kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

今の自民党の体質が宇都宮徳馬がいた頃とは全く違うのは当たり前のはずだが…

今日もまた、朝っぱらから、自民党の一番いいところは、極右から穏健な中道に近い保守や左派に理解のある人まで、多様な考えを持つ議員が揃っていて、自由に意見を言い合い、バランスをとることを重視する政党である(であった)ことだと思っていたなどと書く「リベラル」のブログを読んで、いったいいつの話をしているのかと呆れ返り、腹を立てていたのであった。

確かに宇都宮徳馬自民党衆議院議員だった70年代までは自民党はそういう政党だった。宇都宮徳馬は1979年の衆院選に落選したあと、1980年の衆参同日選挙で参議院議員候補として立候補して当選したが、その時には宇都宮徳馬はもう自民党議員ではなく、新自由クラブ社民連から推薦を受けて無所属で当選したのだった。そういえば今日、6月12日はその衆参同日選挙のさなかに急死した大平正芳の命日であるが、大平が死んだ1980年には既に自民党はおかしくなり始めていて、1982年の中曽根政権以降、新自由主義と極右化を志向する政党へと本格的に変わり始めた。それでも2000年までは清和会に総理総裁を明け渡さなかったが、2000年に森喜朗が総理大臣になり、さらに翌2001年に総理総裁が森から小泉純一郎に代わると、その変化は劇的に進んだ。そんなことは誰でも知っているし、リベラルなら誰しも、そうした変化を経てきた自民党の体質に強い批判を持っていて当然のはずだ。

その間、大きかったのは衆議院選挙制度が変わって、党執行部、特に党首の権力が異様に強くなり、反対者を容赦しないようになったことだ。小泉純一郎の「刺客戦術」はその最たる例だが、与党ばかりではなく野党にも同様の傾向が強まった。党首の「個人商店」ともいえる政党の続出である。渡辺喜美の「みんなの党」、小沢一郎の「国民の生活が第一」(→「日本未来の党」→「生活の党」→「生活の党と山本一郎となかまたち」)、橋下徹石原慎太郎の双頭の極右・新自由主義者が率いた「維新の党」などである。「リベラル」でも、「小沢信者」に典型的に見られるように、そうした傾向に批判を持たないどころか自ら政党の独裁者を信奉する人間が続出したが、信者の仲間に加わらないまでも、そんな政党の体質に何の疑問も持たない怠惰な精神が、35年以上前の自民党の体質がそのまま今まで維持されてきたかのような甘っちょろい認識につながっているのではないかと私は思っている。そんなていたらくだから、ブログのコメント欄に、さる「小沢信者」のブログのコメント欄からさえも追い出されたゴロツキ極左の「通りがけ」なる人間のコメントばかりが目立つようになってしまったのだ*1

以下は「朝日新聞デジタル」から拾った稲田朋美高村正彦のコメント。

http://www.asahi.com/articles/ASH6C5H22H6CUTFK00J.html

違憲か否かの議論継続「意味無いのかなと思う」 稲田氏

稲田朋美自民党政調会長

 唯一、憲法9条について判示したのは後にも先にも砂川判決のみ。判決の中の、日本の存立が脅かされているときには、自衛権は行使できる。その中に個別か集団的かの区別はないし、一見明白に違憲というとき以外は、日本の存立にかかる安全保障については、国会と内閣に任されていると最高裁自身が判示している。その意味からは、憲法に違反するかどうかという議論を、これ以上続けていくことには、そんなに意味が無いのかなと思う。

 平和安全法制は集団的自衛権の問題だけでは無くて、様々な後方支援やグレーゾーンの問題とか、PKO、様々な観点がある。そういった議論を深めていくことが、国権の最高機関としての国会の責務だろうと思う。(記者会見で)

朝日新聞デジタル 2015年6月11日17時11分)


http://www.asahi.com/articles/ASH6C3QXTH6CUTFK003.html

自民・高村氏「たいていの憲法学者より私は考えてきた」

高村正彦自民党副総裁

 枝野幸男民主党幹事長が「高村さんは、司法試験に受かる程度の憲法の勉強はしたと思うが、それ以来憲法学者のように憲法をずっと勉強してきたのか」というようなことを言っていた。私は、憲法の法理そのものについて学者ほど勉強してきた、というつもりはない。だが、最高裁の判決の法理に従って、何が国の存立をまっとうするために必要な措置かどうか、ということについては、たいていの憲法学者より私の方が考えてきたという自信はある。枝野さんがあまり考えてこなかったからといって、他の政治家がそういうことを考えてこなかったと速断するのはどうかと思う。(朝日新聞などの取材に)

朝日新聞デジタル 2015年6月11日11時35分)


高村と稲田に何ら変わりがないどころか、両者を読み比べてより「イッちゃってる」のは高村の方だと思う人が多いのではないか。もはや自民党内の極右は何も安倍晋三稲田朋美城内実ばかりではない。自民党全体が巨大な「極右新自由主義トンデモ政党」になり果てたと正しく認識しなければならない。リベラルであるのなら。

*1:当該ブログのコメント欄はかつては結構面白く、愛読していたものであったが。