kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

最高権力者の無責任なダブスタと沖縄の怒りの声を同列に論じる愚昧を斬る

昨夜(6/24)書いた 「議員のヤジがダメで庶民のヤジがいいなんて理屈はない」って? - kojitakenの日記 のコメント欄より。

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20150624/1435153031#c1435167138

id:Gl17 2015/06/25 02:32
「沖縄が何度意思表明をしようが無視し続ける総理への怒りの声」と、「国会の場を預かる総理という立場にも関わらず、一方的にバカな熱湯浴的罵倒を投げる無責任さ、そして同じ口で野党ばかり責めるダブスタ」。

全く背景や性質の違う両者を単純に「ヤジ」という一点だけで同列視するとは何とも甚だしい実態無視、悪しき相対化の見本ですな。
こんな評価してたら、良識に欠ける度合いの悪質な方が優位になる一方でしょ、どんだけ悪辣でもそうでなくても等価値扱いでは・・・。


そうなんですよね。簡潔にして要領を得た寸評だと思います。
そもそも日本の最高権力者である安倍晋三と、その安倍晋三に虐げられている沖縄の庶民とは非対称の関係にあるわけで、それを一緒くたにする論法に、正直言って私はぶっ飛びました。

(以下文体を常体に改める)
この記事だけを読んでいる人には、何のことを言っているかわからない恐れがあるので、私が「反批判」の対象とした、私の記事を批判したTwitterを再掲しておく。

https://twitter.com/tkt058/status/613667332594864128

SPIRIT(スピリット)
@tkt058

安倍晋三が浴びた「帰れ」コールを自民党沖縄県連目線で報じる朝日のヘタレぶりに呆れる - kojitakenの日記 (id:kojitaken) http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20150624/1435099855
#議員 の #ヤジ がダメで #庶民 のヤジがいいなんて #理屈 はない気がしたけど。

4:17 - 2015年6月24日


これを目にした時の違和感は、しばらく前に日本の動物がサルの新生児に「シャーロット」と命名しようとした時に起きた、「英王室に失礼だ」という反応に接した時の違和感に似ていた。どこからそんな発想が出てくるのか、私にとっては奇想天外かつ理解不能だったのだ。

それは、もしかしたら私が育った子ども時代が、戦後70年の歴史の中でも、とりわけ戦後民主主義的価値観が重視されていた70年代だったことと関係があるのかもしれない。その価値観においては、権力者や権威に対する阿りや卑屈さといったものは、むしろ軽蔑される傾向にあった。しかし同時に、70年代とは草の根からの右傾化が始まっていた時代でもあって、私の同級生にはそういった悪しき風潮に染まっている人間も少なくなかった。われわれの世代がここ数十年の日本を悪くしてきた責任は重いとも思っている。

(以下再びですます調)
というわけで、SPIRITさん(id:spirit7878)にはまことに申し訳ないけれども、私には「ヤジはよくない」という発想がそもそも浮かばないのです。ましてや暴虐をほしいままにする最高権力者に対して怒りの声を挙げることが悪いなどとは、間違っても思いません。

自分のウェブ日記の記事なので好き勝手書かせていただきましたが、どうかご寛恕下さい(笑)。