kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「裸の王様」安倍晋三、ついに安保法案を衆院特別委強行採決へ

今日(15日)、ついに安保法案が衆議院特別委員会で強行採決される見通しだ(まだ維新の動きに一部不透明なところがあるが)。

http://www.asahi.com/articles/ASH7G5Q6KH7GUTFK00T.html

安保特別委、15日採決を委員長職権で決定

 安全保障関連法案を審議する衆院特別委員会の浜田靖一委員長は14日の理事会で、15日に締めくくりの総括質疑を行い、その直後に法案を採決することを職権で決めた。野党はこれに反発して採決を欠席する構えだ。与党は単独で委員会採決を強行したうえで16日の衆院本会議で法案を可決、参院へ送る方針だ。

 法案については、多くの憲法学者憲法違反だと指摘し、報道各社の世論調査でも法案への反対が多数を占めている。だが与党側は、法案の審議時間が113時間を超えるなど、審議は尽くされたとして採決に踏み切る。

 14日の理事会で与党側は、15日午前に安倍晋三首相が出席して審議を締めくくる総括質疑を3時間行い、採決することを提案。民主、共産両党は反対したが、最終的に浜田委員長が職権で採決を決めた。

 これに対し、特別委に委員を出している野党3党は15日の採決を欠席する構え。ただ、民主内には採決直前の締めくくり総括質疑や16日の衆院本会議には出席し、反対を表明して世論にアピールすべきだとの声もある。

 14日午前の特別委では、与党の委員会運営に反発した民主、共産両党が欠席のまま質疑が行われた。一方、同日午後には維新の党の対案について同党と自民、公明両党が2度目の協議を行ったが、与党側は政府案の修正には応じなかった。

 これを受け、維新の松野頼久代表は国会内で大島理森衆院議長と面会。「採決のような声が出ているが、しっかりした審議を求める」と、15日中の特別委での採決を見送るよう申し入れた。民主の枝野幸男幹事長も記者団に、「国民の圧倒的多数が説明不足だとする状況で採決すれば、民主主義の否定だ」と強く反発。また、石破茂地方創生相は14日の閣議後会見で「国民の理解が進んできたと言い切る自信がない」と述べた。

朝日新聞デジタル 2015年7月15日00時03分)


「裸の王様」安倍晋三はここまでやるか、と思った。それで、「裸の王様 安倍晋三」を検索語にしてGoogle検索をかけると、10番目にかつて私が書いた記事が引っかかった。以下再掲する。

「安倍晋三」という気分?(朝日) - kojitakenの日記(2013年10月19日)

 昨日(10/18)の朝日新聞オピニオン面、「『安倍さん』という気分」は、石田英敬東京大教授(記号論・メディア論)へのインタビュー記事。石田教授の発言自体はまっとう至極なのだが、記事の書き出しにいきなりカチンときた。以下引用。

 安倍政権が発足して10カ月。いま日本社会は刹那的な多幸感に包まれ、時代の大きな転換点にあることを見過ごしてしまいそうだ。

「多幸感」は、excite辞書(大辞林 第三版)を参照すると、「(麻薬などによる)過度の幸福感。陶酔感。 」とあり、記事の書き手が皮肉を込めていることは冷静に考えればすぐにわかる。事実、そのあとの文章は、

なぜこのような時代の空気が醸成され、そして日本という国がどこに向かおうとしているのか。政治が凪いで見える今こそ考えたい。まずは「安倍人気」の底流について、メディア学者の石田英敬氏に聞いた。

と続く。しかし、派遣労働やブラック企業に苦しめられている労働者にとっては「多幸感」すら感じられないだろうに、というわだかまりは残る。

 石田教授は、

「何といっても、最初に『アベノミクス』という仕掛けを作ったことが大きい」

「何につけても『アベノミクス効果』をうたい、称賛し、人々の景気回復への期待をどんどん膨らませればいい。それが実際に株価上昇という現実をつくり出し、さらなる期待を醸成する。この『期待の螺旋』が安倍政権の『人気の資本』です」

などと指摘し、

「『裸の王様』よろしく、『安倍さんは裸だ』と気づいたとしても誰も自分からは言い出せない。期待と沈黙で両側から支えられた政権が安定するのは当然です。当否や持続性への疑念を棚上げすれば、仕掛けは見事と言うほかありません」

と続ける。

 もっともな指摘だ。私には、「小沢信者」が小沢一郎を「裸の王様」にしてしまったのと同じことを、多数の国民が安倍晋三に対してやっているように見える。安倍晋三の破滅は、現在見る小沢一郎のそれの比ではない悲惨さになるだろうとも予想している。

 しかし、上記部分のあとのインタビュアーの質問にまたカチンとくる。

 −− 安倍晋三首相の言葉の力も、人気を支えているのではないでしょうか。首相の演説が五輪招致の決め手になったと称賛されています。

 なんだと、この野郎。そう思いつつふと気づいたのは、インタビュアー及び記事の書き手は、「野郎」ではなくあの女性記者ではなかろうかということだった。記事の最後を見ると、やはりその通り。聞き手は高橋純子記者。これはおそらく読者の神経を逆なでして記事に注意を引きつける、高橋記者一流の技術なのだろう。記事の書き出しや質問だけで記者の個性を感じさせるとは、それはそれで大したものかもしれない。

 高橋記者のこの質問に、石田教授は

「人々に響いているのは、首相の言葉でなく、イメージでしょう。言葉を武器に人々の理性に訴え、説得を試みるのが本来の政治ですが、安倍首相が展開しているのは、理性ではなく人々の感性に働きかけ、良いイメージを持ってもらうことで政治を動かすことを狙った『イメージの政治』です」

と答える。

 何やら、最近「脱原発」を唱えているとやらで話題の小泉純一郎を思い出させる話だが、石田教授は、小泉は個人の才能でやったが、安倍晋三の場合はおそらくプロが演出していると推測する。これもその通りであろう。

 石田教授は、テレビ、インターネット、SNSの時代になって、情報が頻繁に更新されるために、古い記憶はどんどん消去され、メディアは出来事を人々に認識させる伝達装置であるとともに、片っ端から忘れさせていく忘却装置ともなっていると言う。確かに安倍晋三のあの「総理大臣投げ出し」(2007年)を人々が覚えていれば、あんな男を支持できるはずがなかろう。

 このような状況に即した戦略をとった典型的な人間が橋下徹であり、政治家の発言がコロコロ変わっても問題視されないのが現代のポピュリズムのかたちだと石田教授は言う。ブレーンの戦術によって、「担ぐ御輿は軽くてパーがいい」式に担ぎ上げられている安倍晋三もまた、典型的な現代のポピュリズム政治といえるだろう。

 石田教授は、安倍政権は民主党の「政権交代」の失敗により生じた「政治は変えられない/変わらない」という人々の諦めを「うまく原資にして」(=利用して、あるいは悪用して:引用者註)政治を動かしていると指摘する。「他に選択肢はない」、安倍政権が発しているメッセージはこれに尽きるという。だから大型公共事業は復活し、原発は推進され、沖縄の空をオスプレイが飛ぶ。石田教授が言っていない例を追加すると、民主党政権下の昨年禁止されたばかりの日雇い派遣が復活し、「解雇特区」を作ることが企まれ、ワタミ(渡邉美樹)が自民党参院議員になった。

 こんな現状を受け入れていて良いのか、という疑問を提起する人間も、ずいぶん数が減った。いまや日本の政治・経済・社会は「緩慢な死」の過程にあるのではないかと思われる。


「緩慢な死」はいまや、誰の目にも、いや多くの人の目にも明らかな「死」になった。「多くの人」と書いたのは、この国にはいまだに目を覚ましていない人間が4割近くもいるからだ。「変えられない政治」とかいう、かつて朝日や毎日も愛用した言葉は、安倍晋三によって悪用された。安倍は「悪い方向へ変える政治」を続けてきたのだ。そして今日、この国にダメージを与えるさらなる一歩を踏み出す。