kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

松本清張『黒の回廊』『アムステルダム運河殺人事件』『蒼ざめた礼服』を読む

松本清張作品を立て続けに3冊読んだ。以下ネタバレを含むので注意。

清張作品は、作者の没後20年以上を経つ今でも人気が高く、毎年のように旧作の再文庫化がされているし、図書館でも人気が高い。今回読んだ3冊も、いずれも2011〜14年の間に改版なり新たな文庫本なりの体裁で出版されたものを図書館で借りて読んだが、いずれの本も読み込まれている形跡があって、新しい本とは思えない。




以上の2冊は、松本清張が1964年4月の海外渡航自由化直後に訪れた欧州(イギリスを含む)をもとに書いた作品。中でも女性だけを対象とした海外旅行のパックツアーから死者が出る殺人事件を描いた『黒の回廊』が面白い。70年代に文藝春秋から刊行された松本清張全集の月報に連載され、全集完結時に、第1回配本から第10回配本までを購入した読者に非売品の単行本を贈るという企画ものだったようだ。但し、非売品発行の半年後に文春から改めて単行本が発行されている。今回読んだのは昨年(2014年)に光文社文庫入りしたもの。

大出版社から全集を刊行するようになった大家が書いた作品だから、60年代の粗製濫造期のようなやっつけ仕事ではなく、張った伏線は全部回収され、すっきりした見通しの良い出来映えだ。中でも、ある伏線がなかなか回収されないまま残り数頁になって、どうなることやらと気を揉んでいたら、最後の頁で鮮やかに回収され、探偵役(これが誰であるかは最後の方で明らかにされるが、主人公とは別人である)が詰め切れなかった点を明らかにする証言者が現れ、真犯人にとどめを刺した。最後の最後の頁で犯人が盲点を突かれて決着する方法は、70年代の他の清張作品にも例があり、この時期の清張のお気に入りの手法だったのかもしれないが、この作品では特に鮮やかに決まっている。ただ、犯人像は60年代の名作『ゼロの焦点』の焼き直しである。

アムステルダム運河殺人事件』には、表題作のほかに「セント・アンドリュースの事件」を収める。2013年の光文社文庫版だが、前記『黒の回廊』の少し前の60年代後半の作であり、舞台も同作と重なる部分がある。収録の2作のうち、表題作「アムステルダム運河殺人事件」は、1965年に実際に起きて迷宮入りになった邦人殺人事件を題材にした作品だが、「セント・アンドリュースの事件」はまったくの創作。後者では、探偵役は事後に推理を行う登場人物であり、やはり主人公とは別人で、作品の最後の方になってそれが明らかにされる。

3冊目は一転して日本の国内政治と軍事産業にかかわる作品。


蒼ざめた礼服 (新潮文庫)

蒼ざめた礼服 (新潮文庫)


この作品については、1973年に新潮文庫版のために書かれた尾崎秀樹(おざき・ほつき。1928-1999, 文芸評論家。ゾルゲ事件で処刑された尾崎秀実の異母弟)の解説文の冒頭を引用する。

『蒼ざめた礼服』は『サンデー毎日』の昭和三十六年一月一日号から翌三十七年三月二十五日号まで連載された長編である。ミステリアスな手法で書かれているが、作者のねらいは政治の黒い霧を描くことにあったと思われる。

 この作品が連載されていた時期は、六〇年安保の大きなうねりが退潮し、悪名高き岸内閣に代って池田内閣が登場し、高度経済成長が政策面に意識的にとりこまれる一方、新安保条約にもとづく防衛力の増強が、陰に陽におしすすめられたときであった。

 国防会議が第二次防衛力整備計画を決定し、ミサイル装備強化を積極的におしすすめようとしたのもこの時期だし、三無事件がキナくさい匂いを伝えたのもその頃だった。地対空ミサイルのナイキ・アジャックスの陸あげ問題、原子力潜水艦の寄港問題、米空軍のF105Dジェット戦闘爆撃機の板付への配属、新島における空対空ミサイルの試射実験などの問題が新聞紙上をさわがし、一般の目からかくれたところで強力に推進される日米軍事体制のあやしい雲行きが、国民に不安を感じさせていた。

松本清張『蒼ざめた礼服』(新潮文庫,2011改版)735頁、尾崎秀樹の解説文より)


現在は再び、悪名高き安倍内閣が安保法案の成立を画策している。

この清張作品で驚くのは、日本政府がアメリカから技術を買って原子力潜水艦を建造する計画を立てているという設定になっていることだ。もちろん1967年に悪名高き佐藤内閣が、ひそかに自ら破っていた「非核三原則」を打ち出して以来*1、このような設定はあり得ないこととなっているが、悪名高き現首相の安倍晋三が広島での平和式典で「非核三原則」に触れなかったことから、安倍が日本の核武装をひそかに(あるいはあからさまに)狙っていることを国民の多くが想像している。

このように、半世紀以上前に書かれた清張作品のテーマは現在でも立派に通用するものだ。

しかし、1986年のチェルノブイリ原発事故や2011年の東電福島第一原発事故が明らかにしているように、また、放射性廃棄物の処理方法が確立していないことから明らかなように、核分裂を利用した技術は、2015年の現在でも完成した技術であるとはいえない。どんなに周辺の技術が進歩しても、肝心な技術が開発できていないといえる。

その一方で、そこまで技術的障壁が高くない分野に関しては、半世紀前と現在では技術水準とその利用に大きな違いがあるのもまた当然だ。

たとえば、小説の初めの方で、主人公が古本屋で10円か20円で買った150ページほどの古雑誌を、青焼きのコピーを「リコピー屋」*2にコピーしてもらうのに1万円以上もの大金(11,200円)を払う場面が出てくる。半世紀前の1万円が今の貨幣価値に換算するといくらくらいになるのだろうか。この小説は、コピーの作製に原本購入の千倍もの費用がかかる時代に、日本政府が原子力潜水艦を建造する計画を立てているという、今にしてみれば驚くほかない話なのだ。

核分裂の戦争利用にせよ、いわゆる「平和利用」にせよ、いまだ人類の背の丈をはるかに超えた技術であるというほかない。核分裂の利用とは、本来、基礎研究をもっと長く続けなければならない技術だったのだ。それが早々と実用化されたのは、それがとんでもなく強力な殺傷作用を持っているからにほかならない。

なお、この作品は松本清張の粗製濫造期に当たる時代の創作だが、題材が題材だけにというべきか、作者の気合いが入っていて、なかなかの力作だ。また、この作品でも探偵役の人物は、その正体を終わり近くになって初めて現す。これも清張のお気に入りの手法だったようだ。

*1:佐藤栄作は「非核三原則」などを理由にノーベル平和賞を受賞したのだが、実はアメリカとの密約によって自らの国民への約束を破っていたことはいうまでもない。

*2:「リコピー」はリコーのジアゾ式、いわゆる青焼きの複写機登録商標