kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

元大関貴ノ浪 音羽山親方が死去

最近は相撲取りにも長命の人が増えてきたが、この人は短命だった。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150620/k10010122021000.html

大関貴ノ浪 音羽山親方が死去

大相撲の元大関貴ノ浪音羽山親方が20日午前、急性心不全のため亡くなりました。43歳でした。
音羽山親方は昭和46年に青森県三沢市で生まれ、昭和62年春場所初土俵を踏みました。
2メートル近い長身を生かし、クレーン車のように相手を吊り上げたり豪快に投げ伏せたりするスケールの大きな相撲で、平成6年の春場所大関に昇進しました。
平成8年の初場所と平成9年の九州場所で優勝を果たし、同じ部屋の元横綱貴乃花若乃花らと共に大相撲人気を盛り上げました。
平成16年に現役を引退し、貴乃花部屋で後進の指導に当たりながら、先月行われた夏場所では土俵下で審判を務めていました。
日本相撲協会によりますと、音羽山親方は20日午前、滞在先の大阪市内のホテルで倒れているのが見つかり、病院に運ばれましたが、その後死亡が確認されました。死因は急性心不全でした。

NHKニュース 2015年6月20日 19時20分)


最近は大相撲をさっぱり見なくなったが、かつて、前世紀末に勤めていた会社の社員食堂で早めの夕食を取る時、NHKテレビで大相撲中継をやっていたのを眺めることが多かった。

貴ノ浪の「クレーン車のように相手を吊り上げたり豪快に投げ伏せたりするスケールの大きな相撲」を、実は私は好きではなく、あれじゃ技もへったくれもなかろうと思っていた。だから私がひいきにしていたのは、自ら「ヒール」を名乗って悪役力士として知られていた剣晃だった。剣晃は初めのうち貴ノ浪に歯が立たなかったが、のち「貴ノ浪キラー」になった。脇の甘い貴ノ浪を速攻でもろ差しにして、貴ノ浪に得意の「極め出し」を繰り出す暇を与えずに一気に土俵の外に持って行く剣晃の相撲が小気味良かった。最後に剣晃が貴ノ浪に勝ったのを見たのは、今調べてみたら1997年の初場所4日目だった。

その剣晃が白血病に倒れて30歳で亡くなったのが1998年のことだった。私よりも年下の剣晃の急死は、1971年の横綱玉の海の急死と並ぶショッキングな訃報だった。

それから17年、私にとっての「ヒール」だった貴ノ浪までもがこの世を去ってしまった。まだ43歳とのことだから、剣晃よりも4つも年下だったのだ。知らなかった。

貴ノ浪に関しては、剣晃戦以外では武蔵丸との「宿命の対決」も思い出深い。こちらは最初貴ノ浪が全然勝てなかったのだが、ある時期から今後は武蔵丸の方が勝てなくなった。しかし武蔵丸を苦にしなくなったのと同じ頃に、貴ノ浪は剣晃に勝てなくなっていたのだった。結局貴ノ浪は常に誰かしらを天敵にしていた力士であったといえるのであって、だから横綱になれなかったのかもしれない。

私にとっての「ヒール」であったとはいえ、印象深い異能の力士ではあった。早すぎる死が惜しまれる。心よりご冥福をお祈りします。