kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「日本はアジアの次の独裁国家になるのか?」(「内田樹の研究室」)への疑問

下記の内田樹の記事が「リベラル」たちの間で評判をとっているようだが、自民党改憲に抗するためには益よりも害の方が多い言説であるように私には思われる。


ここで内田樹は、ノア・スミス氏の下記のコラムを和訳して紹介している。


アメリカの保守的経済メディア・ブルームバーグに掲載されたコラムは、このメディアの日本語版サイトでも読める。


ここでコラムを書いたノア・スミス氏は、戦前回帰の自民党憲法草案(自民党が下野している時代に作られた第二次憲法草案は、現東京都知事舛添要一にこっぴどく批判された通り、前時代的で実にひどいものである)の反動性を懸念している。それ自体は、もっともな懸念だし、あの自民党案に沿って憲法が改定される将来的なリスクは確かにあると私も思う。

しかし、安倍晋三自民党が、最初からあんな人権制限条項をてんこ盛りにした改憲を仕掛けてくるはずがない。いきなりあん改憲を行うのは実現不可能だ。彼らはそれを、何次かに分けられるであろう憲法改定の最終段階で行おうと考えているはずだ。

政治は惰性で動く。いったん動き出した惰性はなかなか止められない。だから、いかに既成事実を作るかが政治家の実行力を測る指標となる*1

いろんな例がある。たとえば、第1次安倍内閣が改悪した教育基本法は、民主党政権に代わった当初、輿石東が再改定を口にして、私がそれを紹介したところ、「保守派の現実主義者」と思われるコメンテーターにその非現実性を冷笑された。実際、その時の輿石の発言を除いて、教育基本法を元に戻そうという動きは民主党から一切出なかった。もっとも、教育基本法改正が審議されていた頃、小沢一郎代表時代に民主党が出した教育基本法の代案は、自民党案よりひどいと酷評されていたから、民主党政権とはその程度のものだったともいえるが。

また、原発の例もある。菅政権時代に、海江田万里経産省が発案した浜岡原発の停止と、同じ海江田と経産省がその見返りにともくろんでいた玄海原発再稼働の菅による阻止が、その後原発再稼働を難しくした。野田政権時代の大飯原発再稼働(2012年)は大規模な国会前反対デモの洗礼を受けた。結局、再稼働から1年2か月後に再び定期点検で大飯原発が停止すると、それが第2次安倍内閣発足後の2013年9月のことであったにもかかわらず、それ以降1年5か月にわたって原発は再稼働できずにいる。これは、浜岡原発停止と玄海原発再稼働阻止によって作られた惰性が、現在安倍政権が躍起になって行っている再稼働推進にもかかわらず、おそらく2年前後は原発を動かせない事態につながったのだ。なお、今夏に川内原発が再稼働するのを皮切りに、今後原発の再稼働が矢継ぎ早に行われることが予想されるが、そうなったら今度は脱原発派がその惰性を止めることがきわめて難しくなることを指摘しておく。

さらに、選挙制度の例もある。衆議院選挙の小選挙区制は結局小沢一郎の「剛腕」で実現したが、これは鳩山一郎にも岸信介にも田中角栄にも成し遂げられなかった難事だった。そして、ひとたびこれが施行されると、昨今の小選挙区制の弊害に対して様々な論者がなす、小選挙区制の理不尽さに対する説得力ある批判にもかかわらず、選挙制度を再度改めようとする動きは、世論の支持を受けない。このウェブ日記に書く選挙制度再改正を求める記事にも、保守はもちろん「リベラル」の人たちからも小選挙区制の維持を求める反論がくる。

要するに人々は、これまで続いてきた制度に変わってほしくないのだ。その傾向は、よく言われる官僚よりも一般の人々の方がよほど強い。

さて、日本国憲法原発停止や小選挙区制どころではない。施行されて70年近くにもなる。安倍政権は既に一昨年(2013年)、改憲しやすさを求めて憲法96条の先行改正をもくろんだが、世論の反対が強く、これさえ実現できなかった。

その安倍政権が、最初から強い反対が予想される人権制限条項てんこ盛りの改憲などするはずがない。

もっとも考えられるのは、公明党の「加憲」を取り入れて、最初は一見「リベラル」にすら思われる条項の改定を行うことだ。要するに、公明党改憲賛成に引き入れ、国民を「これなら憲法を変えても良いかも」と思わせる。

その次が9条改正で、人権制限条項の導入はさらにそのあとに来る。要するに、ハードルの低い順に、しかし矢継ぎ早に憲法改正を繰り出そうというのが安倍晋三の狙いではないかと思われる。

それを考えた時、内田樹の言説は、安倍晋三改憲をストップするのに効果がないばかりか、人権制限条項てんこ盛りの自民党改憲案の脅威ばかり強調すると、最初は猫を被ってくるに違いない改憲案を受け入れやすくする逆効果すらあるように思われる。

だから、内田樹の言説は益よりも害の方が多いのではないかと私は思うのである。

それに、私としては下記内田樹の文章は非常に気に食わない。

それにしても、天皇ホワイトハウスしか自民党の「革命」を止める実効的な勢力が存在しないというような時代を生きているうちに迎えることになるとは思ってもみなかった。


言葉尻をとらえると思われるかもしれないが、天皇が「自民党の『革命』を止める実効的な勢力」であるというのは、それこそ反「日本国憲法」的な物言いではないかと思う。

それどころか、さらなる懸念もある。この記事についた「はてなブックマーク」に、下記のコメントがあった。

rdetfhku いや、家族扶養義務って自由主義的には最悪だろ、個人を家族に縛りつけるんだから / と思ったら、この人は家族制度擁護派なんだね。自由の敵だな http://blog.tatsuru.com/2008/10/15_1715.php


リンク先は、2008年10月15日に書かれた内田樹の同じブログの記事。内田樹という人は、基本的に保守派の人だと私は考えているが、上記2008年のブログ記事は、まるで2012年の第二次自民党改憲案の「家族扶養義務」の呼び水のようなものだったのではなかろうかと、意地悪く思ってしまったのだった。

*1:下記の3つの例で、安倍晋三菅直人小沢一郎の3人に関係する事例を出したが、政治家の実行力としては、やったことの是非は別にして、安倍晋三小沢一郎菅直人の順番だと思う。