kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

谷垣禎一、「帰れコール」を浴びる

「帰れコール」といえば反射的に思い出すのが、1992年10月10日に阪神甲子園球場プロ野球セントラル・リーグの優勝を決めたヤクルトスワローズの選手たちが野村克也監督を胴上げしている時、スタンドの阪神ファンにこのコールを浴びせられたことである。もっとも私は、1972年と1973年に2年連続して阪神が甲子園で読売に優勝を決められた時、2度とも阪神ファンがグラウンドに乱入して読売の胴上げを阻止した歴史的事実*1を知っていたから、「帰れコール」くらいで済んで良かった、甲子園で胴上げできて良かったと思ったものだった。1992年は「阪神フーリガン」という言葉が生まれた年でもある。あの年の阪神ファンの乱暴狼藉はすさまじく、その少し前、東京ドームで阪神が読売に1対0で負けた時には、阪神ファンがグラウンドにラジカセを投げ込んだ。もっともそのさらに前日、同じ東京ドームの試合で、虎の法被を着た女が、読売の選手が放ったホームランボールを手にして狂喜乱舞していた光景も忘れ難い(その試合にも阪神は負けた)。奴らは単に騒ぎたいだけで、本心では別に阪神を応援なんかしてないんじゃないかと軽侮の念を抱いた。ともあれ、敵地でも我が物顔の「阪神ファン」(及び「読売ファン」)に対する私の偏見は深い。

前振りが長くなったが、本題は野球とは全然関係ない。谷垣禎一が「帰れ」コールを浴びた話である。

http://www.asahi.com/articles/ASH675301H67UTFK002.html

谷垣氏に帰れコール 「帰れだけで平和は来ない」と反論

 「『帰れ』と叫ぶだけで平和は来ない」――。自民党青年局が主催して7日に全国各地で開いた街頭演説活動で、聴衆から「帰れ」コールがおき、谷垣禎一幹事長が反論する一幕があった。谷垣氏は「反対であっても国会でみなさんの代弁者を通じて、しっかり議論しようじゃありませんか」と呼びかけた。

 街頭演説は安全保障関連法案と拉致問題をテーマとし、7日を中心に全国約100カ所で開いている。谷垣氏が参加したのは東京・新宿会場だった。

 谷垣氏は、4日の衆院憲法審査会で憲法学者3人全員が関連法案を「違憲」と断じたことを念頭に、「違憲・合憲を判断する最高裁は、日本が持つ固有の自衛権として集団的自衛権も否定してはいない。今度の法案も、まさに最高裁憲法論の枠内で作られている」などと主張した。

 これに対し、「憲法壊すな」「立憲主義を守れ」などのプラカードを掲げた聴衆が「戦争反対」「9条守れ」と声を上げ、次第に「帰れ、帰れ」という声が大きくなったところで、谷垣氏が反論した。

 谷垣氏の発言に対して、民主党枝野幸男幹事長も7日、「専門的に研究してきた人たちが(違憲と)言っている。(合憲と)一刀両断で片付けられるほど、どこで憲法を勉強してきたのか」と、さいたま市内で記者団に述べた。

朝日新聞デジタル 2015年6月8日05時06分)


かつて「スパイ防止法」に反対した宏池会の政治家が極右政治家・安倍晋三手羽先をやって「帰れ」コールを浴びる今日この頃。もっともこれは安倍晋三の宣伝役なんかを務める谷垣禎一の自業自得だとしか思えない。

ちなみに私は谷垣が「帰れコール」を浴びた件(但し別の場所で別の日に浴びたもの)を、日刊スポーツの記事*2で知った。時事通信が配信した記事を載せたものと思われるが、普段石原慎太郎だの橋下徹だのといった「マッチョ系の『強者』」に媚びるさまがみっともないスポーツ紙にまで政権批判系の記事が載るとは、確かに「潮目が変わりつつある」のかもしれないと思わされた。

*1:グラウンドへのファンの乱入といえば、ナゴヤ球場時代の中日優勝決定試合の定番でもあった(1974年と1988年)。中日ファンはペンチで網を切断してグラウンドに乱入したが、ネットの切断部分に指が当たって指を切断してしまった中日ファンがいたらしい。

*2:http://www.nikkansports.com/general/news/1488843.html