし続けた。

1915年の野口英世ブームとは、1900年に渡米した野口が老母との再会を果たすために15年ぶりに日本に帰国して、帝国学士院より恩賜賞を授けられた時に巻き起こったらしい。それから来年で100周年になる。これを機に野口の評価を見直し、千円札の図柄も改めることによって、研究不正や論文捏造の再発防止への誓いを立ててはどうかと思った。