kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

西修・百地章・大西英男のあまりの貧相さに思う

先月来のニュースを見ていていつも思うのは、憲法学者西修百地章、あるいは長くうだつの上がらない地方議員生活*1を経て70歳近くなってやっと国会議員になり、一世一代の晴れ舞台にすっかりハイになっているように見受けられる大西英男など、安倍晋三や安保法案の応援団の顔ぶれが、あまりにも貧相だということだ。

75歳の西修と、大西英男と同じ68歳の百地章が記者会見をした時の2人の印象も悪かった。いかにも頭の切れそうな長谷部恭男などとは見る者に与える印象が違いすぎるのである。単に高齢というだけなら樋口陽一はもっと年齢が上だが、「人品骨柄(じんぴんこつがら)卑しからぬ」という印象を受ける。西と百地の場合はその正反対であって、馬齢を重ねてきた年寄りに特有の卑しさやいかがわしさといったものが人相ににじみ出ているのである。同じ印象は大西英男からも受ける。数年後、再び零落しているであろう安倍晋三もまた、見る者に同様の印象を与える老人になるに違いない。

今週号の保守系2誌、『週刊文春』と『週刊新潮』も、「安倍晋三となかまたち」に対する批判を強めてきた。これは読者のニーズに応えるという以上に、2誌に記事を書いているライターにとっても、安倍晋三やその手下の大西英男、あるいは西のヤクザ者・百田尚樹や御用キャスターの「巨悪」辛坊治郎らに言論弾圧をやられては、飯の食い上げどころかいつなんどき臭い飯を食わされる羽目になるかわからないから、自らの生活を防衛したいという強い気持ちがあるに違いないと想像する。

その一方で呆れ返るのは日経など、産経や読売などの極右媒体とは一線を画しているはずのメディアである。半月ほど前だったか、日経に安保法案に関する2人の学者(賛成派と反対派)のコメントが載っていたが、より目立つ上の欄に載せたのが百地章のコメントであった。私はその前夜にテレビで見た百地の人相を思い出して、日経ともあろうものが、なんであんな奴を「識者」であるかのように扱うのかと腹を立てたものである。

西・百地・大西といった面々は、安倍晋三の強権に守られてのさばっていられる連中であることはいうまでもない。

安倍晋三の独裁体制はもう、人々が束になって崩していかなければどうにもならない段階にきているのではないか。

*1:大西英男の本拠地である東京都江戸川区は、東京23区ではあるが「田舎町」という言葉がぴったりくる地域である。西隣の江東区東部には既にイオンの郊外型のショッピングセンターがあったりして「地方都市」の雰囲気を濃厚に漂わせているが、荒川(放水路)を越えて江戸川区に入るとマンションの高さも目立って低くなり、田舎臭い印象がさらに強まる。また江戸川区には荒川区ともどもスタバがなく(http://nikkan-spa.jp/828740http://ameblo.jp/mama-festa6/entry-12030996148.html)、鳥取県に後れをとった。さらに東隣の千葉県市川市に行くと、一転して高級住宅街があったりするので、江戸川区のしょぼさが余計に目立つのである。