kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

政権批判、ひいては「ファシズムへの抵抗」は個人個人がやるしかない

http://www.asahi.com/articles/ASH295SB8H29UTIL039.html

「政権批判の自粛、社会に広がっている」1200人声明
斉藤佑介

 「イスラム国」人質事件後、政権批判の自粛が社会に広がっている――。フリージャーナリストや学者らが9日、会見を開き、「翼賛体制の構築に抗する言論人、報道人、表現者の声明」を発表した。インターネットなどを通じ、映画監督森達也さん、社会学者の宮台真司さん、作家平野啓一郎さんや中島岳志さんら表現に携わる1200人が賛同し、NHKのディレクターや新聞記者も名を連ねた。

 「政府が主権者やメディアに監視、検証され、批判されることは当然のこと。批判を控えることは戦前の翼賛体制につながりかねない」。そう指摘するのはジャーナリストの今井一さん。今月2〜4日、衆・参院予算委の人質事件に関する野党議員の質疑とNHK・民放のニュース番組の放送時間を検証。2日は4分以上報じる民放がある一方、多くが1分以内。約20秒の番組もあった。「メディアは『自粛』しているという自覚がない。非常に危険だ」

 元経済産業官僚の古賀茂明さんは「いまは相当危機的な状況に至っている」。1月下旬、コメンテーターとして出演するテレビ朝日の番組で人質事件に絡み「アイ・アム・ノット・アベ」と話したところ、ネット上で「政権批判をするな」などの非難が殺到。神奈川県警から自宅周辺の警備強化を打診されたという。声明では、「物言えぬ空気」が70年前の戦争による破滅へ向かった、と指摘している。

 昨年暮れの衆院選前に政権与党が報道各社に「公正な報道」を要請したことにからみ、古賀さんは当時、「報道の自由が失われるまでに3ステップある」とし、「ホップ」で報道抑圧、「ステップ」で報道機関の体制への迎合(自粛)、「ジャンプ」で選挙による独裁政権の誕生、と指摘した。古賀さんは「報道の自粛が蔓延(まんえん)し、国民に正しい情報が行き渡らなくなりつつあるのではないか」と警鐘を鳴らした。(斉藤佑介)

朝日新聞デジタル 2015年2月9日23時43分)


声明を否定はしないが、政権批判は個人個人がやるほかないと思う。そして、具体的に自らの言論が弾圧されたと思ったら、逐一それをアピールすることだ。

こんなことを書きたくなるのは、古賀茂明や中島岳志を私が好まないせいもあるかもしれない。古賀茂明は、「脱原発の元官僚」として売り出した当時から、新自由主義的な主張がウリで、古賀が2011年に出した著書を本屋でページをめくってみたら、安倍晋三が第1次内閣時代にやろうとした「公務員改革」に肯定的に言及していたので、アホらしくなって本を閉じた。また、西部邁からの影響を公言している中島岳志の『「リベラル保守」宣言』(新潮社, 2013)は、橋下徹を批判した内容にNTT出版が難色を示し、出版元を変更したとかいう本だが、橋下批判は良いとしてその「保守思想」とやらには全く感心しなかった。本の「批判」とまではいかないが、中島岳志西部邁からの影響について触れたことがある。


「リベラル保守」宣言

「リベラル保守」宣言


古賀茂明のような新自由主義者や、ことに中島岳志のような右翼と「リベラル・左派」との「共闘」を進めていく過程で危惧するのは、「『右』も『左』もない」と主張する人間が「村八分」的な動きに走ることであって、現にあの小さな「ブログ界の『政権交代』ムラ」でそのような事例があった。当時の主犯は、ブログで「喜八」と名乗る人間だった。その人間と争った経験があるから、「別個に進んで共に撃つ」で良いんじゃないかと思う。だから、私は「1200人」への連帯は表明しない。あくまで「個」として安倍晋三とその政権を批判する。

あの「『右』も『左』もない」の言論は、それ自体ファシズムの萌芽を含んでいたと思う。事実、「喜八」は城内実平沼赳夫を熱烈に応援した。そのため、城内や平沼が「経済左派」であるかのように錯覚している者が未だにいる。その後の事実は、次世代の党代表に就任した平沼赳夫が、「フラットタックス」だの「華族制度の復活」(平沼騏一郎は「男爵」だったものね)を言い出した例からも明らかなように、城内や平沼らはファシズムの指導者としての資質を欠く者であったことを示しているが。

だが、気持ち悪い「『右』も『左』もない」的風潮はその後も続いた。2011年6月に参加した、新宿の「脱原発デモ」で、当時14歳の少女だった自称「B級アイドル藤波心が、無伴奏で「うーさーぎーおーいしー、かーのーやーまー」と歌い出した時、強い違和感を持った。そのしばらくあと、藤波心小沢一郎から新幹線で出会ったあと手紙を送られた、などというエピソードが流れ、ほどなくして藤波心が「『右』も『左』もない脱原発運動」に担ぎ出されたことを知った*1。今回、後藤健二氏の支援者たちが同じ歌を歌っている映像がテレビのニュース番組で流れた時、2011年6月の藤波心を思い出した。良い気持ちはしなかった。

「辺見庸ブログ」の1月30日の「日録」を読んで、その違和感を思い出した。辺見は、

ああ、また孕んだのだな。そのくりかえし。ウサギオイシカノヤマ……とかハナハサク……はやめたまえ!その歌はキミガヨとともに、反世界の呪わしい弔歌であることに、まだ気がつかないのかね。安倍君、ぼくは君と君のコクミンがきらいだ。

と書いた。ファシズムは、政権側のみならず、政権やその行為に反対する人たちの間にも浸透しつつあるのではないかと感じる。

もちろん政権支持者たちはファシズム的な空気にどっぷり浸かっている。上記朝日新聞記事についた「はてなブックマーク」に、下記のブコメがあった。

id:Dominique-Magne この二年間の安倍政権のメディア統制が順調な証であるブコメ多いな。人権を制限した自民党のあの改憲案が抵抗なく決まりそうで恐ろしい。巨大与党批判を異質とするファシズムって民衆が待望してるんだな


ファシズムは「民衆の待望」があって初めて成り立つ。安倍政権の場合、あの安倍の名前を冠した経済政策のうち、大胆な金融緩和が第2次内閣発足直後には少し効果があったことが効いているのかもしれない。それは、かつてヒトラーがやった政策や、二・二六事件で処刑された、日本ファシズム思想の理論的支柱にして岸信介も傾倒した北一輝の思想とはかけ離れたもので、ただ単に緊縮財政志向だった民主党野田政権の経済政策の呪縛から少し解き放たれた程度のものに過ぎず、昨年4月の消費税増税とともに膠着状態に陥ってしまったが、それでもファシズムの火付けには役に立ったのだろうか。

だが、ファシズムに逆らうのに、「兎追ひし」や「『右』も『左』もない」のような、言わば「逆ファシズム」とでもいうべきものに頼っていてはダメだと思うのだ。あくまで「個」として抗うしかない。

*1:その後、藤波心は2012年12月の衆議院選挙では、日本未来の党の集票マシンとしても活動したがその効果は乏しく、その後は中央の政治には口を挟まなくなった。