kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「積極的平和主義」と小沢一郎

安倍晋三が僭称する「積極的平和主義」に関連して、こんな記述を見つけた。山下輝男という人が、「積極(的)平和主義」の推進派の立場から書いたものである。

寄稿論文:積極平和主義とテロとの戦い | チャンネルNippon より

2 安倍首相が掲げる積極平和主義とは

(1)積極平和主義とは何か
 2013(H25)年12月17日国家安全保障会議を経て閣議決定された「国家安全保障戦略」(NSS)では、「国際政治経済の主要プレーヤーとして、国際協調主義に基づく積極平和主義の立場から・・・」(3頁)と積極平和主義を国家安全保障戦略の中核に位置付けている。
 積極平和主義との概念が、国家安全保障に関する基本方針を示すべき政府の最上位の文書である国家安全保障戦略に明確に位置付けられた意義は大きいと云わざるを得ない。積極平和主義とはかくなるものであるとの明確な定義は述べられていないが、次のようにまとめられよう。
 「国際政治経済の主要プレーヤーとして、国際協調主義の下、我が国の安全及びアジア太平洋地域の平和と安定を実現しつつ、国際社会の平和と安定及び繁栄の確保に積極的に寄与しようという国家安全保障の基本理念」である。英語では、Proactive Contribution to Peaceと訳される。

(2)積極平和主義という概念の始まり
 積極平和主義と云うべき概念は、今般のNSSが初めてではない。1990(H2)年8月のイラクによるクウェート侵攻によって始まった湾岸戦争(GULF WAR)で日本は資金を拠出するのみで、人的貢献が出来ず、クウェート政府がのちにアメリカの新聞に出した戦争解決に援助した国々(の国民)に対する感謝の広告に、日本の名前は無いという屈辱を味わった。
 このような状況に危機感を覚えた自民党は、「国際社会における日本の役割に関する特別調査会」(小沢調査会)を設置し、1992(H4)に調査会の答申がなされた。
 小沢調査会の答申では、「安全保障に関する日本の持つべき理念」として、第一に「積極的・能動的平和主義」を掲げている。それを要約すれば「憲法の平和主義は一国平和主義に陥りがち、より一層の寄与を求める国際世論の高まりもある。憲法前文の理念は、国際社会と協調し、世界の平和秩序維持と世界経済の繁栄のために努力するとの精神を示している。消極的平和主義や一国平和主義とは全く異なる積極的、能動的な平和主義の精神により対応すべきである。」としている。
 これ以降、各機関等の提言等で「積極平和主義」またはそれに類似した文言が用いられるようになった。


やはり小沢が一枚噛んでいたか。そう思っていたところに、処分予定の新聞から下記記事が出てきた。ネット検索では見つからないので手打ちする。7月24日付朝日新聞の第三社会面に掲載された、牛尾梓記者の署名記事である。以下引用する。

(前略)「積極的平和主義」を唱え、集団的自衛権の行使容認を進める。そんな安倍政権の市政に、青山学院大伊藤憲一名誉教授(国際政治学)は喜びを隠さない。伊藤氏が根拠とするのは、憲法9条1項の「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」という部分だ。「自衛のためではなく世界平和のために、日本は積極的に自衛隊を出動させなければならない」

イラク派遣 憲法で正当化

 よく似た言葉として「積極的・能動的平和主義」というのもかつてあった。当時自民党の実力者だった小沢一郎氏が、1991年に立ち上げた「小沢調査会」で掲げた。湾岸戦争で、多国籍軍に130億ドルを支援したものの、国際社会の評価は低かった。「自分が平和でいたければ、他人の平和も願わなきゃだめ。単純なことだ」と小沢氏は振り返る。

 調査会は、憲法前文の「平和を維持し、国際社会において、名誉ある地位を占めたい」という部分を根拠に、自衛隊の国連参加などを求めた。「前文でいう国際社会への積極的貢献と自衛権の発動は異質のもので、まったく矛盾しない」と小沢氏は言う。

 2003年12月、当時の小泉純一郎首相も、イラク派遣を閣議決定した直後の会見で「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」とする憲法前文を読み上げて正当化した。

危険ゆえに 「平和」を強調

 あの当時の当事者たちは、当時をどう見るか。

 小沢調査会のブレーンだった小林節・慶大名誉教授(憲法学)は「日本は軍隊を持てない以上、自衛隊の海外派兵は憲法を改正しないとできない。前文のみを根拠に、雑な議論をしていた」。小泉内閣閣議決定の時、内閣法制局次長だった阪田雅裕氏は「憲法の枠内でしか自衛隊を出せないというのが、官邸のコンセンサスだった。危険であればあるほど『平和』みたいな言葉を強調せざるを得なかったのだろう」。

 当時は「積極的平和主義」を支持した論客たちも、今の安倍首相の主張には、「意見の違う者を軍事力で黙らせるのは平和主義とは言わない」(小林氏)、「9条の解釈を変えるだけでは、立憲主義の視点から大きな問題」(阪田氏)と危惧する。(後略)

朝日新聞 2015年7月24日付第三社会面掲載・牛尾梓記者署名記事より)


記事の右の方には、上から順番に「1992年 PKO国連軍 小沢一郎氏」、「2003年 イラク戦争 小泉純一郎氏」、「2015年 安全保障法案 安倍晋三首相」という文字が、この日本でもっとも不愉快な3人の顔写真とともに並べられている。

以前にも似たようなことを書いたと記憶するが*1、「小沢がつき 小泉が捏ねし 戦争餅 座りしままに 食ふは晋三」という文句を思いついた。登場人物の無粋な名前のせいで六八六七七の大幅な字余りになってしまっているが*2

この記事にはいろいろと思うところがあって、伊藤憲一は小渕政権の頃だったと思うが、よくテレビに出てきて、小渕恵三が連立を組んだ小沢一郎の言いなりのままにアブナイ法案を次々と成立させていったことを正当化する論陣を張っていた。今回の安保法案の議論ではあまり出てこないなあと思っていたが、やはりまだ妄言をほざいていたようだ。

また、2003年に小泉純一郎憲法前文を根拠にイラク戦争への自衛隊派遣を正当化した時には激怒したものだが、そのルーツは小沢だったのだなあと今にして知った。考えてみれば当たり前のことではあるが。

そして何よりも、小林節や阪田雅裕がかつての自らの誤りを認めているのに対し、小沢一郎(や小泉純一郎)は自らの誤りを認めていないことだ。ことに小沢の言葉からは、今も1991年当時と政治的信念が全く変わっていないことがはっきりわかる。

そんな小沢の「信者」になったり、小泉が「脱原発派」に転向するや、諸手を挙げてこれを歓迎したりする「リベラル」が後を絶たないようでは、安倍晋三の安保法案を止めることなどできるはずもないのだなあと思う。

そういえば、「小沢信者」を多く含む「リベラル」は、岸信介が「敢然とアメリカと対峙した『自主独立派』の政治家だった」という孫崎享の妄言をいともあっさりと受け入れた。

その理由も今にしてはっきりわかる。岸信介には明白な戦争責任があるが、同様に安倍晋三が安保法案成立に突き進んでいる現状には、小沢一郎(や小泉純一郎)に明白な責任がある。しかし、いっこうに過去の誤りを認めようとしない傲慢で尊大な小沢一郎(や小泉純一郎)を信奉する人間には、岸信介の戦争責任を問題視することなどできっこなかったのである。

小沢一郎小泉純一郎が積み重ねてきた「実績」に加え、上記のようなふがいない「リベラル」が、安保法案の成立を助けているんだなあと慨嘆する今日この頃である。

*1:http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20150112/1421030952。「岸がつき 小沢がこねし改憲餅 座りしままに食ふは晋三」と書いた。

*2:「戦争餅」は「いくさ餅」とすると一文字減るし、さらに「小沢つき 小泉捏ねし」とすると五七五七七に納まるが。